第1章 記憶にない初恋

第1話 過去からのメッセージ

―――― 二〇一二年九月


「よいっしょ!」


 長かった高校二年生の夏休みも終わりを迎え、だんだんと肌寒くなってくるであろう季節に備えて、僕は衣替えの準備をしていた。


 重い荷物を押し入れから一つずつ取り出していく。衣服をしまっているのは自室の押し入れであるため、衣服を取り出すついでに掃除も一緒に済ませてしまうことにした。


 こういうところは自主的に掃除をしようとはあまり思わないところであるため、掃除をしようと思ったときにやってしまった方が絶対に良い。


 しばらく、掃除をしているうちにその判断は正しかったことに気づいた。押し入れの中に詰め込まれていたいくつかの段ボール箱を取り出していたのだが、そのうちの一つ、『思い出のもの』と張り紙がされたものを見つけた。その箱を見れば底の部分がひどく破けていた。


 何年も取り出していなかったために、段ボールは底以外にもボロボロであった。実際のところ、この箱に見覚えはなく、取り出さなかったというよりは単にこの段ボール箱の存在を完全に忘れていただけなのだが……。


 僕は段ボールに入っていたものを一つ一つ丁寧に取り出していくことにした。中には小学校の卒業アルバムや、小さい頃にハマっていたゲームのカードや、遊園地のパンフレットなどと、懐かしいものがたくさん入っていた。


 他にも思い出と言えるものなのかと疑ってしまうガラクタのようなものも見つかった。子供の頃は、こんなものを大切に思っていたんだなと懐かしんでしまう。どこで貰ったか分からない髪ゴムさえ、袋に入れて大切に保管されていた。男である僕には使えないものではあるが、どこで手に入れたのだろうか。


 それらの思い出の品を新しい箱に詰め替え、破けた段ボールを捨てに行こうと持ち上げると、ヒラヒラと何か落ちていくのが僕の視界に入った。


「なんだ、これは?」


 落ちたものを拾い上げると、それはかわいらしいデザインでできていた封筒であったが、劣化したせいか少し汚れていた。封筒を見れば『日向司ひむかいつかさ君へ』と左上に書かれている。


 僕にはこの封筒に一切見覚えはなかったのだが、その封筒に書かれていた名前は僕のものであった。


 不思議な封筒に興味を惹かれた僕は、中身を取り出してみることにした。そこには一枚の手紙が入っていて、書かれていた文字に目を通す。


『私も司君のことが好きだよ』


 決して上手とは言い難い字で、手紙の中央に大きく書かれていた。幼く、丸っこい字体。小学生ぐらいの子が書いたとしか思えないかわいらしい文字だった。


 その文を見た瞬間、僕の頭にある光景が浮かび上がった。


――――――――――


 草木が広がる場所で誰かに後ろから声を掛けられる。後ろを振り向けば、長い髪を下ろした女の子が立っていた。


 「どうかしたの?」とその女の子に声を掛けると、その女の子は顔を照れくさそうにしながら封筒を渡してくる。


「この前の返事……恥ずかしいから……手紙に書いてきたの……」


 そんな言葉を残して、手紙を渡した女の子は目の前から去っていった。


――――――――――


「なんだ、今のは……」


 顔にモヤがかかっていて、誰かまでは分からなかったが、女の子が封筒を渡す姿が僕の脳裏に浮かんできた。さらにその封筒は僕が今持っている物と瓜二つときた。もしかすると、この女の子が僕に手紙を渡したのかもしれない。


 僕はもう一度手紙を確認してみるが、やはりあの一文と僕の名前以外には何も書かれてはいない。もちろん、手紙を入れていた封筒にもそうだ。どこにもその女の子の名前は書かれていなかった。


 どうにか手紙を渡してきた女の子のことを思い出そうとしてみるが、どうしても名前も出てこなければ、顔も思い出せない。長い髪であることは分かったが、景色がモノクロのせいで、髪色まで思い出せなかった。


 昔のこと過ぎて忘れてしまったのか。――― いや、僕の場合は記憶がないというのが正しいのかもしれない。


 僕には小学六年生から中学一年生の夏までの記憶がない。医者の話では事故の後遺症によるものだろうと言われた。


 はじめは、事故以前の記憶を無くしたことにひどく落ち込んでしまったが、あまり僕に影響はないことに気づいた。僕の通っている学校は小学校から高校までとエスカレーター式であるので、小学校からの付き合いのやつが多かったからだ。


 それに僕が仲良くしていた三人は全員幼馴染たちであったために、2年ほどの記憶を無くしたとしても三人のことはしっかり覚えていたから気にする必要はなかった。


 一時期の記憶はなくしたものの友人関係は何も変わらなかったから、命があったことを素直に喜んでいた。


「それにしても、昔の僕はこんな手紙を貰えるぐらいの仲の良い子がいたんだな」


 僕にそういった色恋沙汰なんて存在しない。今まで誰かと付き合ったということもなければ、当時誰かを好きだったということは、僕の覚えている限りなかったはずだ。


 三人の幼馴染のうち二人は女子であるが、その二人が手紙を渡してくる可能性はほぼないと言っていいだろう。僕たちにとってはもはや姉弟のような感じだったからな。そこに恋愛感情なんてなかっただろう。


 それにもし、その女の子と付き合っているといった事実があったのであれば、幼馴染のやつらが記憶を無くした僕にそのことを言わないはずがない。そもそも中学入学前後にお付き合いをする子供がいるとは思えないが……


 当然、今覚えていないのだから僕はそんな話を親からも幼馴染たちからも聞いたことはない。だから、僕はその女の子とは何にもなかったのだろう。


 ただ偶然好かれるようなことがあって、ラブレターのようなものを渡されただけ。今現在そんな話を僕が知らないわけだから、断ったのだろう。もしくは気持ちを伝えられただけで終わったのか、そんなところだと思う。


 この件を深く考える必要はない。どっちにしろ、僕に記憶は存在しないのだから探そうとしたって無駄なんだろうし。


 名前や顔が分かれば探すこともできただろうが、あいにく僕はどちらも思い出せない。


 僕は意識を違うことに向けるように片付けを再開した。だけど、他のことをしているというのに、手紙がチラチラと視界に入るたびにどうしても何か引っかかるような気がしてならない。


 誰にも告られたことがない人間だからこそ、しょうがないというものだ。だって、誰かから好意を持たれていたなんて、たとえ昔のことだったとしても嬉しいことにはかわりないからだ。


「でも、告白か~、よっぽど勇気がいることなんだろうな」


 誰かに告白をしたことがないからこそ、想像することしかできないが相当勇気がいることだと思う。そんな勇気がないからいつまで経っても現状は変わっていないのだろう。そう思うとやっぱり、気になってしまう。


 僕はその女の子に対してなんと言ったのか。せっかく勇気を出して言ってくれたのに、断っているかもしれないんだよな。傷つけてなければいいけど……。


「……もう一度見てみるか」


 一度考えだしてしまったらもう僕は止まらない。机に置いていた手紙を再び手に取り、もう一度文面を見た。


「あれ?」


 読み返したことである違和感に気づいた。


『私司君のことが好きだよ』


 私も……って、これひょっとすると先に告白したの……僕なんじゃないだろうか。でなければ『も』なんてつけないはずだ。


 先程まで能天気に考えていただけにこの事実にあっけを取られてしまう。それに先程の記憶の断片で、女の子は「この前の返事」とも言っていた。つまり、先に告白をしたのは僕ということになる。


「僕誰かに告白をしたことあったんだ……」


 ふと、そんな言葉が口から漏れてしまうが、そんなことを言っている場合じゃない。お互いが好きだと言っているなら付き合っていてもおかしくはないはずだ。十二歳程度のやつが付き合うなんて何様だという話はこの際置いておく。


 付き合うといったことはなくても、それに近い関係になっていたのであれば、間違いなく大変なことだ。


 そのような関係でなければ問題はないのだが、もしそうだった場合、その女の子は僕が記憶を無くしたことはたぶん知らないのだろう。


 幼馴染がその子について触れていなかったから、僕はその子のことを話していなかったのかもしれない。なら、誰がその子に僕の記憶喪失について教えることができるか。


 その子は何も知らないままかもしれない。直接訪ねてこないのは、同じ学校の子じゃなかったからなのかもしれない。


 もし、その子と何もないのなら問題はない。だけど、それを完全に否定できる根拠を僕は何一つとして持ち合わせていない。であるならば、僕はその子のことは忘れているからと無視していい問題じゃないのだろう。


 そう思うと、僕はこのまま手紙のことを放っておくということはできない。


 僕はこの手紙の差出人を探したい。直接あって話をしたい。どんな子だろうとしっかりとけじめをつけるために。

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