Phase.53 バーバラの決意




     53




「……はっ」


 コゼットはガタゴトと揺れる振動で目を覚ました。ゆっくり目を開けると、その視線の先に、見慣れない少女の顔があった。

 赤と銀の瞳をした、まだ微かに幼さを残す半獣人ハーフの少女が、こちらを心配そうに覗き込んでいる。


「……気がついた?」

「お姉ちゃんは……誰?」

「リジル」

「リジル……。私、コゼット」

「そう、コゼット……。もう、大丈夫だよ」

「…………」


 その一言を聞いた瞬間、じわりと涙が滲んだ。

 鳴くと鞭が飛んでくる――体に刻み込まれた躾を思い出して、咄嗟に涙を拭おうとするが、それよりも早く、コゼットの身体をリジルが抱き締めていた。


「大丈夫。大丈夫……ここはもう、安全だから」

「うっ、うっ……」


 緊張状態から解放された少女は震え始め、堰を切ったように涙が溢れだした。視界が歪み、痙攣したように嗚咽が止まらなくなる。


「うぁああああああん!!」

「…………」


 いつの間にか、コゼットはリジルにぎゅっと抱き着いて泣き出していた。

 貯め込んでいた痛みが、悲鳴が、叫びとなって車内に響き渡る。その場の誰もが少女に目をやったが、文句を言う者などは一人もいなかった。むしろ同情して涙を拭う者が多かった。

 この場に痛みを知らない者などはいなかったからだ。

 ひとしきり泣いた後、リジルはコゼットの顔をじっと見つめ、その頬にそっと手をやった。


「安心して、コゼット。あなたのことは、私が守る。誰にも傷つけさせない」

「ぐすっ、ぐすっ……。あり、がとう……おねぇちゃん」

「うん」

「…………」


 その二人の様子をすぐ傍で見ていたバーバラは、感極まって溢れ出た涙をハンカチで拭いて、目を真っ赤にしていた。

 その様子を見て、リジルは不思議そうに首を傾げる。


「バーバラ……なんで泣いてるの?」

「泣いてないわよ! 平気! というか、むしろ、アタシがあなたたちを守ってあげるわよ! 年上なんですもの!」

「バーバラ……銃は撃てるの?」

「じゅ、銃は撃てないけど……。でもほら、身を挺して庇うことぐらいは……」

「大丈夫。バーバラも私が……」


「――ダメよ」


 バーバラは胸を張ってそう言い捨てると、リジルとコゼットをその胸もとにぎゅっと抱き締めた。


「このアタシが、バーバラ・アンダーシャフトが、守られてばかりでなるもんですか! この戦争では全然なにもできてないけど……それでもね、リジル、それとコゼットちゃん。あなたたちこそ安心していいわ。あなたたちがもう二度とこんな目に遭わないようにするのが、このアタシの役目なんだから!」


「えっ、そうだったんだ……いつから……」

「今よ!! 今、アタシがそう決めたの!」


 その力強い答えに、リジルはふっと微笑んで頷いた。


「わかった。よろしく、バーバラ」

「任せないな! コゼットちゃんも、アタシを頼ってね!」

「う、うん……」


 その時、列車はゆるやかに速度を落としたようだった。窓がなく密閉された貨物室の中では、外の様子はわからないが、枕木を叩く音と床の振動が次第に小さくなり、天井に吊るされたオイルランプが微かに揺れて完全に静止する。

 直後、パンッと外からくぐもった銃声が響いて、乗客たちから軽い悲鳴が上がった。


「ちょ、なに? また撃ち合ってるの!?」

「――伏せて」


 リジルは咄嗟に二人を伏せさせると、〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を手にして車両の扉に向けて構えた。

 銃声はすぐに止み、辺りが静まり返った。ざわざわと乗客たちの囁きが広がる中、しばらくして扉が外から開かれた。

 差し込んできた外の光に目を覆いつつ、リジルはいつでも飛びかかれるように身構える。


「安心しろ、なんでもない!」


 外から顔を出したのは、地下鉄道の面々だった。その中に見慣れた顔を見つけたコゼットが、「ハックおじさん!」と声を上げて衝動的に跳びかかる。


「おお、コゼット!」


 ハックルベリー・フィンはその小さな身体を抱きとめると、その頭を優しく撫でた。


「よかった、気がついたのか……。すまない、コゼット……。迎えにいくのが遅くなった」

「うん……。でも、もう大丈夫……。ねぇ、ジムは? ジムも一緒にいるの?」

「ジムは……ちょっと遠くにいっているんだ」

「そうなんだ。早く会いたいね」

「ああ……」


 その様子を傍で見ていたカネトリの肩を叩いて、バーバラは胸を張って宣言した。


「ねぇ、カネトリ。アタシ、ロンドンに戻ったら救世軍サルヴェイション・アーミーに入るわ」

「えっ、救世軍? なんでよりによって……」

「前から考えていたことだけど、今、ようやく踏ん切りがついたのよ。南部とロンドンでは状況が全然違うけど、あの子たちみたいな、恵まれない子どもたちを助けてあげるの」

「そ、そうか……」

「えっ、バーバラ、陸軍アーミーに入るの……」

「違うわよ。殺すんじゃなくて、困った人や貧しい人を助けてあげる組織なの」


 困惑するリジルに、バーバラは笑って言った。


「それはそうとして、ここが終点?」

「いや、ルートが変更になった。ここからは船でいくらしい」


 一行はぞろぞろと列車から降りると、先頭の〈ビガイルド〉の面々に導かれて焼け焦げた駅舎を抜け、その先にある川に向かっていった。

 川岸には貨車に荷物を積み替えるための簡単な集積所があり、そこまでは火が回っておらず無傷のままだった。桟橋には一隻の蒸気船が係留されている。二つの煙突を持った昔ながらの外輪船で、後部には荷下ろしのための起重機クレーンが備え付けられていた。

 桟橋では黒い毛皮をした大柄のヤマネコ獣人がパイプを吹かしていた。不釣り合いに長い白いトップハットを被っており、『スチームボート・ビル』の口笛を吹いている。


「――船長のブラック・ピートだ。蒸気船〈ウィリー号〉へ、ようこそ」



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