第6章 秘めた想いと届かぬ想い
第34話 千里
あたしは屋上の扉を開けた―― 何をしにって? それはもちろん、あたしの仕事である花火の様子を撮影するためだ。
本当は司と一緒にこの場所で撮らない? と誘うつもりだった。だけど、今あたしは屋上で一人でいる。
司に来ることを断られたからじゃない。誘えなかったんだ。司は今頃美晴ちゃんと一緒にいる頃だろうなぁ。
正直、上手くいってほしいと思ってる。司が美晴ちゃんを気にかけているのも分かってたし、美晴ちゃんも司が好きなんだろうということはなんとなく雰囲気で分かった。
「千里、ここにいたのか?」
扉からあたしのことを呼ぶ声が聞こえた。あたしが扉の方を向くと、そこにいたのは紗絵ちゃんだった。
「どうしたの? もしかして紗絵ちゃんもこの場所から花火を見ることにしたの?」
「それも良さそうだな」
紗絵ちゃんはあたしの頭にポンと手を乗せた後、優しく撫でてきた。あたしは溢れそうになる涙を必死に堪えた。なんだ、紗絵ちゃんにはバレてたのか……
「なあ、もしかしてだけどさ、私が神島先輩と話している時、ドアの隙間から話を聞いてたのは千里だったのか?」
「えへへ……バレてた?」
紗絵ちゃんは私を心配してここへ戻ってきてくれたんだろう。本当は一緒に花火を見たい人がいるはずなのに。
「あの時間、学校に残っていたのは文芸部で千里だけだったからな。他の奴なら堂々とノックをしているだろうからな」
「紗絵ちゃん、静香先輩と仲が良かったんだね」
「あの人は私の従妹だからな。小さい頃から姉のように慕ってた」
あたしはあの日、紗絵ちゃんたちの話を盗み聞きした。普通に入ろうかと思ったんだけど、話の内容的に入りづらくて……
「ってことは、やっぱりその時聞いてたんだな。Xの正体のこと」
「……うん」
紗絵ちゃんたちの話で聞こえてきたのはXの正体が美晴ちゃんだったということ。あたし、びっくりして音を立てちゃったよ。まさか、美晴ちゃんだなんて考えもしてなかったから。
「なあ、千里……」
「なぁに? 紗絵ちゃん」
「辛かったら泣いても良いんだぞ」
そんなことを言わないでほしい。せっかく家に帰るまでは泣かないようにしようと決めてたのに……
「紗絵ちゃん、あたしね……司に会ったんだ……美晴ちゃんを探しに行く前の司に」
――――――――――
『文芸部、全員集合。タイムカプセルを見つけた。部室に至急集まれ』
このメールが祐一から届いたとき、私は部室に行こうか悩んだ。司と祐一はまだXの正体が美晴ちゃんだってことを知らないのだろう。
だけど、私が行ったところで何も変わりはしない。私は司にXの正体が美晴ちゃんだということは伝えなかった。
伝えるチャンスは何度もあった。大切な後輩なのに、好きな後輩なのに、司を取られたくないと思ってしまったんだ。
美晴ちゃんが司に正体を明かさない理由はなんとなく分かった。たぶん、司への罪悪感と、あたしが司を好きだと気づいてしまってるのだろう。
美晴ちゃんは優しい子だから、身を引こうとしているのだろう。それが分かった時は、あたしはいったい何をしているんだと思った。
あたしにとって司は初恋の人、だけど美晴ちゃんにとっても大事な人であることに違いない。なのに、美晴ちゃんは自分の想いを諦めようとしている。
そんなのは全然フェアじゃない。美晴ちゃんの優しさに甘えて、司のことを奪おうとしている最低なやつになっちゃう。
私は覚悟を決めた。司にXが美晴ちゃんであることを伝えようと部室に向かった。部室に向かう階段を降りると、目の前を走っていく司が見えた。
「待って。少しだけあたしの話聞いてくれない?」
あたしは司の腕を掴んで引き止めた。司はどこか急いでいる様子だった。思いを伝えるのなら今しかない。
「Xの正体なんだけどね……」
「ああ、美晴ちゃんだったよ」
「え?」
すでに司も答えにたどり着いていたらしく、私は思わず言葉が漏れてしまった。
「タイムカプセルに入ってた手紙に書いてたんだ」
そういえばあのタイムカプセルに手紙も入れてたっけ。昔のこと過ぎて忘れていた。
「そっか、もしかして急いでるのは美晴ちゃんを探しているの?」
「よく分かったね」
「舐めてもらっちゃ困るよ。何年幼馴染をやってると思ってるの」
ここ数日考えていたからこそ、簡単に想像できる答えだった。
「それで話って?」
「えっとね」
言わなきゃ。ここでちゃんと司に好きだって伝えなきゃいけない。たった一度だけで諦められない。言うなら今しかない。
「司ね……」
あたしは司のことが好き。そう言おうと口を動かそうとしたが、その時頭に美晴ちゃんの顔が浮かんだ。
美晴ちゃんは泣いていた……
「司、美晴ちゃんのこと好きでしょ」
「……えっ?」
あたしは言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
「隠せているつもりだったの?」
「さすが、千里だね……うん、そうだよ」
思った通りの答えが返ってきた。やっぱりあたしが入る余地はないみたい。
「いったい何年の付き合いだと思ってるの? 司の考えていることなんてお見通しなんだから」
司にあたしの感情を読み取られないように気丈に振る舞う。
「それじゃあ、今から告白しに行くの?」
「それは……」
ここまで来て何を悩んでいるのか。でも、無理もないか、好きだった女の子が自分が探してた女の子だったと知って、頭の整理が追い付いていないのだろうし……
「司、美晴ちゃんってかわいいよね?」
「……ん? どうしたの急に?」
「いいから答えて」
「うん、かわいいよ」
しょうがない、私が背中を押してあげよう。司の幼馴染として、幼馴染の恋を応援してあげよう。
「美晴ちゃんはかわいい、それは間違いないと思う。だけど、美晴ちゃんあたし達と初めて会ったとき、笑顔を隠してたよね」
初めて美晴ちゃんと会ったとき、無理して笑っているように見えた。誰も信じていないそんな笑顔。
「でもさ、そんな美晴ちゃんを変えたのは司なんだよ」
いくら話しかけても美晴ちゃんは心の底から笑ってくれなかった。この子は笑えない子なのかなとさえ思った。
「司と話して、美晴ちゃんは笑うようになった」
「それは昔、僕と会ってるからじゃないの?」
「ううん、記憶を無くした司と昔の司は違うと分かってたからこそ、美晴ちゃんは心を閉ざしたままだった」
司に忘れられたことでショックを受けていたんだと思う。これからは誰も信じない。そんな感情が見え隠れしていた。
「そんな美晴ちゃんを笑わせたのは司だった」
私たちには決してできなかったこと。昔とは違うと分かっていても司は美晴ちゃんにとって受け入れられる存在だったんだ。
「雲隠美晴、この名前美晴ちゃんそのものを表してたんだよ」
「どういうこと?」
司は私が何を言いたいのかわからず、首をかしげていた。
「雲ってさ、美しい晴れは簡単に隠しちゃうでしょ。でも太陽が雲に打ち勝てばきれいな空を見せてくれる。美晴ちゃんもまさにその通りだと思う。司が一緒にいることで美晴ちゃんは笑顔でいられるんだよ」
あたしは司を美晴の元へ送り出さなければならない。
「美晴ちゃんにとっての太陽は司なんだよ」
司の名前にも『日』という文字が入っている。だから、美晴ちゃんの側で笑顔を守ってあげていてほしい。
「だから、司、早く美晴ちゃんのところへ行ってあげて。ずっと寂しがっていたはずだから」
人に忘れられると言うのは凄く辛いことだと思う。あたしだって司に忘れられたとなればひどく落ち込むだろう。
美晴はそれを耐えてきたんだ。あたしよりも幸せになってもらわなければ困る。
「わかった。ありがとう千里。美晴ちゃんのところに行ってくるね」
「うん、ちゃんとガツンと言うんだよ」
あたしは司が見えなくなるまで見送った。決して司に涙が流れているところを見られないようにするために。
――――――――――
「あたしね、司のことが好きだった。誰にも渡したくなかった。でもそれが出来なかった」
私は耐えられず泣き出した千里を抱きしめる。
「紗絵ちゃん、覚えてる? 小六の時に、あたしと司に距離が出来ちゃったこと」
「ああ、覚えている。珍しいことだったから今でも覚えている」
今まで遊びに誘えば必ず来ていた司がある日を境にバッタリと付き合いが悪くなった。
「あれ、あたしのせいなんだ」
「どういうことだ?」
「あたしね、司に好きだって告白したんだよ」
そんなことがあったのか。当時の私はそんなことに全く気付かなかった。
「でもね、司にね好きな人がいるからってフラれちゃったんだ」
なるほど、それで妙に会いづらくなって司は私たちと遊ばなくなったのか。
「でも、司はもう覚えてないかもね。事故と一緒に忘れちゃったから」
事故後には急に付き合いも良くなったのにはそういう理由があったのか。千里との気まずい関係のことをすっかり忘れてしまったから。
「私はチャンスだと思った。今なら付き合ってもらえるんじゃないかってね―― でも美晴ちゃんのね、顔がチラチラ浮かんでできなかった。あたしは美晴ちゃんを裏切ることが出来なかったんだ……」
どんな言葉を掛けるのが正解なのか分からず、私はひたすら千里の頭を優しく撫で続けた。
「ずっとずっと好きだったよ、司……」
私は千里が泣き止むまで側に居続けた。その日の夜は雲一つない星空で広がっていた。
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