パステルカラー

茅野 明空(かやの めあ)

パステルカラー


私は心の中に問いかける。

――ねぇ、恋ってさ、きっとこんな気持ちにならないよね。もっとさ、キラキラしてて、可愛いものだよね。

それに対して、煮え切らない声で私は答える。

――うん。

――こんな風にいらいらしたり、何かに当たりたくなったり、急に泣きたくなったり。こんな・・・苦しいものじゃないはずだよね?

――多分。

――じゃぁきっと、これは恋なんかじゃないんだよね。そうだよね。

――うん、違う。

 納得したように軽い沈黙が落ち、再び私は問いかける。

――ねぇ、このやりとり、何回したっけ?




 昼休み時の教室。自由な喧騒に包まれたなかで、私は机につっぶし、寄せては返す腹部の鈍痛と戦っていた。

こんな日に限って薬切らすなんて、マジでバカだ。

女子の日の一番痛みがひどい今日に限って、鎮痛剤を切らしてしまっていた。保健室に行けば薬を貰えるには貰えるのだが、保健室の先生が苦手な上に、もう歩くことも億劫になってしまったのでただ耐えることにした。仲のいい友達も委員の仕事で教室を空けていて、頼れるものもいない。こんなときに一人で痛みに耐えるしかないというのは、なかなか孤独でうんざりするものだ。

う、目が霞む・・・。

貧血のせいで視界がぼやけだした。ごそりとスカートのポケットに手をつっこみ、個包装された飴玉を取り出して中身を口に放り込む。貧血対策用の飴玉だけは、ポケットの中に大量に確保されていた。だけど痛みが消えないことにはあんまり意味がない。

 とにもかくにも、さっさと今日という日よ終われ。

「おい、ナギ。寝てんのか?」

 ふいに背後からかけられた声に、私は内心どきりとして、しかしそのまま身動きせず沈黙を保った。すぐ後ろに人の立つ気配がし、今度は少し大きい声が降ってくる。

「ナギ、どうせ寝たふりだろ、起きろよ」

 寝たふり続行。やがてふっと気配が離れ、やっと消えたかと安心した、途端だった。

「起きろっつーの!」

 ばしんと勢いよく背中を叩かれた。腹部の痛みと反響して息が止まるくらいの痛みが襲う。声をだせないまま痛みに耐えている私の視界に、能天気に笑う大地の顔がひょっこり飛び込んできた。

「へっへっへ、驚いて声も出ないか」

 殺意ってさ、結構簡単に沸くもんだよね。私は無言のまま手近にあった筆箱を掴むと、問答無用で大地の頭にたたきつけた。

「いっっってーー!!お前なんなんだよいきなり!!」

「それはこっちの台詞だっつの!人のこといきなり叩くとかさー!」

「そんな強く叩いてねぇだろ!?つかいつもやってるじゃんこれくらい!」

「うるさいわね、今日は私に触るな寄るな近づくな!・・・ってて」

 怒鳴っていたらまたずきんと腹部が痛んだ。お腹を抱えて机にうずくまった私を、大地は頭をさすりながら不満そうな顔で見下ろす。

「なー、お前今日なんでそんな不機嫌なわけ?ずっと寝てばっかだし」

「あんたには関係ないでしょ、ほっといてよ」

 吐き捨てるように言ってしまってから、内心舌打ちする。そういう風に言いたかったわけじゃない。でも、こういう日に大地にいつものノリで接されるとどうしようもなくいらいらするんだ。こんなかっこ悪い自分見られたくない。それに、どうせ正直に具合が悪いって言っても、大地が私のことなんか心配するわけない。

 多分それを確認するのが・・・一番嫌。

「そうかよ。お前さ、ほんと可愛げねぇよな」

 大地も相当苛ついた声で吐き捨てると、背中を向けて足音荒く教室を出て行った。

 私はうつ伏したまましばらくじっとしていた。ふいに、のどがぎゅっと苦しくなって、慌てて空嚥下をする。空気を飲み込んでしまって気持ちが悪い。

――可愛くない。そんなの、私が一番よくわかってるよ。あんたに言われなくたって。

 だって、可愛くないんだからしょうがないじゃん。こんなに自分をさらけ出せる仲になってしまって今更、他の女子みたいに大地に接することなんかできない。

 最初から気が合って、ふざけあうのがただ楽しくて、気がついたらめちゃくちゃ近い存在になってた。だけどあいつは、粗雑で言動も男勝りな私のことをただの男友達みたいな存在としか思っていない。私の名前だって、ちゃんとした名前で呼ばないし。もう明らかに、私を女子として見ていない。

だからこそ、こういう日にあいつに話しかけられると、訳もなく腹が立つんだ。

 そして、こんなこと一人でぐるぐる考えている自分に、一番腹が立つ。

 この感情がなんなのかわかんないけど、こんなに苦しいなら、さっさと捨ててしまいたい。

「渚、大丈夫!?具合悪いんだって?」

「え?」

 ぽんと頭に手を置かれて、私はうっすら涙目のまま顔をあげた。委員の仕事に行っていたはずの千里が、心配そうに私を覗き込んでいた。きょとんとした顔の私をよそに、千里が焦ったような表情になる。

「泣くほど痛かったの!?早く言ってよー私薬持ってたのにー!」

「え、いやこれは・・・そうじゃなくて、なんで千里、私が具合悪いって知ってるの?」

「あぁ、さっき廊下で大地君とすれ違った時に言われたのよ。『あいつ多分具合悪くて超絶不機嫌だからなんとかして』って」

 カバンから薬の入ったポーチを取り出しながら、千里は声をあげて笑った。

「渚が不機嫌だと大地君もすっごい機嫌悪くなるのねー。ただでさえ目つき悪いのにもうなんか、三白眼だったわよ」

「ふーん・・・大地が・・・」

 驚きを顔に出さないように必死だった。驚きとか・・・あとは全力でにやけたいくらいの喜びとか。

 もう、なんなのこれ。どうしようもなくムカついたり、なきたくなったり、バカみたいに嬉しくなったり。忙しいったらないよ。

「はい、早く薬のみな。これ水ね」

「うん、ありがと。マジ助かるわ」

 こくんと薬を飲み干し、口直しにと再び飴玉を取り出した。

 淡い不透明な桃色の飴玉。赤とも白ともつかないどっちつかずの色彩は、なんだか今の私にしっくりなじむような気がした。



 薬を飲んでからは嘘みたいに痛みも消えて、午後の授業は絶好調だった。最後の体育も、問題なく受けられそうだ。

「う、さむっ」

 ジャージ姿で校庭に出た途端、冷たい風に首筋を撫でられ、思わず身震いする。こんな日に外で授業とか、正気の沙汰とは思えない。

 まだ授業が始まるまで時間はあるが、校庭ではもう結構人が集まっていた。男子は寒さを紛らわせようとバスケに興じている。その様子を少し離れたところでぼーっと眺めている大地を見つけて、私はあれ、と小首をかしげた。いつもだったらまっさきにバスケに参加しているはずなのに。

「大地、バスケやんないの」

 近づいて声をかけると、大地は無言で私を見下ろし、口をへの字にした。

「お前、さっき俺に近づくなとか言ってなかった?」

「あ、あれは・・・えーと、撤回で」

 あははと笑いながら頭をかく。そういえばそんなこと言ったな。大地は「全く」と呟くと、急に座り込んで目をこすりだした。心なしか顔色が悪い。

「どうしたの?」

「わっかんね。なんか・・・目が霞む。あと頭がくらくらする」

「え、貧血?」

「さぁ」

 大地は首をかしげるが、それは明らかに貧血の症状だ。男でも貧血になるんだーと少し驚いて、私ははっと自分のスカートを思い浮かべた。そういえば、まだポケットにいくつが飴が残っていたはず。

「ちょっと待ってて!」

 くるりと踵を返して走り出した私の背中に、大地の驚いたような声が追いかけてきたが、何を言ったのかはわからなかった。ただ、こんな些細なことでも役に立てそうだという嬉しさだけがあって、私は無駄に全力疾走して女子更衣室に駆け戻った。

 ロッカーを開けてスカートのポケットをまさぐり、残りの飴を何個か掴んでまた駆け出す。

 飴を渡すときに、さりげなく「さっきはごめん」って言おう。あ、でもこんな頑張って持ってきて、いらないとか言われたらどうしよう。かっこ悪い。あいつのことだし、言いそうだな。でも貧血手っ取り早く治す方法ってこれぐらいしか知らないし・・・。

 そんなことをぐちゃぐちゃ考えながら校庭に走り出て、大地のいたところまで近づき、私は唐突に立ち止まった。

 大地がさっきの場所に座り込んで、女子の一人と何か話し込んでいた。私とはあんまり仲良くないタイプの子だ。化粧とかしてて、派手で、きゃぴきゃぴしてる。つまりは、世間一般で言う“可愛い子”だ。

 大地が笑った。私に向けたことのないような優しい顔で、彼女が話す内容に軽く頷いている。また笑った。私が、見たことないような笑顔。

 私はバカみたいにたたずんでいた。無意識に握り締めた手の中で、飴の入った袋が音を立てる。

 あれ、誰だよ。あんな奴知らない。バカみたいにへらへら笑って、罵倒とか乱暴なこととかしないでちゃんと大人しく人の話を聞いてる・・・あんなの、大地じゃない。

 私にはそんな笑顔見せてくれないくせに。話全然聞かないで、自分のことばっかり話すくせに。いつも不機嫌そうな顔でちょっかい出してくるくせに。

――お前さ、ほんと可愛げねぇよな。

 さっきの大地の捨て台詞が耳に蘇って、私はジャージのポケットに飴玉をごそっと突っ込んだ。

 授業開始のチャイムが鳴った。体育の担当教師が立っているところにみんながぞろぞろ集まり始める。

 私も足早に大地たちの横を通り過ぎようとしたが、大地がいち早く気付いて声をかけてきた。

「おい、ナギ。いわれたとおり待ってましたけど?」

 私は足を止めてため息をついた。ここで無視するのはさすがに大人気ないだろう。大地の貧血も、今更飴玉で治るとは思えないが、授業中ずっと放置するのも心苦しい。

 胸の辺りはもやもやと何かが蟠っていたが、私は大地に向き直ってポケットから飴玉を一個取り出した。乱暴に放り投げると、大地が慌ててそれをキャッチする。

「あめ?なんだよこれ」

「糖分とると、貧血って結構楽になったりするんだよ。あんま変わらないかもだけど、一応なめとけば」

 ぶっきらぼうに言って、足早に大地から離れる。まだ大地の横にいた女子が、「安藤さんやさし~」とからかうように言ったのが耳に入って、顔が一気に火照る。

 やっぱりこんなことするんじゃなかった。可愛げのない私が今更大地に優しくしたところで、あの女子に見せたような笑顔は絶対見れないんだから。

 きゅうと、またのどのあたりが苦しくなる。

だからなんで苦しくなるの?ていうか、そもそもあんなやつのことでこんなに悩んでいる自分がおかしいんだけどさ。なんなんだこれ。わけがわからない。

 はっきりさせたいけど、曖昧なままがいい。そんな中途半端な場所に、今の私は立っている。

 大地と他の誰かが仲良くしてるのを見たくない。ずっと私を見てて欲しい。所有欲?でも違う。私は大地を閉じ込めてしまいたいわけじゃない。

 もっとあいつの色々な顔が見たい。笑った顔が見たい。照れるとことか。もっともっと、いろんな表情が見たい。でも今のままの関係だと、そんな顔見れるわけがない。

 だけどじゃぁどうすればいいの。なんて言えばいいの。私のこの気持ちをなんて言い表せばいいの?もし言えたとしても、じゃぁ大地はなんて応えるの?

 もしかしたら、もうこの関係は壊れてしまうかもしれないでしょ?

 それがどうしようもなく怖い。だったら、もういい。今のままでいよう。

 私はこの不透明な心のまま、大地とふざけ合えれば、それでいい。

 そんな風に頭の中が盛大に混乱していた私は、大地が私の背後から近づいて、ぼそりと呟いた言葉の重要な点に気付かなかった。

「ありがとう、渚」



 私の心が不透明じゃなくなるのは、もっとずっと後のお話。

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