第3話 後輩の女の子

 ちゃんと隅々まで確認しておくべきだった。そのせいで、この話を聞かれてしまったのだから。


「……いたんだね、美晴ちゃん……」


 僕たちの背後には大事そうに一冊の本を抱えた女の子が立っていた。その子は僕たちの一つ下の後輩で小柄な女の子。長い茶色の髪を花の柄がついた髪ゴムで二つ結びにしている。


「はい、いつもの場所で本を読んでいました」

「また、あそこで読んでたの? いつもいないと思ってたら突然現れるし、ドキドキしちゃうから止めてほしいんだけどね」

「いくら先輩のお願いでもそれは無理な相談ですね。あの場所はとても落ち着くので」


 美晴が隠れ……いや、座って本を読んでいたのは本棚と壁の隙間だ。その場所にいつもいるもんだから驚かされてしまう。誰もいないと思って油断すると美晴がいたなんていうことは何度あったことか。


「この空間、私は好きなんですよね。たくさんの本に囲まれる生活。もの凄く良いです」


 いろんな本を見渡しながらデレデレしている。美晴は本のことになるとかなり変わった女の子だ。部員の中で一番本が好きといっても過言ではない気がする。


 一つ下の後輩の美晴と出会ったのは今年の春の話。


――――――――――


 いつものように本を読んでいた僕たちのもとに、『コンコン』とノックとともに一人の女の子が現れた。


「あの、ここって仮入部やっていますか?」

「ああ、もちろんやっておるよ」


 仮入部期間が始まってから今日まで、誰一人として訪ねてこなかったものだから、初めての新入生に先輩はウッキウキだ。


 衝動が抑えられないまま、先輩は女の子を前に勢いよく行くものだから、その女の子は少し物怖じしてしまっている。


「先輩、そんなガツガツ行くと、ビビッて逃げて行ってしまいますよ」

「おっと、それはすまない。初めましてこの文芸部の部長をやっている者だ」

雲隠美晴くもがくれみはるです。今日はよろしくお願いします」


 畏まって挨拶をする美晴。そんなに緊張する必要ないんだけどな。ここってそんな畏まるような気難しいところではないからな。


「初めまして、僕は日向司。今日はよろしくね」


 僕が挨拶すると、美晴はぼーっとしていた。何かまずいことしちゃったのかな。


「どうかしたのか?」


 美晴の反応が気になったのか、先輩がフシギそうに声を掛けた。


「いえ、何でもありません。ただ、男の人と話すのが久しぶりだったので、つい緊張してしまいまして」


 なんだ、何かやらかしたのかと心配したが、そういうわけじゃなくて安心したよ。最近の女子は何を考えているのかよく分からないからな。


「では、美晴とやら、この住処を紹介しようじゃないか」


 先輩による住処、いや部室の紹介が始まった。先輩はノリノリである。

 一通り先輩による解説が終わったところで今度は僕の方から質問してみることにした。


「他の仮入部は行ったりしてみたの?」


 仮入部が始まって四日目が経っているのだから当然の質問だと思う。それに先輩は文芸部に入ってくれるか気になってソワソワしているから代わりに聞いてみた。


「はい、水泳部に、書道部、それに囲碁将棋部に行きましたね」


 なんともバラバラなところに行くもんだな。運動したり、筆を動かしたり、頭を使ったり、この子は何を目指しているのだろうか。


「気に入ったところあった?」

「う~ん、どの部活も先輩たちは優しかったのですが、私には合わない印象でしたね」

「じゃあ、ここはどうだったのかな……」


 美晴が入ってくれるか心配になった先輩がいつの間にか素に戻っていた。その違いに驚いて少し笑った後、美晴は一枚の紙に何かを書き込んだ後、それを先輩に渡した。


「先輩方、今日からお願いしますね」


 先輩に渡した紙は『文芸部』と書かれた入部届だった。


――――――――――


 入部届は出してきたものの、最初は本当に美晴が本に興味を持っているのか疑問に思っていた。何せ、文芸部に来る前に色んな部活の仮入部に行っていたみたいだし、本好きなら初日にここに訪ねくるだろう。だから、本はそこそこしか読まないような子なんだろうなと思っていた。


 そんな疑問もしばらくした後に解決した。偶然にも美晴が楽しそうに本を読んでいるのを目撃したからだ。そこから僕は美晴と仲良くなることができた。


 それに加えて、気遣いもできる女の子であったことから、すぐに文芸部になじむことができた。体育祭など、文芸部で何かをやらなくてはいけないことがあっても何一つとして嫌な顔をすることはなく、また何かを決めるにもいつも肯定ばかりしていた。


 だからこそ、普段なら空気を読む美晴が僕と祐一の会話に入り込んできたことは凄く驚くことだった。


「美晴ちゃん、なんで差出人を探すことに反対なの?」


 僕がフシギそうに聞いてみると、美晴は少し考えたそぶりをした後、口を開いた。


「ただ、何年も前の手紙の差出人なんて見つかりっこないと思ったからですね」


 呆れているような口調ではなく、ただ、淡々と否定していた。


「それに……手紙を渡したその子も手紙のこと、忘れているかもしれませんよ? 先輩って今まで引っ越したことありますか?」

「ないな」


 僕は生まれてからずっとこの町で暮らしている。


「もし、差出人の子が本当にその手紙のことを覚えているのなら先輩の家に訪ねているはずですよ。でも、先ほどの話を聞く限りだとその子は来ていないんですよね?」


 美晴に指摘され、「確かに」と僕は納得してしまう。僕が記憶喪失でその子のことを忘れたとしても、その子は僕のことを覚えているわけだ。近所に住んでいるのであれば、僕の家に訪ねてくることだってできたはずだ。


 だけど、手紙の差出人と思わしき子が家に来たということは今までなかった。


「そうだね、美晴ちゃんの言う通り、この手紙を渡してきた子も、この手紙のことを忘れているのかもね」

「ええ、なのでその手紙は過去のものだと割り切っちゃった方が気は楽ですよ。良い思い出だったなで良いじゃありませんか。そんな過去のことより、新しい出会いを大切にした方が良いと思います」


 美晴はそう僕に言うと、クルっと周り、元居た場所へと歩こうとしていた。


「俺は雲隠の考えでも良いと思うぞ。ただな……」


 美晴と僕の会話を黙って聞いていた祐一が真っすぐ僕の目を見る。『あとはお前がどうしたいかだ』とそんな目をしている。


 僕の記憶の中にラブレターを渡してきた子はいない。だから、このまま昔の思い出として保管してしまうのも間違いではないと思う。


 ただ、僕はその選択が正しいとは思えない。美晴はその子も忘れていると言っていたが、その保証はどこにもない。家に訪ねてこなかったのだって、僕の家を知らなかったのかもしれなければ、ここから遠いところに住んでいるのかもしれない。


 だからその子がもう忘れていると思う、そんな考えだけで終わらしちゃいけないような気がする。


「ごめん、美晴ちゃん。僕はやっぱり、その子を探すことにするよ。時間がかかったって良い。その子を見つけないと僕は前に進めないからさ」


 美晴は黙って後姿を僕に向けたまま足を止めた。そして、こちらに顔を向けないまま、「そうですか……」とだけつぶやいた。


 そして少しの沈黙の後、


「そこまで先輩が言うのであれば、私はこれ以上何も言いません。私も先輩に付き合うことにします」


 美晴は振り返ってそう言った。


「美晴ちゃんも手伝ってくれるの?」

「はい、司先輩と星川先輩だけじゃ、無茶しちゃいそうなので」

「おお、言うね。俺たちがそんなに信じられないか?」

「ええ、星川先輩だとネタ集めだ~とか言い出しそうですし、司先輩は前科ありますしね」


 前科というのは、体育祭で無茶をした翌日、熱でぶっ倒れてしまったことだろう。昔から無茶をすると体調を崩しやすい。だから、美晴は僕たち二人の抑制剤になると言っているのだろう。


「なんか、随分思ったことをはっきり言うんだな。こんな子だっけ?」


 祐一は美晴に聞こえないように僕に耳元で言う。今の美晴はいつもの大人しいような雰囲気は醸し出してはいるものの、積極的に動こうとしているのが分かる。


「美晴ちゃんも楽しそうだと思ってるんじゃない? こういう人探しって小説とかにありそうだし」

「そうだな、俺もネタになると思って協力すると言ったからな」

「おい」

「冗談だって」


 祐一がくだらないことを言うと美晴が「どうかしました?」とこちらを見てきたので、何でもないよと手を振っておいた。


「じゃあ、三人で作戦を練ろうじゃないか」


 美晴が自分の椅子を引っ張り出して座ると祐一が進行を始めた。


「さっそくだが、この話を他の2人に話すかという問題が出てくるが……」


 僕としてはこの件を知られたくはなかった。本音を言えば、僕と祐一だけで解決が出来ればよかったのだが、美晴にバレた以上はもはや無意味なことである。


「紗絵香先輩は面白そうとか言って混じりそうですけど、千里先輩は反対しそうですね」

「なら、千里だけ内緒ってわけにもいかないから、三人でやるか」


 そんな風に僕たちの意見がまとまった時、突然寒気が襲ってきた。これは千里に内緒で祐一と二人きりで何かをしようとしたときと同じ寒気が……


「へ~、私たちに内緒で何をしようとしてるのかな?」


 声がした方を見れば、残りの部員でありながら、幼馴染の千里と紗絵香が立っていた。

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