Phase.37 サン・オブ・ア・ガン!
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「くっ、このボクが的を外してしまうなんて……っ! そんな馬鹿なことがあるか! くそ、くそっ!」
優勝が確定した直後、ケビン・ストーンマンは顔を真っ赤にしてウィンチェスターを地面に叩きつけた。歯ぎしりして敗北の悔しさに地団駄を踏むが、やがてふぅっと深く息を吐いて、いつもの冷静さを取り戻した。
不自然なほどにこやかな笑みを浮かべ、好敵手にぱちぱちと拍手を送る。
「いや、悔しいですが、認めますよ。あなたの勝ちだ。さすがは英国から来ただけはある」
「……ありがとう」
少し迷った後、リジルはケビンから差し出された手を軽く握り返した。
「はぁ、はぁ……ケビン様! お昼をお持ちしました!」
その時、群衆を掻き分けてウサギ獣人の少女が姿を現した。身長に似合わないほどの大きなバスケットを抱えて、ここまで走ってきたのか息を切らしている。
その首には、タグのついた首輪が付いていた。
「……っ!」
声のかかった方を向いて、リジルははっと息を飲んだ。幼い頃に見た――今でも時おり夢に見る、姉の面影にそっくりだったからだ。
「フランソワーズ……」
「? おねーさん、誰?」
少女はきょとんと首を傾げた。
「コゼット、遅かったな。もう試合は終わってしまったぞ」
「遅れてしまい、申し訳ありません……」
「後で
「…………。はい……」
コゼットは俯き気味に小声で答えた。屋敷に帰った後に待っていることを考えて、その耳がしゅんと伏せる。
その小さな身体が震えているのを、リジルは見逃さなかった。
「ねぇ、お仕置きって――」
「それでは、これより賞品の授与を始める!」
リジルが発した問いは、保安官の声と楽隊の演奏に遮られた。
いつの間にか、先ほどまで射撃線があったところに表彰台が用意されており、リジルはトンプソンの指示に従ってその上に乗った。
係員らしい男がガラスケースの鎖を解いて〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を取り出し、保安官に手渡す。銃身を脇に抱えたまま、トンプソンはもったいぶった咳払いをした。
「えー、お嬢さん、名前はなんと言うのかね?」
「リジル」
「そうか、それでは、ミス・リジル……。これより、この賞品を……」
贈呈式が始まり、英国の国歌『女王陛下万歳』のイントロが流れ時だった。
突然、一発の銃声が会場に鳴り響いた。
「――っ!」
リジルが反応して身を屈めるよりも、銃弾がそれを貫くほうが速かった。
深く被っていた飾り帽子が宙に舞い上がった。その下に隠されていた獣の耳が明らかになり、トンプソンは思わず〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を落として叫んだ。
「
「えっ、獣人?」
「
それまでの歓声や拍手がピタリと止み、ざわざわと会場に困惑の色が広がっていく。
「あっーと、手が滑っちまった」
客席の隅でガン・ショーのようにリボルバーを手の内で回しているマニックスを睨みつけるのと同時、リジルは自分に向けられた感情が一気に増悪に転化したことを敏感に読み取った。
トンプソンは落としたウィンチェスターを拾うと、再び咳払いして一言だけ告げた。
「騙したのかね?」
「騙す?」
「我々を馬鹿にしていたのか、と聞いておるのだ」
「…………」
「この汚らわしい獣娘め!」
その時、観客席に座っていた婦人がビール瓶を投げつけた。瓶は狙いを外れて表彰台の下に当たり、粉々に砕けて中身のビールが地面にぶちまけられる。
リジルははっと息を飲んだ。群衆は次第に興奮の色を帯びてきたようで、どこかで「吊るしちまえ!」「殺せ!」と物騒な声が上がった。
「くっ、マズい流れだ……」
カネトリは小さく舌打ちしつつも交渉用の表情を浮かべた。ゆっくりと大股で歩き、落ちた帽子を拾い上げて保安官との間に割って入る。
「被ってろ」
「うん……」
リジルに帽子を渡すと、武器商人は平然として保安官に向き直った。
「えーっと、なにか問題でもありましたか?」
「ええ、大ありですな、英国からのお客人。これは、なんといか……前代未聞ですぞ!」
「前代未聞?」
「あってはならないことです。断じて、このようなことが起きていいはずがない! あなたはテネシー州の法律を御存知で?」
「いいえ。存じてませんが」
「このクソったれのジョン・ブル! ウェイドさんの客人だからって容赦しねぇぞ!」
怒りに駆られた観客席の一人が食べかけのチキンを投げつけた。一張羅を汚されて武器商人は顔をしかめるが、すぐに微笑を浮かべて肩を竦める。
「どうやら、嫌われているようですが」
「やめろ! 逮捕するぞ、貴様ら!」
トンプソンが怒鳴ると、騒ぎを聞きつけたのか、主催者席からウェイドが駆けつけた。
「どうかしましたか?」
「ああ、よかった。ウェイドさん。じつは……」
事情を把握すると、ウェイド・H・バトラーは驚いたようにリジルを一瞥し、それからカネトリに向き直った。
「まさか、彼女が獣人だったとは……。申し訳ありませんが、テネシーの州法では、公共の場では亜人は必ず見えるところに種族名が書かれた首輪を付け、人間の振りをすることが禁止されているのです。これを破るのは重罪で、悪質な場合だと死刑もあり得ます」
「彼女は人間ですが……」
「半分は、な。南部の『ワンドロップ・ルール』では、耳や尻尾などが形質遺伝しなくとも、四分の一以上の血が混じっていれば、その者は亜人と見なされる。本来ならば、逮捕して取り調べなければならない案件だが、あなたは英国からの客人だ。ここは穏便に済ませよう」
南部連合の保安官はリジルに向き直り、「降りろ」と短く言った。
「
「わかった」
「――待て、リジル」
踵を返して表彰台を降りようとするリジルを、カネトリが短く止めた。
「失格? それはおかしいな。あなたは『誰でも出場できる』と言っていたではないですか。『銃を持つ権利は誰にでもある』とも」
「人間には、ですよ。カネトリさん。前提からして違う」
「…………」
そういう国だと、ここに着く前から知っていた。本来ならば、『郷に入っては郷に従え』だ。以前のカネトリならば、その場を収めてトラブルを回避することに全力を尽くしただろうが、そのウェイドの物言いは、今のカネトリには到底受け入れられないことだった。
「彼女は、人間だ」
「あなたの国ではそうでしょうが、ここでは違います」
「いいや、違う」
「カネトリ……」
そう言って一歩も引かない武器商人を見つめて、リジルはぎゅっと胸が熱くなった。
傍で見ていたバーバラも、腕を組んで満足げに頷く。
「やるじゃない。見直したわ」
「いやー、どうだろう? あれはちょっと違うかも……」
白カラスは意味深に言って、保安官が脇に抱える優勝賞品をじっと睨んだ。
「困らせないでください。スピーチでは南部の権利を認めていたじゃないですか。てっきり、我々の伝統を尊重しているのかと思っていましたが」
「生憎、彼女は奴隷じゃないんでな。彼女は自分の力で優勝し、〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を手に入れた。こんなことが認められていいはずがない」
沈黙。ざわざわという群衆のどよめきに包まれながら、二人はじっと顔を見合わせた。
その中でもカネトリの脳はフル回転していた。勝ち目はないのはわかっているが、引いたら負けだ。保身を思うなら、このまま大人しく失格になったほうが一番手っ取り早いが、〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を諦めるのはあまりに惜しい。
……カネトリは自分がその一挺のライフル銃に魅入られていることに気づいていなかった。
「わかりました」
沈黙を破ったのは、主催者の方だった。
ウェイドは深いため息を吐くと、保安官から〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を取った。
「駅で感じた違和感は、このことでしたか……。まあ、ここは一つ貸しにしておきましょう。どうやら、あなたもこの銃に惹きつけられてしまったようですから」
「俺は当然のことを言っているだけだ。銃は関係ない」
「そうですかね? まあ、ルールはルール。参加時にしっかりと確認をしなかったこちらにも落ち度がある。お譲りしましょう。ですが……」
その瞬間、ウェイドの言葉を遮り、再び銃声が鳴った。
「――そうさ、〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉はこのケモノ娘のもんだ!」
あろうことか、パンパンと銃を鳴らして群衆に大声で呼びかけているのは、この状況を作り出した張本人、クリス・マニックスだった。
「お前ら、なにを女々しいこと言ってんだよ! 獣人の娘に負けた敗北者どもめ! どうするってんだ? 南部人らしく夜にリンチでもするか? 覆面を被って暗闇に紛れて後ろから襲いかかって、吊るし首にでもしようってんのか? 笑わせんなよ! お前らにこいつらをリンチするような度胸があるとでもいうのか? 俺は南部で生まれ育った、だからわかる! 所詮、お前らは正々堂々と戦う勇気もない臆病者さ! だから、外国人にみすみすと〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を奪われちまうんだ!」
「くっ、こいつ……」
一見すると擁護しているようでいて、じつは増悪を煽っているだけであることに気づいて、カネトリは拳を握り締めた。
群衆の興奮は今や一触即発の状態まで高まり、その怒りの矛先はカネトリ一行と主催者側に向けられている。射撃大会の参加者の多くが銃を持っており、このままでは悲惨な銃撃戦に発展しかねない。
その場の警備員たちも冷や汗を流してウィンチェスター銃を握り締めた。
「マニックス、やめろ!」
これ以上、群衆を興奮させないようにウェイドは強く言った。部下の奇行にため息を漏らし、手を軽く振って、会場に紛れる部下たちに合図する。
「――
突然、群衆の中から白装束の不気味な男たちが現れた。狩猟用の散弾銃やライフルを手にし、群衆を威圧するように表彰台を取り囲む。同じように市庁舎内からも武装した男たちが現れ、階段の上に一列に整列した。
群衆の興奮は一転し、会場の周囲は水を打ったように静まり返った。
「……んなっ」
これに一番驚いたのは、当の武器商人だった。
一同が息を飲んで見守る中、主催者のウェイド・H・バトラーは隣のリジルに視線を向け、にっこりと微笑んで〈ワン・オブ・ワン・サウザンド〉を手渡す。
「優勝おめでとう」
「……ありがとう」
パチパチパチと表情の見えない白装束の集団から拍手が上がった。それにつられて、会場に無言の拍手が広まっていく。
ウェイドは踵を返して表彰台を降りると、唖然としているカネトリに言った。
「ああ、先ほど言い忘れていました。……どうぞ夜道にお気をつけて。ここは南部ですから」
「ご、ご忠告、どうも……」
「ですが、どうかご安心を。
「……か、感謝します」
ウェイドはカネトリの肩をポンポンと叩くと、そのままクリス・マニックスと白装束の集団を引き連れて市庁舎に引き上げていった。
男たちが去ると、会場の空気が一気に弛緩した。水を差された観客たちがぞろぞろと会場を後にする。カネトリ一行も茫然と立ち尽くしていたが、バトラー商会の使いに声をかけられ、馬車に乗ってホテルに向かっていった。
それを傍から見ていたケビンは、ちっと大きく舌打ちをした。
「獣に銃を持つ資格はない。銃を持っていいのは『人間』だけだ。……なあ、そうだろう、コゼット?」
「痛っ!」
首輪を掴んで無理やり顔を近づけ、少女の所有者は低い声で続ける。
「なあ、どうなんだ?」
「は、はい……。そうです……」
「あの銃は……ボクのものだ」
敗北の恥辱に増悪を燃やしながら、ケビン・ストーンマンはうわ言のように繰り返した。
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