Phase.66 獣人のシンデレラ




     66




「う、ううっ……」


 カネトリが意識を取り戻したのは、夜明け前だった。どこか既視感を覚えつつ、ひどく痛む頭を押さえて目を開くと、リジルが心配そうに覗き込んでいた。


「よかった……もう起きないかと思った」

「あー、ああ……。俺はどうなったんだ?」

「至近距離からゴム弾で撃たれたの」

「そ、そうか……」


 カネトリの頬に、ぽたぽたと温かいものが落ちる。


「リジル、泣いているのか?」

「……ううん。泣いてない」

「そうか」


 赤と銀の瞳は、今や涙に濡れていた。

 カネトリはゆっくりと身体を起こし、リジルをそっと抱きしめる。


「最近、構ってやれなくて悪かったな。寂しかったか?」

「ううん……ただ、どうしていいのか、わからなかったの」

「初めての発情期だったのか。俺としたことが、気づいてやれなくてすまなかった。いつの間にか、大人になっていたんだな、リジル……」

「…………」


 リジルは恥ずかしそうに目を閉じて、カネトリの胸に顔を埋めた。不安げに尻尾が揺れる。


「私、どうしちゃったのかな……。カネトリがバーバラと結婚するって聞いてから、ずっと、もやもやが止まらないの」

「…………。……バーバラのことは、嫌いか?」

「ううん。バーバラも大好き。できれば、一緒にいたい。でも、カネトリが取られてしまうと思うと……どうしても……」


 それは明らかな嫉妬だったが、少女はこれまで相手に対して殺意と警戒しか向けてこなかったのだ。当人からすれば初めての感情で、どうしたらいいのかわからず、ずっと不安を感じていたのだろう。

 以前、アンダーシャフトと会った夜に、リジルが不安がっていたことを思い出した。状況は違っているが、今もそれと同じなのだろう。

 そのことに今まで気づいてあげられなかったことに、カネトリは歯噛みした。


「リジル。聞いてくれ。不安にさせて悪かった。俺とバーバラは、その、婚約者でもあるが、その前に幼馴染で、家族みたいなもんなんだ。だから、独り占めするとか、そういうことではないんだ。俺はどこにもいかない。安心してくれ」

「でも、二人が結婚したら……私は、どうなるの……?」

「前にも言っただろう? 俺は、お前を一人にはしない。絶対だ」


 カネトリは「もし」と付け加えて、頭を掻いて言った。


「バーバラと結婚して、アンドリュー・アンダーシャフトになったとしても、これまで通り、一緒に暮らしていけるさ。三人と一羽でな。バーバラは心の狭い女じゃない。それに、お前はもう家族の一員みたいなもんだ。きっとわかってくれる」

「それなら……」


 リジルは言い淀み、身体を離した。言葉を選ぶようにカネトリをじっと見つめる。ぎゅっとカネトリの胸もとを握りしめ、決心したように言った。


「バーバラと結婚して。半獣人わたしと結婚するよりは、ずっといいはず。私は、二番目でいいから……置いてくれるなら、召使いだって」

「…………」


 予期せぬ言葉に、カネトリは呆気にとられたようだった。しかし、その顔を間近で見つめる赤と銀の瞳は真剣そのものだ。

 目を離すことはできない。カネトリはその頬に手をやった。


「二番目で、本当にいいのか?」

「……う、うん。それで二人が幸せになれるなら」

「そんなことを言うな。それに、それで俺たちが幸せになると思うのか?」

「で、でも、社交界やここに来てわかった。獣人は、シンデレラには……」



「――獣人のシンデレラがいないなら、お前がその初めてになればいい」



 カネトリは言って、その唇にそっと口づけした。獣耳まで真っ赤になりそうなリジルの手を握って、小さく囁く。


「自信を持て、マイ・ファーリー・レディ――そんな風に自分を卑下するように教えたつもりはないぞ。お前は成長して、俺なんかにはもったいないぐらいの、いい女になるよ。それこそ、シンデレラなんか目じゃないほどにな。だからこそ、投資したんだ」

「カネ、トリ……」

「それに、約束しよう。アンドリュー・アンダーシャフトに、二番目なんてないと。俺が後を継いだら、お前も、バーバラも、みんなを幸せにしてやる。強制的に、な」

「本当?」

「ああ。恥じることなかれという、俺のモットーを忘れたのか? 重婚罪がなんだ。カビの生えたような法律にアンダーシャフトが止められるか!」


 そう言ってからカネトリは苦笑し、涙ににじむ宝石のような瞳から視線を外した。


「まあ、そういうのは先の話だ。それに……いつか、出会いがあって、リジルの前にも心の底から好きだって思えるような王子様が現れるかもしれない」

「それって、カネトリ以外に?」

「長い人生だ。その可能性はゼロじゃない。……まあ、もしそうなったら、むしろ逆に俺が嫉妬するかもしれないけどな」


 気恥ずかしそうに頬を掻く武器商人を見て、リジルは涙を拭って笑みを浮かべた。


「ねぇ、カネトリ。一つお願いしてもいい?」

「なんだ?」

「もっと、ちゅうして」

「もちろん。今度のは大人のやつだ。少し刺激が強いかもしれないな」


 首筋に唇を這わせると、リジルは「あっ……」と甘い吐息を漏らした。その時、広大な地平線の彼方がほのかに輝きだし、周囲を覆っていた闇を一瞬にして拭い去った。長い夜が明け、戦乱に覆われたアメリカ大陸に、新たな朝がやってくる。


「きれい……」


 愛しい男に抱きしめられながら、半獣人の少女は呟くように言った。

 そして、もう一人。


「……まったく、馬鹿なんだから」


 幌馬車の中で二人の会話に聞き耳を立てていたバーバラ・アンダーシャフトは、膝を抱えて丸くなった。


   ― ― ―


 ちなみに白カラスはいつ交尾するのかとわくわくしながら見守っていたが、眠気には勝てず、カネトリのすぐ隣でぐーすかと寝息を立てていた。

 その後、元気を取り戻したカネトリは、真正面きってシグルドに復讐しに向かったが、二、三発食らわせた後で、ちゃんとボコボコにされた。




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