Phase.52 ものまね鳥は殺された
52
ヘッドライトが照らす闇の奥に微かな光が見えた。それは目印として廃坑の奥で燃やされていた松明の灯りだった。
顔を煤で真っ黒にしたカネトリは、車掌の指示で運転台から飛び降りると、線路脇の
ポイントが切り替わった機関車は、ゆっくりと唸りを上げて、接続した廃坑に入っていく。
進む度に角度がついていき、やがて地下鉄道はガースビル鉱山の廃坑から地上に出た。夜明け前の薄暗い世界にもうもうと黒煙を立ち昇らせながら、ただひたすらに西に進路を取る。
カネトリは水筒で顔を濡らして、新鮮な大気を肺一杯に吸い込んだ。
「ぷはぁ! 生き返った! もう少しで窒息しているところだ!」
「新鮮な空気が吸えないというのが、地下鉄道の唯一の弱点だ。昔はもっと路線が長くてな。移動中に衰弱した奴隷が死んでしまうということもあったそうだ」
「少し停まって休憩するか?」
「ダメだ。時間はない。もうすでに『駅』が発覚しているかもしれないからな」
ハックルベリー・フィンは言って、パイプに火を点した。
頭上には夜明け前の瑠璃色の空が広がっていた。線路は鉱山に面した山道に沿って設けられており、耳を澄ますと蒸気機関の音に混じって、目覚めたばかりの鳥の鳴き声がした。渓谷の遥か下には、テネシー川の支流らしい激流がとうとうと流れている。
「もうすぐで夜が明ける。正午までにはアーカンソーに抜けるぞ」
ハック老人は長く煙を吐き出して、座席の下の荷物入れから革袋を取り出した。
「これに着替えろ」
「これは……南軍の制服か」
「そうだ。サイズはぴったりだろう」
カネトリは煤まみれの黒ずんだシャツとズボンを脱ぎ、真新しい灰色の制服に身を包んだ。
「カール・オオタ・ワイゲルト二等兵か。やれやれ……」
「よく似合っているぞ」
「あまり嬉しくはないな。で、これからどうする?」
「ひとまず、この先の停車駅でジムと合流する。先に行って用意をしているだろうからな」
「馬車に乗り換えるのか」
「そうだ。南軍の物資輸送隊に偽装する。フォート・スミスを越えて、オクラホマに入り……そこでインディアン・シティに向かう。駅馬車みたいに、各所で馬を入れ替えながら、夜通し進み続けなくちゃならん。だから一秒だって無駄にはできない」
「夜通しか。すごいな。そんなに馬を用意するのも大変だろうに……」
「我々には支援者がいる。フィッツ=ノーマン・カルペッパー・ワシントンの名を聞いたことは?」
「名前だけは聞いたことはある。時々、『フィナンシャル・タイムズ』の記事や長者番付に名前が載っているしな」
その名はアメリカを代表する億万長者の一人だった。ダイアモンド鉱山の発掘で一代で財を成し、その財力はデュポンやモルガン、ロックフェラーなどの
「まさか実在していたとはな。一説には、リッツ・ホテルよりもバカでかいダイアモンドの塊を所有しているなんて、そんな馬鹿馬鹿しい話も囁かれていたぐらいだが……」
「私も本人に面会したわけではないからなんとも言えないが、噂では彼はバージニアの出身らしい。奴隷制について昔から思うところがあったのかもしれないな」
「そうか。南部人も捨てたもんじゃないな」
カネトリは頷き、深々と南軍の軍帽を被った。
「西部というと、エルフ連邦……いや、その前の緩衝地帯か。ロッキー山脈連邦……あそこは政治的に色々とややこしいと聞いているが、大丈夫なのか?」
「はっきり言うと、無法地帯だよ」
ハック老人はパイプを咥え、ふんと鼻を鳴らした。
「だからこそ自由に動ける。南部国境を越えて、コロラドのサウスパークという無法者の町に向かう。そこまで行けば、あとはどこに行くなり自由だ。『サウスパークへ行こうぜ、悩みを忘れて♪ 自由に生きればこの世の楽園~♪』……ってなもんだ」
「自由に生きればこの世の楽園か」
「そう。北アメリカを取り巻くパワー・ゲームの
「…………」
その皮肉に、カネトリは苦笑いして肩を竦めることしかできなかった。
小一時間すると、完全に夜が明けた。まだ低い位置にある太陽が周囲を照らし出し、それまで線路を薄く覆っていた霧が一気に晴れた。
線路の先に給水所兼『サザナー・テレグラフ・カンパニー』のための連絡駅があった。六棟ほどの木造の小屋が立ち並んでいるが、それらはすでに黒ずんだ焼け焦げとなっているのが、煙にくぐもって遠方からも見えた。
「……待てよ」
ハックルベリー・フィンは機関車の速度を落とし、警戒のための汽笛を三回鳴らした。
そして小屋の少し手前で車両を停止させた。火種はまだ小屋の内部でくすぶっているようで、時々、建物からはパチパチと火がはじける音がした。
その時、パンと銃声がして、カネトリの少し後ろで積まれていた石炭がはじけた。
「くっ!」
カネトリが咄嗟に身を伏せると同時、ハックは機関室から大きく身を乗り出して手を振った。
「待て! 撃つな!」
「射撃中止! ……なんだ、〈トム・ソーヤー〉か。てっきり南軍かと思ったぞ」
しばらくして、線路脇で待ち伏せをしていた地下鉄道の面々が姿を現した。驚くべきことに、一人を除いて全員が女性で、使い込まれたライフルを片手に農民らしい小汚いボロを身に纏っている。
その中からリーダーらしい長身の青年が現れた。足が不自由なのか、びっこを引くようにゆっくりと近づき、ニヤリと笑って軍隊式に敬礼した。
「地下鉄道〈ビガイルド〉のジョン・マクバニーだ。よろしく、ハックルベリー・フィン」
「ああ、よろしく。合流地点はまだ先のはずだが……」
「お前たちに連絡事項があってな」
マクバニーはハック老人と握手を交わすと、すっと表情を戻して言った。
「『
「……本当か?」
「ああ。後は俺たちが引き継ぐ。陽動作戦は失敗だ。メンフィス周辺はもうダメだ。警戒線が張られてネズミ一匹入る隙間もない」
「そうか……。ジムは……」
「伝言を預かっている。『コゼットのことを頼む』と」
「……わかった」
ハックルベリー・フィンは踵を返し、再び運転席についた。
「どうしたんだ?」
「ルート変更だ。わしらは川から行くことになった」
「ミシシッピ川か。大丈夫なのか?」
「なあに。ミシシッピ川はわしらの庭みたいなもんだからな。昔はよく川下りをしたもんさ。懐かしいなあ、あの頃は……」
「…………」
「トム・ソーヤー、ジョー・ハーパー、ベッキー・サッチャー……そして、ジム。ああ、懐かしきあの日々よ。我が友はみんな逝ってしまった」
ハックルベリー・フィンは目を細めて笑った。その頬に一筋の涙が流れたが、カネトリは見なかったことにした。
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