Phase.29 〈ジョン・ブラウン〉




     29




 列車は地下トンネルを抜け、リッチモンド郊外ののどかな田園地帯を走り抜ける。

 一行を乗せた〈将軍号〉はやがて鉄橋を渡り、アポマトックス川を越えた先にピーターズバーグ市の街が現れた。リッチモンドに負けず劣らずの都市で、中心のピーターズバーグ駅には南部の諸州に向けたサザン鉄道の軌条レールが何本も張られていた。

 戦争に備えて大量の物資がフレデリックスバーグの前線に送られており、停車場には食料や弾薬を満載した荷車や馬車が延々と連なって、ものすごい混雑と化していた。前線から送還されてきた負傷兵が降りては、また新たに前線に向かう兵士が乗り込んでいく。

 蒸気ガーニーの汽笛や馬の嘶き、馬車のわだちに足を取られて喚く声や元気のよい愛国歌の合唱、兵站部隊の怒号、誤って発砲したのであろう銃声……足の踏み場もないほどの停車場の混雑を窓の外に眺めながら、その間を割って何事もないように進んでいく。


「まるでモーセね」

「言えてるな。前線からのエクソダスってわけにはいかないけどな。むしろ、今から行くのは西部戦域ウェスタン・シアターの最前線だ」


 正面に座るバーバラの呟きに、カネトリは頷いて答えた。


「テネシーってここと同じ境界州でしょう? 大丈夫なの?」

「まあ、時間の問題だ。今のところは小競り合いだけで大規模な戦闘は起きてないらしいが、ケンタッキーの州境に大規模な部隊が集結中という噂もある」

「巻き込まれないかしら」

「その前に帰るさ。バトラー商会に大砲を届けた後はすぐにニューオーリンズまで下って南部とはおさらばだ」


 石炭と水の短い補給の後で、〈将軍号〉は再び汽笛を鳴らして発車した。

 それから数時間、汽車の車窓には様々な景色が広がった。綿花の大規模農園プランテーションや幅の広い川、大きな町に小さな村、手作りの教会、停車場、牧場、湖の周りの湿地、見晴らしのよい丘、山のふもと、果てしない森林……確かに、チャーチルの言った通りだった。列車の窓からは新大陸の広大な自然を余すことなく鑑賞することができた。

 ただ、それがアメリカの真の顔であるとは、カネトリにはどうしても思えなかった。

 真の顔というのは大体において隠されているものであり、この百年で人工的に造られ、今後も発展を遂げることがほぼ約束されている『自由の帝国エンパイア・フォー・リバティ』の真の顔が、こんなに美しい景色に収まるはずがない。

 おそらく建国の理性の仮面の下には、恐ろしい現実が潜んでいるに違いない。

 それが見られるのは、都市ではなく戦場だと武器商人は知っている。大英帝国の醜い現実が戦場や植民地に広がっているように。


「…………」


 カネトリは後方に流れていくブルーリッジ山脈の山々から視線を外し、反対の座席に座って先ほどからじっと無言で窓の外を覗いている少女の後ろ姿を見た。スカートの腰もとが微かに揺れている。

 どうやら興奮しているらしい。あまり尻尾を振り過ぎないようにと注意しようと思ったが、生理現象なら仕方がないなとすぐに思い直した。

 カネトリはなんだか微笑ましくなり、南部の暗黒面である奴隷制や戦争のことなど、もはやどうでもよくなった。獣人の尻尾は素直でいい。あの尻尾と戯れたいと思ったが、そんな男の邪な視線を察知したらしい、少女もその色の異なる瞳を男に向けた。

 その不思議そうな視線に、さすがのカネトリも自嘲し、何でもないと手を振った。


「…………」

「なにか変なこと考えてるでしょ?」

「え」


 正面の席に視線を戻すと、腕を組んだバーバラが訝しげな視線を向けていた。


「はっ、何を根拠に……」

「鼻の下伸ばしちゃって……。なにを考えてるか当ててあげましょうか?」

「いや、いいです……」


 カネトリは新聞に戻った。

 日が傾く頃、〈将軍号〉はテネシー州ノックス群に入った。山間の曲がりくねった道を進み、目的地であるロングストリート砦を目前にして突然、列車が急ブレーキで停まった。


「リジル、どうしたの?」

「……嫌な予感がする」


 耳もとで囁くクローに、リジルは腰のナイフケースに手をやって答えた。


「なんだ、どうした?」


 カネトリたちが客車と機関車の間から外に出ると、無数の岩が線路上を塞いでいた。

 機関士たちが線路の前で慌ただしく石をどかしている。


「落石か」

「いや、違うな。これは……」


 クリス・マニックスはニヤリと笑い、ホルスターに手をかけた。

 直後、谷間に無数の銃声が鳴り響き、少し離れた小高い崖の上に一人の黒人が現れた。首を吊られている老人が意匠された青い旗を持ち、金管拡声器スピーキング・トランペットを掲げて呼びかける。



「――我ら、地下鉄道アンダーグラウンド・レールロード〈ジョン・ブラウン〉! これより、この列車は我々が占拠……」



 銃声。その先は言えなかった。

 ピースメーカーを抜いたマニックスが男の眉間を撃ち抜いていたからだ。ぐたりと腰砕けになったように力を失った黒人は、旗とともに線路脇の岩の上に落ちる。


「『ジョン・ブラウンの亡骸は墓の中で朽ちるジョン・ブラウンス・ボディ・ライズ・ア・モーディング・イン・ザ・グレイブ』ってな……。おい、武器商人アームズ・ディーラー。楽しくなりそうだな?」

「なっ……いきなり撃つなんて」

「先に撃ってきたのは奴らのほうだ。これがアメリカ式だ」

「くっ、野蛮人ヤンキーめ!」


 カネトリたちは客車に戻った。周辺に潜んでいた地下鉄道の男たちが次々と叫び声を上げて発砲し、マニックス率いる護衛との銃撃戦が始まる。

 銃弾が飛び交う中、カネトリは身を屈めて後ろの貨車に移動した。銃架から予め備えていた武器を取り出し、急いで反撃の準備を始める。弾薬箱アーモ・ボックスに張っていた防水用のアルミニウムを破り、中から弾薬を取り出してポケットいっぱいに詰める。


「ちょ、ちょっと、なに!? どういうこと!?」

「バーバラ、危ないから客席の下でじっとしてろ。窓には近づくなよ!」


 カネトリはそう言って座席の下にバーバラを押し入れた。それから護身用の中折れ式拳銃を二つに折って弾を装填し、白カラスとともに押しつける。


「えっ、えっ?」

「デリンジャーだ。弾は二発。相手に向けて、引き金を引くだけ。間違っても味方を撃つなよ!」


 カネトリは席を立った。木箱から今では時代遅れのフォーリングブロック・アクション式の単発ライフルを取り出し、アンダーシャフト七ミリ弾を装填する。


「リジル、そう言えば、銃を渡してなかったな。ライフルは撃てるか?」

「うん。なんでも」

「オッケー。旧式のアンダーシャフト銃だ。装填の仕方は……」

「大丈夫」

「頼もしい!」


 カネトリはホルスターからウェブリー・リボルバーを抜き、リジルもスカートのポケットに弾薬を詰めて兵士たちの加勢に加わった。

 リジルは列車の窓をライフルの銃床で割り、そこから外の男たちを狙った。七十五年式アンダーシャフト銃はマルティニ・ヘンリー銃の改良型であり、一発撃つごとに銃床下のレバーを下げて装填し直さなければならなかったが、その命中精度は高かった。

 リジルは一発ずつよく狙って撃ち、そのほとんどを命中させた。


「おっ、中々やるな、お嬢ちゃん」

「…………」


 兵士の一人にそう言われたが、リジルは答えなかった。代わりに車内に侵入しようと走ってきた男を無言で撃った。

 おそらく、これほど強烈に反撃されるとは想定していなかったのだろう、待ち伏せのわりに〈ジョン・ブラウン〉の襲撃の手際は悪かった。何人かが客車を制圧しようと死角から乗り込んできたが、その度に反応したリジルに撃たれた。

 半獣人ハーフの優れた聴覚は、この騒音の中でも完全に周囲の状況を把握していた。

 護衛の兵士たちは客車に固まって撃ち合っていたが、ただ一人、クリス・マニックスだけは屋根の上に登って走りながら後方の貨車に取りつこうとする連中を排除していた。両手に二挺のピースメーカーを持ち、背中にはショットガンを吊り、まるで三文小説ダイム・ノベルの挿絵に出てくるカウボーイさながらの姿だった。



万歳ウラー! 万歳ウラー! 〈ジョン・ブラウン〉万歳!」



 クリス・マニックスは後方車両に走りながら楽しそうに撃った。


「なんで、こんなことに……。畜生、俺は兵士じゃないんだけどな!」


 カネトリもウェブリーを二つに折って、新たに装填してから撃った。


「…………」


 リジルも相変わらず無言で撃った。


「やっちまえ!」「ぶっ殺せ!」「皆殺しにしろ!」


 谷は銃声に包まれた。兵士たちも撃ち、機関士たちも撃ち、地下鉄道の『駅員』たちも撃ち、ただ一人を除いて、その場にいる全員が銃弾の応酬を続けた。


「やー、みんな派手だねぇ。さすがはアメリカって感じ!」

「楽しんでんじゃないわよ! ちょっ、本当、なんなのよ! もう……っ!!」


 これではせっかくの鉄道旅が台無しだ。この場で銃を撃ってない唯一の乗客は、座席の下で白カラスとともに身を縮こませながら憤慨した。





―――――――

星の数ほどもある物語の中から、本作をお読みいただきありがとうございます!

この先も『UNDERSHAFT』は続いていく予定ですが、やはり反応が皆無だと小説が面白いのかどうかも判断がつきませんし、モチベーションに繋がりません。

なので、もし小説を読んで面白いと感じた方がいれば、「♡応援する」へのチェックや★の評価、応援コメントなどよろしくお願い致します!

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