Chapter.Ⅵ バトラー商会

Phase.32 テネシー州入植百周年記念祭



     32




「さあ、さあ! お立合い! 世にも珍しい喋る白ネズミの登場だ! お喋りハツカネズミの口笛を聞こう!」

「お嬢さん、あんたの運を試してみないかね? たったの一セントで豪華景品が!」

「電気仕掛けの異世界に行こう! ゼネラル・エレクトリック社がお送りする! 世紀の立体キネトスコープをどうぞ!」

「最新の回転木馬メリーゴーラウンドだよ! コルセットを締めたご婦人はご注意を!」


 ナッシュビルの街は祭りのムードに包まれていた。通りには見世物小屋や露店が立ち並び、道行く家族連れや恋人たちに商人たちが呼びかけたり、はやし立てたりしている。住人たちは綿菓子や風船を手に散策し、雑踏の密度をさらに上げている。

 通りの電柱にかかる横断幕には、『テネシー州、入植百周年記念!』とあった。


「こんな時に祭りなんて気楽なもんだ」


 書斎の窓から大通りの喧噪を眺めながら、三つ揃いの黒スーツを身につけたウェイド・H・バトラーはコーヒーを片手に言った。


「まるで戦争なんてどこでも起きてないみたいじゃないか。いつ国境を越えて北軍が攻めてくるかわからないのに……」

「しょうがないわよ。実際、バージニアは遠いものね」


 薄桃色の小さいユニコーン――ボニーは言って頭の角で器用に『ザ・テネシアン』の紙面を捲った。ケンタッキー州のミル・スプリングスに北軍が集結しているというもっぱらの噂を、テネシー軍を率いる老将、ネイサン・ベッドフォード・フォレスト大将がきっぱりと否定するインタビュー記事が載っている。

 曰く、『テネシーは平和である。奴らが攻め込まない限り、我々からケンタッキーに攻め込むことはない』とのこと。


「フォレスト将軍も当分の間は大丈夫だろうってよ」

「まあ、一理ある。北軍は短期決戦を狙っているからな。バージニア戦線に戦力を集中させて一気に片をつけるつもりだろうが、リッチモンドには『石壁ストーン・ウォール』ジャクソン大統領がいるんだ。そう簡単には落ちない。いずれ、ここに火種が広がるのも時間の問題だ」

「あなたの言う、『秘密兵器』の出番がなければいいわね」

「ああ……。そうだ。秘密兵器は使わないに越したことはない」


 ウェイドがコーヒーを一口飲んだ時、書斎の扉がノックされ、秘書らしい眼鏡の中年女性が顔を出した。


「ウェイド様、そろそろ」

「ああ。わかった今行くよ」


 ウェイドは踵を返して書斎を出た。バトラー商会の前で待機していた大きな二頭立て馬車に乗り込み、中心街のナッシュビル・コンフェデレート駅に向かう。

 ネオ・ロマネスク建築の高層駅はまるで高い城のようだ。アイルランド人の建築家であり、ナッシュビル鉄道の機関長でもあったリチャード・モントフォード氏に設計された鉄道駅は、テネシー州の入植百周年記念行事に合わせて完成したばかりだった。

 真新しい鉄道駅はテネシーと南部の繁栄の証であり、遥か頭上の時計台にはためく南部連合旗がそれを証明していた。すでにサザン鉄道を通して南部各地からのレールがひき入れられ、多くの住人やテネシー軍の兵士たちが駅前を行き交っている。

 ウェイドは馬車を降り、〈将軍号〉のために特別に借り切ったプラットホームに足を向けた。途中、地下鉄道の襲撃に遭うなどトラブルに見舞われたものの、積荷は無事で予定の時間から二時間ほど遅れるだけだとロングストリート砦から電報を受けていた。

 市長の演説に間に合いそうでよかったとウェイドはほっと安堵のため息を吐き、襟を正してアンダーシャフト社からの使いを受け入れる心の準備をする。

 しばらく待つと、レンガ壁に埋め込まれた蒸気駆動画キノトロープがカタカタと回転し、目的の〈将軍号〉が間もなく到着することを告げた。やがて、吹き抜けのホーム内に反響する汽笛とともに一台の蒸気機関車が入ってきた。

 ウェイドはシルクハットを脱いで客車の前に立ち、自らの代理人と荷物を持って降りてきた武器商人一行を迎え入れる。武器商人であろう男とその妻らしい女、そしてなぜか白カラスを肩に乗せ、ライフルを背負って出てきた風変わりな少女。


「むっ……」


 ふとした違和感を覚え、ウェイドは眉間にしわを寄せて少女をじっと見つめた。その怪しむような視線に気づき、少女も赤と銀の瞳を向ける。

 一瞬の間。その膠着は長くは続かず、マニックスによって破られた。


「よう、ウェイドさん。連れてきたぞ」

「ご苦労だった、マニックス。……バトラー商会の副支配人、ウェイド・H・バトラーです。ロンドンから遠路はるばるナッシュビルまでご足労いただき、ありがとうございます」

「これはご丁寧に。武器商人カネトリです。この度は……お悔やみを申し上げます」

「いえいえ、それにはおよびません。あなた方が来てくれたおかげで、レットおじさんアンクル・レットも浮かばれることでしょう」


 ウェイドは商業用の笑みを浮かべて武器商人と握手を交わすと、「早速で申し訳ありませんが……」と本題に入った。


「じつは、今、祭りの最中でして、カネトリ様にお願いがあるのです」

「祭り、ですか」

「ええ。今年はテネシー州が成立してからちょうど百年の節目に当たりましてね……。まあ、北部合衆国ステイツからは脱退したわけですが、ご存知の通り、ここは境界州なので立場が少し複雑なこともありまして」

「ええ。それはわかります」

「この後、午後からパーティが行われる予定です。急で申し訳ありませんが、アンダーシャフト社からのお客様として出席していただけませんでしょうか? そして商会から市長への武器贈呈の後で、なにか軽いスピーチを行って欲しいのです。内容は何でもいいので」

「……なるほど」


 こんな有事にまさか祭りが行われているとは思わず、カネトリとしてもその提案は寝耳に水だったが、取引先の頼みとあっては断れない。武器商人は少し考えて了承した。


「私にできることでしたら、協力しましょう」

「ありがたい! では、早速こちらへ……」


 一行はコンフェデレート駅を出て、ウェイドの馬車に乗って市庁舎に向かった。

 市内での武装は認められているが、市庁舎に入る場合は、さすがに銃は預けなければいけなかった。カネトリとリジルは銃を預け、その後に続いて階段を上がる。

 会場は広く、豪華に飾り付けられていた。ホールの天井には鏡のように磨かれた銀のシャンデリアが吊るされ、壁掛けの燭台とともに大理石の床を照らしている。植木鉢と色とりどりの花々で飾られた壇上には、X型十字を描く大きなテネシー州の戦旗ディキシー・フラッグが掲げられ、ネイサン・ベッドフォードとリー将軍、『偉大なる南部の指導者』ジェファーソン・F・デイヴィス初代大統領の肖像画が掛けられていた。

 すでにステージには黒人の楽隊が待機していて、ゆっくりとしたテンポの愛国歌『ボニー・ブルー・フラッグ』を演奏していた。部屋の隅に腰かける盛装した婦人たちに、アメリカ式のタキシードを着けた給仕係の獣人が忙しなく飲み物を運んでいる。


「カネトリさん、開場までしばらくお待ちください」

「ああ、ありがとう」


 ウェイドが一礼してその場を後にし、バーバラは周囲を見てため息を吐いた。


「こんなパーティに出るんだったら先に言えばいいのに……。それだったらもっといいドレスを着てきたわ」

「気にするな。それより、なにを話すか考えないと……」


 なるべく当たり障りがなく、記憶に残らないものがいい。カネトリがメモ帳に内容を書いて整理していると、リジルが近づいて小声で告げた。


「カネトリ……あの人、どう思う?」

「あの人って、ウェイドさんのことか?」

「うん」


 リジルがこんなことを言うのは初めてのことだ。カネトリは手帳を閉じて顔を上げた。


「優しそうな人だとは思ったが、それだけだ。なにか気になるのか?」

「少しね」


 リジルはそれだけ言って、じっと黙り込んだ。

 カネトリはその問いの意味を聞き出そうと口を開くが、その前にバーバラに遮られた。


「ねぇ、リジルちゃん。ちょっと」

「なに?」

「いいから」


 バーバラはリジルの手を引いて、ホールを出て行った。


「ちょっと、一ペニー使いにね……」

「…………。……トイレじゃないの?」

「いや、そうだけど。あんまり直接言わないほうがいいわよ、レディなんだから」

「…………」


 どうして自分も一緒にいかないといけないの、と質問しようか一瞬考えたが、賢明な少女はなにも言わないことにした。きっと知らないだけで、これもレディの作法なのだろう。

 市庁舎は大きく、内部の案内表示も出ていないのでトイレを見つけるのはかなり苦労した。ようやく入ろうとしたところで、世話役らしいメイドに呼び止められた。


お嬢様方レディース、すみませんが、そこは有色人種カラード用トイレとなっております。奴隷用は地下、白人ホワイト用はもっと先にございます」

「だからなによ? ここにトイレがあるのに、なんでわざわざ遠いところにいかないといけないのよ」

「すみませんが、規則ですので。……ジム・クロウ法をご存知ないのですか?」


 そう不思議そうに訊かれ、バーバラははっと息を呑んだ。そして、ここが異国の地であることを思い出し、ぎゅっと手を握った。


「外国の方が知らないのは仕方がないことですが、法律に違反した場合は……」

「……知ってるわ。南部の人種隔離政策よね」

「それはよかった。法律は外国の方にも適応されますので、罰金を避けるためにも、滞在中は人種に見合った場所・・・・・・・・・をご利用していただくようお願いします。まあ、これは善意からでもあります。黒人や亜人デミューマン用のトイレなんて、臭くて汚くて入れたものじゃありませんからね」

「…………」


 バーバラはぎゅっと拳を握り、やり場のない怒りに震えた。

 これが戦争してまで守りたかった南部の大儀なのかと、悪態の一つでもついてやろうかと口を開くが、ここで騒ぎを起こしてカネトリに迷惑をかけるわけにはいかないと思い直す。


「行きましょ、リジルちゃん」

「うん……」


 バーバラに手を引かれて廊下を行きながら、リジルは先ほどのメイドの言葉を思い出した。

 どうやら亜人用トイレは地下にあるらしい。半獣人ハーフにどちらを適応されるのかは、これまでの経験上、明らかだった。


「バーバラ、私は……」

「いいの。あなたはあたしと一緒のトイレを使うの!」

「うん……」


 バーバラにぎゅっと手を握られ、リジルは頷いた。


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