Phase.63 チャーチルの仲介
63
すでに陽は東の地平線の彼方に傾き、月明かりが無人の荒野を照らしていた。
周囲に電灯やかがり火の類はなく、光源と言えば幌馬車の天井に吊るされた石油ランプの薄明りだけだ。車内は沈黙に包まれていた。男たちは向かい合ったまま固く口を閉ざし、その周りの女性たちもみな等しく互いの様子を伺っている。
重苦しい空気に真っ先に根を上げたのは、英国からついてきた従軍記者だった。
「だっはっ! もう無理、ダメ。耐えられない!」
「チャーチル、お前は黙ってろ!」
「えー、チャーチルって誰ですか。なにその名家知らない」
アンダーシャフト社が派遣した従軍記者ウィンストン・スミスこと――ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチルは首を振って、カネトリの肩をポンと叩いた。
「事情はわかりましたって。あれでしょ、要するにこの男から、先輩がリジルさんを奪ったって話でしょう? 気まずいのはわかりますけど、こうなった以上、話を進めましょうよ」
「そうだぜ、
ビル・ドゥーリンはニヤリと笑って葉巻に火を点した。
「
「へっ、ここは
カネトリは苛立たしそうに軽く貧乏ゆすりをして、向かい側で足を投げ出している男を睨みつけた。
「この前はよくも……と言いたいところだが、事情は説明した通りだ。俺たちは西部に逃げる。お互い見なかったことにして、解放してもらえるとありがたいんだがな?」
「作戦行動中だ。民間人ならともかく、お前たちはそうじゃない」
「じゃあ、どうする気だ? 殺すのか? それとも、その作戦とやらが終わるまで、ぞろぞろ連れ回そうってか? こっちには体の弱った年寄りや女子どももいるんだぞ」
「捕虜は黙っていろ」
シグルドは腕を組んだまま、テンガロン・ハットを上げようともしない。
「捕虜になった覚えはない!」
カネトリは歯を噛みしめ、勢いよく立ち上がった。
「まずその帽子を脱げ! 人の話は目を見て聞きましょうってママに教わらなかったのか?」
「――動くな。殺すぞ」
その銃口は、心臓に一直線にポイントされていた。
「ぐっ……ひ、卑怯者め」
奥歯を噛みしめ、カネトリは振り上げた手をゆっくり降ろす。腰のホルスターに収まっているはずの武器は、今やなかった。
再び沈黙の帳が降りた。
「やめて」
一触即発の危機に、リジルは武器商人を庇うように前に出た。
「シグルド。カネトリを傷つけないで。私たちは関係者かもしれないけど、後ろにいるみんなは無関係……と、思う」
「まあ、それには一理ありますね!」
チャーチルは元気よく言って、三人の間に割って入った。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ。ほーら、銃を降ろしてください、エンジェル軍曹。ぷっ、エンジェル……エンジェル・アイズって……プー、クスクス……も、もっといい偽名があっただろうに……」
「…………」
無言のまま銃口が移動した。
「わー、嘘です、嘘、嘘! めっちゃ良い名前! 最高です、サー・エンジェル・アイズ! チャーチル家の名誉にかけて保証します。ほら、代々、
チャーチルは「ちょいと失礼」と言って、懐から葉巻を取り出した。先端を噛み千切り、マッチで火を点す。ふぅーっと深く息を吐きながら、その先端を揺らした。
「過去のいざこざはミシシッピ川にでも流して、ひとまず状況を整理しましょう。こちらの目的は、オクラホマ・パンハンドルにある南軍の秘密基地を破壊することです。先輩たちの目的地はコロラドでしたっけ? テキサス州の国境には南軍が張りついていますから、南回りではなく、北のカンザス経由ですね」
「そのつもりだ」
「それなら、簡単ですよ。このままピンカートンに連行される体で、北部に
「亡命だと? だが……」
「――それはできんよ」
そう言ったのは、それまで黙って聞いていたフィン老人だった。
「ほう。なぜです?」
「送還協定がある。準州とはいえ、オクラホマも対象だったはずだ」
停戦後、リンカーン大統領の奴隷解放宣言は有名無実化し、逃亡奴隷の大量流入に悩まされた北部の境界州は、以前のように南部との奴隷送還協定を結び直すことになった。黒人奴隷は対象外とされたが、亜人奴隷は国境を越えたとしても、その先ですぐに奴隷狩りに遭ってしまうのである。だからこそ、一行は送還協定のない西部を目指したのだ。
それを聞いたチャーチルはいたずらっぽく笑って、新聞の一面を取り出した。
「どうやら、南部ではまだ報じられていないみたいですね。先日、改正奴隷解放法案が議会を通過しました。つまりは、境界州の奴隷返還協定が撤廃となったのです」
「な、なんだと!」
ハックルベリー・フィンは新聞を奪い取るようにして一面を広げ、見出しを一読し、微かに肩を震わせた。
「ついに、ついに……この時が……」
「ハックおじさん、泣いてるの……?」
「ああ、ああ……。でも、悲しいんじゃないぞ。嬉しいんだ。こんなに嬉しいことはない……よかった。よかったな、コゼット……」
言葉の意味がわからず、小さく首を傾げるコゼットをフィンはぎゅっと抱きしめた。
「これは、
「いや、充分過ぎるほどだ。このまま馬車で何日も行くよりも、飛行船なら数時間だからな。冴えてるじゃないか、チャーチル」
満足そうに頷くカネトリに、従軍記者はニヤリと笑って続けた。
「その代わり、と言ってはなんですが……こちら側のメリットも欲しいところですねぇ」
「こちら側?」
「ピンカートンの、ですよ。街まで護衛するわけですからね」
「おい、護衛もなにも……」
「か、金なら……」
「いやいや、そんなもの、こんな荒野で何の役に立つんです」
チャーチルはちっちっちと指を振って、葉巻を吹かした。
「じゃあ、どうしろって言うんだ?」
「馬車に機関銃が積まれてましたね。あと、ダイナマイトと弾薬が何箱か」
「げっ、ヴィッガース銃か?」
「あれなら充分につり合いますよ。どうせもう使わないでしょう?」
「だが、うーん……」
場所が場所なら家一軒は建てられるほどの財産だ。カネトリは渋ったが、元々南軍から盗み出したもので、自分の
「わかった。全部やるよ。でも、俺たちの武器は返せよ」
「わかりました。それじゃ、これで
ウィンストン・チャーチルはポンと手を打って、背後の部隊長に視線を向けた。
「――と、これでいいですかね、アイズ軍曹。重火器が欲しかったんでしょう。強制的に取り上げるのも可哀そうですしね」
「……好きにしろ」
シグルドは手を振ってみせた。
馬車の空気が和らぐと、それまで緊張で一言も発せなかったバーバラがふーっと大きく息を吐いた。
「す、すごいじゃない、チャーチルさん! 見直したわ!」
「いえいえ、なんのなんの」
「ありがとう、チャーチル……」
「礼には及びませんよ。及ぶけどね! チャー、チャチャチャッ!」
「ちょっと、いきなり変な笑い方しないでよ……」
どこか釈然としないような面持ちで、カネトリは「前言撤回だ」と言った。
「チャーチル……お前は、やっぱり政治家に向いているのかもしれない」
「でしょう? 未来の英国首相に清き一票を。そんなものがあるのかはさておきね」
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