Phase.54 フォート・スミス





     54





 蒸気船〈ウィリー号〉に乗ってミシシッピ川に出た一行は、対岸のアーカンソー州の港町ナポレオン付近にある合流点から、泥で茶色く濁ったアーカンザス川を遡っていった。リトルロックを越えてさらに北上し、警戒の厳しい国境付近の砦、フォート・スミスの手前で上陸して三台の幌馬車に乗り換え、数頭の騎兵とともに南軍の輸送部隊に偽装した。

 やがて地平線の彼方にフォート・スミスの南軍の駐屯地が見えてきた。一、二階建ての低い兵舎が見え、その周りには新しく張られたテントが何列にも連なっている。周囲には野戦砲と弾薬の集積地が点在していた。

 国境付近の警戒に備えて増強された南軍の駐屯部隊だった。


「まさか、ここまで部隊がいるとは……バレたらひとたまりもないな」

「堂々としていれば大丈夫だ」


 丁度、プレイリー・グローブ方面に部隊を展開させる途中だったのか、途中で騎兵と物資を積んだ荷馬車の隊列とすれ違った。

 南軍将校の格好をしたハックルベリー・フィンは御者台の上で立ち上がると、被っていた山高帽を振って、大声で『自由の喊声バトル・クライ・オブ・フリーダム』を歌った。



Our flag is proudly floating on the land and on the main,

Shout, shout the battle cry of Freedom!

Beneath it oft we've conquered, and we'll conquer oft again!

Shout, shout the battle cry of Freedom!


 我らの旗は海陸に誇らかに翻る

 上げよ、自由の喊声を上げよ!

 かつての征服地を、我らは再征服するだろう!

 上げよ、自由の喊声を上げよ!



Our Dixie forever! She's never at a loss!

Down with the eagle and up with the cross

We'll rally 'round the bonny flag, we'll rally once again,

Shout, shout the battle cry of Freedom!


 我が南部連合よ永遠なれ! 南部連合は不滅である!

 鷲を打ち倒し、十字旗を上げよ

 我らはボニー青旗の下に再集結するだろう。

 上げよ、自由の喊声を上げよ!



 行軍に疲れていた兵士たちは思わず吹き出して笑うか、あるいは歓声を上げたり指笛を吹いたりと好意的に応じた。


「我らが南部連合に栄光あれ!」


 ハックルベリー・フィンは最後にそう叫んで御者台に腰かけた。


「おいおい……。さすがに肝が冷えたぞ」

「言っただろ、堂々とするんだ。ずっと昔、トム・ソーヤーに教えてもらったことの一つだ。嘘は堂々とつくもんさ」


 ニヤリと笑う老人に、カネトリは苦笑することしかできないが、確かに、この場ではとても有効に作用した。

 そして数時間後、〈トム・ソーヤー〉はフォート・スミスを抜け、『これより先の侵入を禁ず』の標識を横目に、北部合衆国領インディアン準州に入った。

 ついに南部からの脱出に成功したのである。


「エクソダスは成功だ! 神よ、感謝します!」


 荒涼とした赤土の大地に解放された者たちの歓喜の歌が響く。獣人奴隷たちは口々に神への感謝を口にし、互いに肩を組んで『リパブリック讃歌ザ・バトル・ヒム・オブ・ザ・リパブリック』などの讃美歌を声高らかに歌った。


 誰もがほっと安堵した、その時だった。



「ん、あれは……」


 先頭馬車の後ろで見張りについていたカネトリが、東の空に浮かぶ赤い物体を発見した。

 フォート・スミスから飛ばされたらしい南軍の観測気球だ。大きく膨らんだ気嚢には南部連合旗が意匠され、その下に吊り下がったゴンドラの内部で、ヘリオグラフの光がチラチラと反射しているのが見える。


「っ! くそっ、捕捉された! クロー、周囲の状況を確認してくれ!」

「仕方がないなぁ」


 カネトリはクローを偵察に放つと、馬車の前で手綱を握っていたハックルベリー・フィンに合図を出して、馬車の速度を上げさせた。


「スピードを上げろ! 距離を稼ぐぞ!」


 周囲の荒野には荒涼とした赤土の大地が広がっているばかりで、すぐに身を隠せるような場所は皆無だった。

 直後、後方で信号弾が上がった。ついに地上の騎兵隊に捕捉されたのだろう。


「クソったれ! 見つかっちまった!」


 八頭立ての幌馬車はもうもうと土ぼこりを上げながら全速力で進んだ。開拓者がとうの昔に放棄したらしい廃屋を横目に浅い川を越え、発見を僅かでも遅らせるために狭い渓谷に向けて曲がり、気球の視界から遠ざかろうと一心不乱に先を急ぐ。

 そして、その先に広がるのは、だだっ広い砂漠だった。晴天の灼熱の太陽の下、微かに蜃気楼に歪んでいて、それがどのぐらい広いのかは皆目見当もつかない。

 それと同時に、上空から白カラスが下りてきた。運動不足で息を切らした様子で偵察結果を報告する。


「はぁ、はぁ……三十人、ぐらいかな。正規の南軍騎兵隊じゃないみたいだけど、すぐ後ろに迫ってるよ。このままだと、あと十分ぐらいで追いつくかも」

「そうか……」

「ちょ、ちょっと、どうするのよ!」


 顔真っ赤にして腕を振るバーバラを一瞥して、リジルは〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を抱きかかえるようにして、カネトリに目をやった。


「カネトリ……」

「ああ。わかってる」


 カネトリは頷き、前方のハックルベリー・フィンに向けて言った。


「ハックさん! 船上で話した『もしも』の時のプランDだ」

「……仕方あるまい」

「えっ、プランDって……」

撃滅デストロイだ。ここで奴らを撃退する」

「げ、撃退って、そんな……」

「バーバラ、コゼットやその他の子どもたちを守るんだ。伏せさせて絶対に立たせるなよ」


 カネトリは詳しくは説明しなかった。そのまま渓谷を越えて、少し行った砂丘の上で馬車を並んで停車させる。男たちに『積荷』を下ろすように命じ、撃退の準備を始めた。


「リジル、作戦通りだ。いいな?」

「うん」


 リジルは頷き、レバーアクションでカチリと〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を鳴らした。




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