Phase.46 ハックルベリー・フィン




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 その夜、人目がつかないように一人でホテルを抜け出したカネトリは、尾行がついてきていないことを確認しつつ、〈マスター〉から送られてきた指示書にあった南部のエージェントとの接触場所に向かった。

 安酒場〈セント・ピーターズバーグ〉のホールには三十脚ほどの小さなテーブルがあったが、いるのはカウンターで飲んでいる男とバーテンダーの老人だけだった。ガラス玉で飾られた青銅製のシャンデリアが天井からぶら下がり、窓のない地下酒場の壁には獣人奴隷が畑で綿花を収穫しているくすんだフレスコ画が掛けられている。

 カネトリは何でもない風を装いつつ、酒場の周囲を見回して男の一つ隣に腰かけた。


「いらっしゃい。ご注文は?」

「そうだな。ミルクでも貰おうか」

「ミルク……」


 その予想外の答えに、バーテンダーは訝しげな目をするが、何も言わずに氷室から牛乳瓶を取り出してカウンターに置いた。

 テンガロン・ハットを被った田舎者風の男は、やや苦笑交じりに応じる。


「おい、よそ者。さすがに酒場でミルクはないだろう。誰だか知らないが、ここはガキの来るところじゃねぇぞ?」

「生憎、勤務中に酒はやらないことにしてるんだ。過去に色々あったのさ。色々ね。……んで、あんたがカール・リンダースか?」

「そうだ。お前か。この街でクランの連中に目をつけられたとかいう馬鹿は」

「大層な物言いだが……その通りだ。前置きは省こう。助けがいる」

「……ちっ!」


 カール・リンダースはジョッキに残っていたビールを飲み干し、じろりと横目でカネトリを睨みつけた。


「……誰にも尾けられてないだろうな?」

「俺もプロだ。それは問題ない」

「ちっ! まったく、あの女も厄介事を押しつけやがる。こんなんじゃ、商売あがったりだぜ! なんで、この俺が厄介なお荷物を……」

「もちろん、相応の礼はさせてもらう」

「はっ、相応ね。俺たちは常に損得で動く。……一介の武器商人を助けたところで、見返りなんざたかが知れてるだろうが」

「俺だけなら、そうかもしれない。……だが、俺たちの連れはアンドリュー・アンダーシャフトの娘だ。あの男に貸しをつくれるなんて、それだけでも充分過ぎる見返りだとは思わないか?」

「…………」

「それに、だ」


 図星を突かれて思わず口を閉ざすリンダースに、カネトリは声を潜めて続ける。


「俺たちはすでに一蓮托生のはずだ。なあ、もぐり・・・の、カール・リンダースさん? ……あんた、ギルドの武器をオクラホマのエルフやインディアンに横流ししてるんだろ? このことがバレたら、縛り首は免れないぞ」

「……っ」


 リンダースの手がピクリと動いたのを見て、カネトリは「冗談だ」と軽く笑って言った。


「『正当な代価を支払う者に対しては、その買い手が誰であろうと、我々は買い手の人物や主義主張に関わりなく武器を売る』……それが俺たちのモットーだ。別にそれで脅すつもりはない。アメリカでは違法なだけで、あんたは武器商人として至極当然の仕事をしている。無法者や開拓者から身を護るための武器を先住民に渡したんだから、むしろ正規の軍隊に新型兵器を売りつけるよりも、まっとう・・・・な商売さ」

「まっとう、ね」

「そうさ。あんたは正義の味方だ」


 これには、さすがのリンダースも苦笑せざるを得なかった。

 弱者に武器を渡す、傍から聞くだけなら正義の行為だが、それは文字通りの建前に過ぎない。南北アメリカの両政府は先住民の反乱を恐れて武器の販売を禁止しているが、それはそれだけ先住民側に需要があるということの裏返しだ。

 彼らは中古品や銃身が曲がった不良品でも喜んで金を出す。普通の白人に売るよりも、そちらの方が断然金になるのだ。

 リスクに見合うリターンがあるからこそ、カール・リンダースも武器の密輸に勤しんでいるわけであり、それはカネトリとかいう、この目の前の男も同じなのだろう。

 主義主張イデオロギーよりも、利害関係インタレストのほうがわかりやすくて確実だ。

 そして、なによりも『信頼』に値する。


「どうだ?」

「……ったく、わぁったよ! しょーがねーな!」


 カネトリの差し出す手を、リンダースは確かに握った。


「で、どうする?」

「お前はタイミングがいい。今夜、ちょうど地下鉄道アンダーグラウンド・レールロードの出発が予定されていたんだ。俺は取引があるからついていけないが、彼らが持っている脱出ルートを使うといい」

「地下鉄道か。あまりいい思い出はないんだが……」


 カネトリはナッシュビルに向かう際に〈ジョン・ブラウン〉から襲撃を受けた経緯を話すと、リンダースは愉快そうに肩を震わせた。


「奴らは特別だからな。他はそこまで過激ではない。あんた、『奴隷泥棒トム』の名前を聞いたことは?」

「ああ、そう言えば、そんなことを言っていたな。トム・ソーヤー、南部ではかなり悪名高い人物らしいな」

「まあ、そりゃそうだろうな。先の南北戦争中、ミシシッピ州のセント・ピーターズバーグで奴隷の大量逃亡があった。その首謀者である〈トム・ソーヤー盗賊団〉のリーダーだ。マーク・トウェインって作家がその男の伝記を書いてる。南部では発禁だから、合衆国でしか買えないだろうが、機会があれば読んでみればいい」

「マーク・トウェインはトム・ソーヤーの大げさな嘘を真に受けて書いた。伝記というには、少々脚色が過ぎるがね」


 その時、グラスを拭いていたバーテンダーの老人が割って入った。カネトリは牛乳瓶の蓋を開けて、飲みながら興味深そうに頷く。


「へぇ、トム・ソーヤーをご存知で?」

「ご存知もなにも、『親友』さ」


 老人はそう言って、エプロンを外してカネトリに手を差し出す。


「失礼。申し遅れた。地下鉄道〈トム・ソーヤー〉の『車掌』を勤めているハックルベリー・フィンだ。よろしく、南部嫌い・・・・のカネトリ」

「ああ、あんただったのか……」


 反射的に手を握り返して、カネトリはようやく気づいた。目の前のバーテンダーは、昼間のブタ獣人のいざこざの後で話しかけてきたあの老人だったのだ。

 どうやら、初めから話を盗み聞きしていたらしい。


「どうだ、ハックさん。信用できそうか?」

「それは返答次第だ。カネトリさん、どうだね、今度こそ一杯奢らせてくれんか?」

「もちろん。今度は普通のミルクじゃなくて、バターミルクでも貰おうか」

「いい判断だ。うちのは特別、砂糖を多く使っているから甘いぞ」


 ハック老人は笑って頷き、ジョッキに特製のバターミルクを注いだ。

 南部の伝統的な飲み物であるバターミルクは、バターを作るために牛乳から分離したクリームを攪拌かくはんした後に残った発酵乳のことだ。ヨーグルトの触感にも近いが、やや酸味があり、それが口の中で甘くとろけてじつに美味しい。


「これはなかなかだ! もう一杯貰っても?」

「あまり飲むと腹を下すぞ」

「気にいってもらってよかった。脱出の前に、一つ協力してもらいたいことがあるんだが……構わないかな? 一人、どうしても今夜の深夜特急ミッドナイト・エクスプレスに乗せたい友人がいるんだ……」

「もちろん。俺たちにできることなら」


 お代わりをジョッキに注ぐハック老人に、武器商人は唇の上にできたミルクの口ひげを手で拭いながら頷いた。







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