Phase.65 発情期
65
「…………」
ぱちぱちと弾ける焚火を見ながら、リジルはぼんやりしていた。すでにバーバラとコゼットは馬車の中で寝息を立てている。見張りの必要もなかったが、どうしてか眠れなかった。
ゆらゆらと怪しく踊る炎が、幌馬車の幌にリジルの影を投影する。心なしか顔を赤らめる半獣人の少女は、周りに誰もいないのを見計らって、そっと股に手を伸ばし――
「おい、リジル」
「!」
そして、背後から気配もなく呼びかけられた声で、ピンと背筋と尻尾を伸ばした。
カネトリではない、低い男の声。ぎこちなく背後を振り向くと、シグルドが腕組みをして立っていた。
「し、シグルド……」
「……俺はなにも見ていない。隣いいか?」
「う、うん……」
〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を抱きしめ、心なしか縮こまる少女。その向かいに腰を下ろし、シグルドはたばこを取り出して、マッチを擦る。
ちょうどその時、カネトリが水浴びから戻ってきた。
「リジ……」
呼びかけようとして、焚火の側に
「なんで隠れるのさ」
「や、なんとなく……」
小声で応じ、一人と一羽は物陰から二人の様子を伺う。
静寂。シグルドは紫煙を吐いて、じっと少女を見つめていたが、うーんと唸って頭を掻き、懐から干し肉を取り出した。
「ジャーキー、食うか?」
「……ううん。大丈夫。ありがとう」
「そうか」
シグルドはたばこを咥えながら、干し肉を串に刺して炙り始めた。じゅうじゅうと肉の焼ける匂いが周囲に漂う。
「いつからだ?」
「えっ?」
「発情期だろ」
「…………」
その一言に、リジルは赤面した。唇をぎゅっと噛みしめ、頭を押さえて縮こまる。
「そう、なのかな……」
「初潮は来たのか?」
「しょ、初潮って……?」
「…………。……その、なんだ、血が出ることだ」
「出血はしてない。どこも撃たれてないし、擦り傷もない……はず」
「……そうか。大丈夫なら、いい」
シグルドは不愛想に言って、ふうふうと息をかけて干し肉を噛み千切った。
リジルはその様子をじっと見ていたが、無意識の内にぐううと腹の音が鳴った。
「あ……」
「食え」
「う、うん……」
差し出された干し肉に手を伸ばし、リジルはシグルドを見つめた。
「そ、それより……むぐっ、なんの用?」
「ああ。そうだったな。これを返しにきた」
シグルドは懐から拳銃と弾帯を抜いて、リジルに放り投げた。アイルランドで取り上げられたかつての商売道具、M一八九二ナガン・リボルバーだった。
「私の銃……」
「返す暇がなかったからな。整備はしてある。そのまま使え」
「ありがとう……」
リジルは南軍から奪った制式ホルスターを腰に着けて、リボルバーを吊った。ズシリとした、懐かしい重みだった。
「…………。……あの男との生活は楽しいか?」
「うん。この前、クリスタル・パレスってところに連れていってくれた。楽しかったよ。見たことないものばかりで……」
「そうか。それはよかったな」
ぱちぱちと弾ける炎を見つめ、リジルは小さく呟くように言った。
「ねぇ、シグルド……聞いてもいい?」
「なんだ?」
「その……最近、カネトリを見ているとね、お腹の下のほうが、なんか、こう、ぎゅーってなるの。もっとぎゅっとしてもらいたくて、ムズムズするの……これって、なに?」
「…………」
シグルドは夜空を仰いだ。雲一つない、降ってくるような星空を見つめ、心を落ち着かせるように深く深呼吸する。
カネトリは力なく膝をついた。震える手で、赤土を握りしめる。
「お前は……病気なんだ」
「そうなの?」
「ああ。獣人が定期的にかかる病気だ、それは。それだけだ。勘違いしなくていい」
「勘違いって?」
「…………」
沈黙。シグルドは手持ち無沙汰にバキバキと拳を鳴らした。
「どこまでやった?」
「どこまでって?」
「……キスはしたのか?」
「額にちゅってしてくれた。あと、たまに毛づくろいもしてくれる」
「そうか。あの男のことが……好きなんだな」
「うん」
リジルは嬉しそうに頷くが、「でも……」と言って両手を握ってうつむいた。
「カネトリには、結婚する人がいるの」
「…………。……詳しく聞こう」
いつの間にかシグルドはホルスターから自動拳銃を抜き、ガシャンと弾倉を装填していた。
「怖ぇええよ!」とカネトリは心の中で叫ぶ。生きた心地がしなかった。
「もしかしたら、カネトリは、私のこと、あまり好きじゃないのかもしれない。確かに、成り行きだし、いつも迷惑をかけてばかりで……あと、バーバラみたいに、おっぱいもないし……カネトリは……おっぱいが……」
「――いや、そんなわけないだろっ!」
カネトリは反射的に飛び出していた。これ以上、黙って聞いていることは不可能だった。
「カネトリ!」
「盗み聞きしていたのか。趣味の悪い奴だ」
「うるせぇ! リジル、誤解をするな。俺も、お前のことが大好きだ。もっと色々なところに連れて行って、ぎゅっとしてやりたいとも思ってる!」
「でも、私には……おっぱいが……」
「すぐに大きくなる! というか、その前におっぱいは関係ない! いやマジで、本当に、一切合切なにも関係ないんだ!」
「でも、前におっぱい飲みたいって……」
「わーわー! なにも言ってないです! 記憶にございません! 頼むから、あのことはもう忘れてくれ!」
「――殺す」
瞬間、シグルドは悪魔のような形相で駆け出していた。
「うるせぇ、やってみろ! そんなんで、俺は絶対死な――がはっ!」
カネトリも拳を握って迎え撃つが、シグルドは屈みこんで攻撃を躱し、同時に渾身のカウンターを腹に叩きこんでいた。
「カネトリ!」
「く、くそっ……ぐはっ!」
唾を吐いてその場にうずくまるカネトリに蹴りを加え、シグルドは手にしていた拳銃を向けた。カネトリが覚えているのは、そこまでだった。
銃声。薄れゆく意識の中で、カネトリはもう二度と貧乳いじりはしないと誓うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます