Chapter.Ⅶ 東部戦線異常あり
Phase.40 〈USS エンタープライズ〉
40
「……んっ、なんだ?」
若き南軍少尉ジョーイ・スターレットは遠くで大砲が轟くような震動で目を覚ました。
最初、ジョーイは眠気まなこで、自分の耳を疑ったが、隣の寝床から起きた同僚が手にしたマッチの火を頼りにブーツを履こうとしているのを見て、仕方なく寝床から起き上がった。
冷水の入ったバケツに顔を突っ込み、タオルで首筋を拭くと、一気に意識が覚醒した。
「おい、なにが起きたんだ?」
「さあな。北軍の奇襲かもしれん」
「何時だ?」
同僚はマッチの火をかざして懐中時計を見た。
「あと半時間で夜明けだ」
「見張りの交代の時間には早いが、仕方がないな」
二人は小銃を手にしてテントから出たが、目が夜の闇に慣れるまで、しばらくその場に立ち止まらなければならなかった。
同僚は出てくる際にロープに足をかけて転んでしまい、闇の中で悪態をついた。
「くそが! 何も見えないな、まったく!」
しばらくして視界がぼんやりと見えてくると、二人はテント近くの高台に移動した。
二人は夜明け前の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。でこぼこ道に足を取られながら進んでいくと、背後のテントから同じように兵士たちが起き出し、ランタンの灯りが塹壕の溝に沿ってぽつぽつと点り始める。
やがて頂上に着いて遠くの敵陣を望むと、闇が重く垂れ込むような夜空を、サーチライトが引き裂いているのが見えた。
「忌々しいサーチライトめ。敵はああやってこちらの目を――んっ、見ろ、ありゃなんだ?」
双眼鏡を掲げた同僚がある一点を指差した時、砲弾が風を切るひゅーという鋭い音とともに頭上高くで榴散弾が炸裂した。
「危ない! 伏せろ!」
ジョーイは同僚の肩を掴み、塹壕のくぼみに引きずり込んだ。転がり込むようにして地面に身を伏せた直後、空中でばらまかれた鋭い破片が味方の陣地に降り注いだ。鉄片による蹂躙は数秒で終わったが、もの珍しさに高台に出ていた兵士の数人を引き裂き、重傷を負わせた。
幸い二人は無事だったが、一方の同僚は茫然自失し、ぱくぱくと口を動かしている。
「ありゃ……ありゃ、一体、なんだ?」
「なんだ、なにを見たんだ?」
ジョーイに首筋を掴まれて揺さぶられると、同僚ははっと正気を取り戻した。
「巨大な鉄の怪物だ! まるで要塞が動いているみたいだったぞ! 第一防衛線から三百メートルと離れていない位置で――」
そう言い終わらない内に、自陣からも敵陣に向けてサーチライトが照射され、南軍の砲列も北軍陣地に向けての応戦を開始した。耳をろうさんばかりの轟音が鳴り響き、巨大な闇を切り裂かんと鉄と炎が発射される。
「第二バージニア砲兵隊の砲撃だ!」
ジョーイは同僚から双眼鏡を奪い取ると、塹壕の溝から這い出し、地面に伏せたまま敵陣を観察した。
しばらくは闇に包まれて何も見えなかったが、味方のサーチライトが集中し、同僚の言った『巨大な鉄の怪物』が突如として姿を現した。
その揺らめく青白い光に照らされた物体は、まるで巨大な昆虫を思わせた。
鋼鉄製の六本脚に支えられた胴体は装甲巡洋艦ほどで、艦砲が並んだ甲板上を北軍の兵士たちが忙しなく動き、砲弾を運んだり、信号旗を揚げたりしている。ちょうど南軍の塹壕に向かって一歩目を踏み出したところで、両舷に突き出した銃座に据え付けられた機関銃が、足下に取り付こうとする蟻のような南軍兵士を掃射している。
その船尾には南部の諸州も含めた三十六の星が輝く巨大な星条旗が翻り、側面にその艦名が彫られている――〈USS エンタープライズ〉。
「北軍の陸上戦艦……。そんな、馬鹿な……完成していたんだ!」
先ほどから感じていた地面の揺れは、あれの足音だったのだ。
北軍の巨大兵器に対し、前線の兵士たちは成すすべもなく蹂躙されていた。一応、味方の弾丸も届いているようだが、装甲に当たって跳ねるだけで何ら効果を得ない。
「おい、ジョーイ。どうするよ?」
「どうするって……あんなの相手じゃ、どうしようも……」
ジョーイが見守る中、甲板の周囲に張り巡らされた排気口から勢いよく水蒸気が噴き出し、陸上戦艦〈USS エンタープライズ〉は地面を踏み締めるように身を屈めた。それぞれの脚と甲板の真下に杭が打ち込まれていく。
斉射体勢だ。初めて目撃するジョーイにも、そのぐらいはすぐに予想がついた。
「! やばい、伏せろ!」
すべての砲塔が照準を合わせた直後、砲口から噴き出した火炎が、夜明け前の薄暗い戦場を切り裂いた。
轟音が鼓膜を震わせた直後、第二バージニア砲兵隊が砲列を展開していた山頂の砲兵陣地で次々と爆発が起きた。着弾と同時に発生した衝撃波が雪崩のように広がり、塹壕の兵士たちに襲いかかる。同時にサーチライトが消え、砲煙に包まれた〈USS エンタープライズ〉が再び闇の中に姿を消した。
戦場が不気味な静寂に包まれる。遠くで悲鳴が上がり、恐慌をきたした兵士たちが闇の中で右往左往する様を、ジョーイと同僚はただ茫然として見ていた。
「誘爆したんだろうな。あそこの砲兵隊は壊滅かな……」
「ああ……」
「ま、まあ、大丈夫だって! 今こそヤンキーどもに南軍魂を見せつける時だ。あんな卑怯な兵器を怖がる俺たちじゃない! 夜が明ければ、こっちが逆に乗っ取ってやるぜ!」
「…………」
ジョーイは何も言わず、伏せたまま最前線に目をやった。
次第に闇が薄れてきたので、塹壕線のほとんどを見渡すことができたが、どこを見渡しても悲惨な光景しか浮かび上がってこなかった。陸上戦艦の周囲には不運にも踏み潰されてしまった肉片や機銃掃射によって撃ち抜かれた死体、瀕死の兵士が山となっていた。
動ける者は誰一人としていなかった。生き残った兵士たちは第二防衛線に後退し、土嚢袋にぴったりと身を寄せて、事の成り行きを伺っている。
斉射した後、〈USS エンタープライズ〉は同じ体勢を維持したまま沈黙を保っていたが、突如として甲板上からサーチライトの光が照らされ、甲板上の
『――南の同胞諸君、これ以上の抵抗は無意味だ。夜明けまで待つ。武器を捨て、手を上げて大人しく投降しなさい!』
これには周囲の南軍兵士たちから反感の声が起こったが、ブーイングが起こるだけで、他になにもできなかった。
この間、南部連合の砲兵隊は陣地の再構築を行おうとしたが、ほとんどの部隊はオードナンスBL十二ポンド野戦砲などの対歩兵用の榴弾しか持っておらず、戦闘ガーニーなどを直接狙うことができる徹甲弾を発射できる兵器は少数に留まった。その僅かな兵器にしたところで、仰角を最大にとっても陸上戦艦の胴体を攻撃できるかは不明だった。
そうしている内にも、辺りはますます明るくなってきた。暁の空が空の彼方に消えていき、東の地平線がレモン色に輝きだした。
寒々とした灰色の黎明の中、ついにジョーイたちにも命令が下った。
それは砲兵隊と機関銃部隊の斉射とともに、ダイナマイトや手榴弾を抱えて六本脚の片側を攻撃し、陸上戦艦を無力化するというものだった。
「間もなく残存する砲兵戦力が集中砲火を浴びせ、奴をひどく痛めつけるだろう! この機会を無駄にするな! 南部の意地を見せつけてやれ!」
「無茶だ……」
ジョーイは呟いたが、兵士である以上、上官の命令には逆らえなかった。兵士たちが稲妻型の塹壕に沿って集結し、決死の抵抗をしようと息を殺して合図を待つ。
しばらくして、ひゅーという音とともに百メートルほど前方で味方の砲弾が炸裂した。
砲兵隊の制圧射撃がフレデリックスバーグの砲兵陣地に轟き、同時に甲高い
「ウーラアアア――」「ウーラアアア――」「ウーラアアア――」
ジョーイの口からも、知らず知らずの内に叫び声が上がっていた。
大気をビリビリと震わせるような鬨の声は波となって広がり、南部の愛国者が一斉に塹壕を飛び出した。
「お母さん……」
突撃の瞬間、ジョーイの脳裏に浮かんだのは田舎の母の姿だった。走馬灯のように子どもの頃の思い出が駆け巡るが、直後、腕に走った痛みが思考を現実に引き戻した。見ると砲弾の破片によって片方の袖がズタズタに引き裂かれている。
見渡す限り鉄と火が荒れ狂っていた。陸上戦艦の周囲は砲煙に覆われ、砲弾の細長く噴き出す炎が
それは狂気の沙汰に近い突貫だったが、そうする他に攻撃の手段がないのも事実だった。
しかしながら、南軍は誰一人として気づいていなかった。甲板上の北軍兵士が、みな揃って不気味なガスマスクを着けているのを。
突撃の直後、〈USS エンタープライズ〉は蒸気機関の排気に混じって、もくもくと黒い蒸気を散布し始めた。この蒸気は空気よりも重く、液体のような動きで周囲の塹壕にゆっくりと流れ込み、突撃してくる兵士たちを覆い尽くした。
そして――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます