Phase.45 逃げるは恥だが役に立つ




     45




 一方的な『商談』が終わった後、カネトリはウェイドの部下に案内されて、バトラー商会が保有する秘密電信を借りた。

 リッチモンドの支部は閉鎖に伴ってすべてのサービスを終了しているため、一度、英領バハマの支部を経由してから、ロンドンの本部に接続する。ナッシュビルとロンドンの時差は六時間なので、今の時間帯ならばちょうど〈マスター〉もいるはずだった。

 カネトリの読みは当たり、今月の初めに更新されたばかりの暗号表を見ながら打電すると、すぐに返事が返ってきた。



〈コチラ、カネトリ。アノ、ゴブサタ……〉

〈――ゴラアアアアア!! 出発ノ前ニ、連絡ヲ取ルヨウニト、アレホド事ヅケタジャロウガアアアアアアアアアアアアアア!!〉



「……ああ。めちゃくちゃ怒ってるな、これは」


 電信機から次々に吐き出される紙テープの穴越しに、激怒する〈マスター〉の様子が浮かんでくるようだった。

 これが電話じゃなくてよかったとカネトリは心からため息を吐いた。

 机の上はすぐに〈マスター〉の小言を暗号化した紙テープの山で埋まり、カネトリは折りを見て、ひたすらに『スミマセン、スミマセン、スミマセン!』と繰り返し打電し、タイミングを見計らって現時点での状況を端的に伝えた。

 しばらくして、ようやく怒りが収まったのか、〈マスター〉は本題に入った。


〈状況ハ把握シタ。今、ナッシュビル、ジャロウ? 前線カラハ遠イガ、少ナカラズ数日中ニ、ソノ町ハ戦場トナル。マッタク、面倒事ニ巻キ込マレオッテカラニ!〉

〈スミマセン、スミマセン、スミマセン……〉

〈オイイイイ! ソレバッカリカ! ……マア、イイ。ナッシュビル支部ガ閉鎖サレル直前ニ、密偵ヲ一人手配シテオイタ。コンナコトモ、アロウカト、ナ! 感謝シロ!〉

〈サスガデス、《マスター》! 素晴ラシイ!〉

〈フン、褒メテモ何モデンゾ。南部デ活動シテイル、モグリノ武器商人、カール・リンダース、指定ノ場所デ接触シロ。脱出ノ手配ハ、奴ガ整エル〉

〈アリガトウゴザイマス! コノ恩ハ――〉

〈ロンドン、ニ帰ッタラ、覚エテオレ。以上、通信終了〉


 その怖い一言を残し、暗号通信は一方的に切断された。

 しかし、さすがは〈マスター〉だ。フレデリックスバーグの陥落直後にすでに助け船を出してくれたらしい。その後、二重に暗号化された指令書が複数回、前後バラバラにされて送られてきたので、カネトリは解読しつつ、一人ほくそ笑んだ。


「クソったれのKKKめ……。武器商人が大人しく損すると思ったら大間違いだ」




   ― ― ―




「ハンガリーのコトワザにもある『逃げるは恥だが役に立つ』ってやつだ。決行は今夜すぐ、今から準備していて……おい、リジル、聞いているのか?」


 胸もとにそっと手をやったままのリジルは、カネトリにそう言われてはっと目を見開いた。

 もじもじと居心地の悪そうに身体をくねらせ、ようやく口を開く。


「……も、もし、吸いたいなら……」

「リジル、おっぱいはもういいんだ……。お前、そもそも胸ないじゃないか」

「えっ……」


 絶句する少女の肩をそっと叩いて、バーバラは口を閉ざしたまま首を振った。




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