第3話:迷宮の案内人
「詳しくないが、有名ではある」
本殿の前を、先の小間使いが掃き清めていた。隅まで丁寧に掃く様を、院長は満足そうに頷く。
「と言いますと?」
「そうさな。そなたは屍運びと呼んだが、正確でない。
「大路の突き当たりに広場がある」
「ええ、そちらから来ました」
「迷宮の入り口は、広場の最奥。国じゅうから集まった腕利きが、命を捨つる覚悟で鉄門を通る。とは言え迷子で死ぬるのは馬鹿馬鹿しい。そこで
広場は行き交う人々と、屋台で埋め尽くされていた。千里眼を持たぬ
なんだか悔しいと感じたが、詮ない。素知らぬ顔で「なるほど」とだけ答えた。
「屍運びとはな、その生死の境のこちら側にしかおらん。迷宮から逃げ帰ったものの、力尽きた。同行した仲間が屍だけは連れ帰った。そういう者を故郷へ届けるのを役割りとしておる」
ああ、と思い当たった。皇都で、父の下へもそういう屍の運ばれることがあった。遠くまで大変な苦労と思っていたが、あれは家族でなく屍運びだったのだろう。
「遺された家族とすれば、弔うことはしたいでしょう。正しい行いと存じます。できれば迷宮に遺された屍もと思いますが」
「うむ、それをな」
二度。いや三度、頷きながら院長は振り返った。
「唯一やってのける。弔いと言っても魔物は遠慮をしてくれぬ迷宮でだ」
「その、
「うむ。父親と二人でな」
他人の案内をするほど迷宮に通じ、迷宮内から屍を連れ戻すのは他者に真似できない。有名という根拠に、きっと十分なのだろう。
同時に人として正しい。素晴らしく、だ。
生者も死者も、多くの意味で助けられている。そういう人間と知り、
「二人連れですか」
「そうだ。揃いの黒い着物を見たなら、他におらんよ」
おや。と感じた引っかかりが、黒装束で確信に変わる。
(あの得体の知れない——)
目的の人物と、既に
「どうかしたかな」
「いえ、その、
まともに対話してもない相手を、得体の知れないとは。
自分の咄嗟の感情に、
けれども院長は目を瞑り、一つ頷くだけで済ませてくれる。
「難しいことはない。浜に近い長屋へ看板を出しておるよ」
店構えと呼べる物はなく、住み処がそのまま商いの場所と。詳しくないと言ったはずだが、院長は道順までも丁寧に教えてくれた。
「さっそく行ってみます」
恩を受けてばかりだが、兎にも角にも、当人と会わねば始まらない。急く気持ちを抑えつつ、退出の失礼を最拝礼で詫びる。
「何を背負っているか知らぬが、無理をせんようにな。二人分の薪は、二人で拾うものだ」
「肝に銘じます」
いつか話せる日が来るのか。回収できない手形を出した思いで、
最拝礼のまま、後退りで本殿を出る。大通りに身体を向け、ようやくまともに立って歩いた。
「ありがとう、おかげで良く話せたわ」
掃除を続ける小間使いに声をかけても、後ろめたい。
(私が使命を果たさなければ、この子も)
「それは良かったです!」
はちきれんばかりの笑顔を躱しきれず、
気づかれたか分からないが、少年は最拝礼で「お気をつけて」と見送った。
門番の武僧は別の人物に代わっていた。それでも逃げるように足を早め、教わった浜のほうへ向かう。
途中、酒屋で濁り酒を買った。両手で抱える大瓶が、銀銭一枚。
見慣れない皇都の銭を、店の主人は怪訝に眺めた。表と裏と、ひっくり返すこと三度。
終いには納得して、無事に酒を手に入れた。
(海はいつ以来かしら)
皇都も端まで行けば、海に触れる。
ゆえに海に関して、何も知らないと言っていい。
浜に近いと言うだけあって、進むほどに潮の香が強まる。だが町を訪れてすぐはくさいと感じたものが、不思議にもっと嗅ぎたいと思えた。
道々に並ぶ家は、段々と格を落としていった。
朱の見えないのがどうこうと言うのもおこがましい。腐った柱に、透けて見えそうな薄板を貼り付けただけの建物が目立つ。
ざざ、と。
やがて波の音が間近に迫った。足元も硬く締まった土でなく、砂浜のていに変わった。
だというのに、長く続く壁が視界を塞ぐ。この向こうに海がある。
壁沿いを四、五十歩。ようやく回り込めた先に、思った通りの景色と、思わぬ物が同時に映った。
褐色の砂浜に、白く砕けた波が寄せる。
とは、予想した景色。
予想に反したのは、壁と思ったのが目指す長屋だったこと。潮が満ちれば直に波のかかりそうな位置に、教えられた看板のあったこと。
迷宮に関する相談はなんなりと。
銀銭十枚にて承る。
お世辞にも丁寧とは言えぬ文字を、五度読み返した。それでも誰も、戸を開けてくれはしない。
(まだ戻っていないかも)
だとしたら、また出直せばいい。
(そうよ。まだ私は何もしてない)
自身を追い立てるつもりで言い聞かせた。なぜかふっと、気が楽になった理由は考えない。
これ以上を悩まぬように、勢いよく木戸を開く。
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