Phase.26 くっ、殺せ!




     26




 無数の燭台が立てられ、ゆらゆらと揺れる炎が部屋の中心に横たわる老人を照らしていた。

 高級品の黒いラシャ地の服を身につけた背の高い老人。かつては黒かった髪や口ひげも今や白くなり、生前、その口もとに浮かんでいた大胆不敵な微笑みは今や影も形もなく、安らかに瞳を閉じて永遠の眠りについている。

 この人物こそが、かつて第一次南北戦争中の封鎖破りブロケード・ランナーで財を成し、停戦後の再建特需も相まって南部有数の大商会を築き上げた男、レット・バトラーだ。


「ウェイド……」


 棺の前に胡坐をかいていた喪服の男は、そう呼ばれて振り返った。


「ボニーか。母さんは来てたかい?」

「来たけど、すぐに帰ったみたい。仕方ないわよ、こんなご時世だもの」

「そうか……」


 それはピンクがかった体毛を持つ、珍しい仔馬ポニーだった。山羊ほどの小さな身体の頭部には、ユニコーン種らしい小さな角がついている。

 喪中の厳粛な雰囲気も相まって、棺の側に立つ一角獣は幻想的な雰囲気を湛えていた。


「母さんは、バトラーおじさんアンクル・レットを愛していたと思うか?」

「さあ。どうかしら……。本当は愛していたのかもしれない。でも、気づくのが遅すぎたのね、きっと。人間は大事なことにはなかなか気づけないものだから……」

「そうかもしれない。だけど、少なくとも、母さんは僕を愛してはいなかった」


 見るからに気弱そうな茶髪の優男――ウェイド・H・バトラーは吐き捨てるように言って、立ち上がった。


「『辛い時代は去った、私はかつてのようにディキシーの地に蘇る。明日は明日の風が吹くけど、北風は二度と吹かないわ。もう、二度と!』だったか。……今にして思えば、皮肉な話だな。レットおじさんアンクル・レットはヤンキーが再び攻めてくることを見抜いていた。そしてこうも言っていた。『南部の生活様式は中世の封建領主の体制みたいに古色蒼然としている。これまで存続してきたのが不思議なぐらいだ。消滅せねばならないんだ』ってね。似た者同士だけど、母さんとは真逆の意見だった」

「どうやら、その点はバトラーさんのほうが正しかったみたいね」

「ああ、三十年あまりの短い平和だった。北風は舞い戻りぬカムバック・ザ・ノーザンウィンド、さ」


 ウェイドは皮肉交じりに言って、ボニーの頬を軽く撫でた。


「ああ、可愛いボニーマイ・リトル・ボニー……。そのおじさんもついに逝ってしまった。これからこの商会を仕切るのは、僕だ。どうしたらいいと思う?」

「あなたはどうしたいの?」

「僕か……そうだな」


 バトラー商会の副支配人は考え込むようにじっと口を閉ざした。元来の控え目な性格からか、これまでに自分のやりたいことを考えることなど、あまりなかったのだ。

 短い沈黙の後、ウェイドは顔を上げて力強く言った。


「僕は、南部を守りたい。野蛮人ヤンキーの魔の手から、南部の伝統を、綿花を、土地を、そして奴隷を!」

「…………」


 ボニーは沈黙し、その顔をじっと見つめたまま言った。


「これは、そのための集会なのね?」

「そうだ。そう言えば、義父さんは僕らの活動にも懐疑的だったな。何度も支援を頼んだのに……ついに、認めてくれなかった」

「私だって認めてないけど」

「わかってる。僕も初めはそうだった。でも、みんなを守るためには仕方がないことなんだ」

「仕方がない、ね」

「…………」


 その時、部屋の扉がノックされ、頭の尖った白い頭巾を被った男が顔を出した。


総司令グランド・ウィザード……お時間です」

「ああ」


 いつもの優しそうな男の顔は、すでにそこにはなかった。

 棺の上に置かれていた赤い覆面と同じく真っ赤な夜間着ローブを身に纏う。ローブの胸もとには白い十字架とテネシー州の軍隊旗が意匠されたワッペンが縫われていた。

 最高幹部グランド・ウィザードの証である仰々しい白銀の首飾りとたすきを肩にかけ、マントを翻して颯爽と部屋の外に出る。

 廊下には幹部の男が二人待機しており、頭を下げてグランド・ウィザードの後に続いた。

 屋敷の庭に出ると、同じような白装飾を身に纏った男たちが燃え盛る松明を手にして円陣を成していた。円の中心には丸太で組んだ巨大な十字架が建てられており、その足下には灯油を染みこませた藁が敷き詰められている。



「――団員たちよクランズ・マン刮目せよアテンション!」


 一人だけ赤のローブをまとった最高指導者はその中心に立ち、団員に大声で呼びかける。


「我らが南部は今、危機に瀕している! 勇士たちよ、立ち上がる時は来た! 我らKKKが今こそ表舞台に立つ時だ。偉大なる南部のリーダーにして結社の創始者であるベンジャミン・キャメロン大佐は、この時のために〈クー・クラックス・クラン〉を組織したのだ!  確かに我らが連合政府は泣く泣く黒んぼダーキーを解放した! 仕方がない。彼らは色こそ黒いが科学的には人間で、それは英国の支援を得るためだった」


 そこでウェイドは一息つき、両手を大きく広げた。


「……だがしかし、亜人はそうじゃない! 奴らは人間じゃない! 我々の財産だ! 絶対に渡してはいけない! これ以上、北の野蛮人ヤンキーの言いなりになってはいけないのだ! 南部の独立を守れ! クランズ・マン、十字架を掲げよ!」


 グランド・ウィザードの掛け声に従い、団員が一斉に松明を掲げる。胸を熱くする高揚感がその場の男たちを包んだ。


「かつて主は言われた。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ、と! クランズ・マン、十字架を讃えよ! 神のためにフォー・ゴッド! 故郷のためにフォー・カントリー! 結社のためにフォー・クラン!」

「ホワイト・パワー!」「ホワイト・パワー!」「ホワイト・パワー!」


 周囲の男たちが拳を掲げて連呼するのを聞いて、ウェイドは覆面の下でほくそ笑んだ。

 恩人の死は悲しいが、もはやそんなことはどうでもよかった。この全能感に勝るものはない。金などでは決して買うことのできない恍惚エクスタシーだ。きっと過去の預言者たちも、同じような快楽に浸ったに違いない。



十字架の前へフォアード・ザ・クロス!」



 団員たちが中心に向かっていき、松明が投げ入れられる。夜空に黒煙を立ち昇らせながら、十字架に放たれた炎は一気に燃え広がった。

 ぱちぱちと飛び散る火の粉。脳裏をよぎるのは、幼い日の記憶だ。第一次南北戦争、南軍がゲティスバーグで辛うじて勝利を収め、英国の仲介を受けて停戦交渉に向かう中、シャーマン准将率いる北軍がテネシーの前線を突破してアトランタまで侵攻し、非道にも町中に火を放ったのだ。

 赤く燃え盛る西の空。雷鳴のように遠くで轟く砲声。避難民たちの怒号や叫び。周囲には煙が充満して呼吸もままならず、見えるものと言えば混乱に右往左往する群衆の影だけ。

 まだ歩き始めて間もないウェイドは母親の裾を掴んで身を縮め、何が起こっているのかもわからないまま、郊外に避難する馬車の上でガタガタと恐怖に震えていた。怯える息子に余裕のない母親は「しっかりしなさい!」と平手打ちで応じた。

 しかし、激しい叱責の言葉も、幼子にはトラウマを植えつけるだけの効果しかなった。

 平和だったウェイドの世界は、この時を持って崩壊したのだ。しばらくして北軍は撃退されたが、無事に焼け残った屋敷に戻ってからも、ウェイドは悪夢にうなされ続けた。夜中に目を覚ましては、ヤンキーの影におののいて叫んだ。

 そんな息子を母親は疎ましく思い、「なんて手のかかかる子なんだろう! お前なんか生まなきゃよかった!」と何度も怒鳴るのだった。もとより、さほど子どもの面倒を見ない母親ではあったが、その僅かな愛情でさえも、アトランタ侵攻とともに去ったのだ。

 北軍への憎しみを瞳にたぎらせ、ウェイド・H・バトラーは顔を上げる。



「諸君、団結せよ! 今夜はそのための供物を持ってきた」



 グランド・ウィザードの合図に従い、屋敷から鎖に繋がれた亜人が引きずり出されてきた。

 一晩中鞭打たれて皮膚が剥がれ、全身が真っ赤な血に染まっていた。顔が腫れ上がるほどに殴られていたために、草原人エルフらしい美形はどこにも見当たらなかった。エルフは獣人などと違って人間とほぼ同じ身体つきをしているので、長い耳だけが唯一、彼が亜人であることを示していた。些細な差異だが、この地においては絶望的な差異だった。


「クランズ・マン、南部では各地で悪がはびこっている! 『地下鉄道アンダーグラウンド・レールロード』だ! 〈トム・ソーヤー〉を始め、〈ジョン・ブラウン〉や〈ハリエット〉、〈ナット・ターナー〉、〈ガンダルフ〉、〈アナコスティア・ライオン〉、〈ニュートン・ナイト〉……どいつもこいつも忌々しい反逆者トレーダーの名前ばかりだ! 地下鉄道に死を!」

「「「地下鉄道に死を!」」」

「こいつは奴隷でありながら地下鉄道に協力した。残念だが、裏切り者には制裁を与えなければならない……」


 グランド・ウィザードは言って、ほぼ瀕死同然のエルフを下に見た。


「レゴラス君、なにか言い残すことは?」

「……くっ、殺せ」

「お望み通りに」


 今や焼け落ちつつある十字架の前に拘束台が運ばれた。木台に手足を固定されるその間も、亜人の青年――レゴラス・シンダールは無言で男を睨みつけていた。


「その目はなんだ」

「哀れだな、クズの白人めホワイト・トラッシュ。俺が死んでも……地下鉄道は止まらないというのに」

「そういえば、お前は結局、誰一人として仲間の名を口にしなかったそうだな。感心するよ、さすがは〈トム・ソーヤー〉だ」

「…………」

「そう言えば、インディアンは戦った者の健闘を讃えて相手の頭部を剥ぐらしいな? ああ、エルフの文化は違ったか。まあ、どうでもいいが」


 グランド・ウィザードがナイフを振るい、熱い衝撃が走った。レゴラスは遅れてやってきた激痛に顔を歪める。


「くぐぅ……っ」

「エルフの長い耳にはまじないの力があると、黒んぼダーキーどもが言っていたが、それは本当か?」


 歯を食いしばって必死に耐えるエルフの青年に、覆面の指導者は切り落としたばかりの長い耳を振って見せた。


「くっ、白い悪魔ホワイト・デビルめ……。地獄に落ちろ!」

「地獄に落ちろか、酷い言われようだ。なあ、レゴラス君。主人と奴隷、我々は長い間うまくやってきたじゃないか。どうして地下鉄道トム・ソーヤーなんかに協力したんだ? こうなることは初めからわかっていただろう」

「どうしてだと! 強姦魔め! お前たちが娘を……」


 その先は言えなかった。傍で控えていた団員の一人に切り取られた長耳を口に詰め込まれ、ベルトで顎が固定されたからだ。


「なるほど。そうか……。どうやら、我々には酷い行き違いがあったようだ」


 グランド・ウィザードは深々と頷き、無事なほうの耳に「お前を許そう」と囁いた。

 その言葉に思わずレゴラスは顔を上げた。


「KKKは慈悲深い。今、聖火でお前の罪を浄化してやろう。その次は、娘だ。名前は確か、アルウェンとか言ったかな?」

「~~っ!!」


 一抹の希望の直後に待っていたのは、奈落の絶望だった。

 亜人の異教徒の頭に油が注がれた。まるで聖水式のようにゆっくりと、「汝、自らの光を受け入れるかドゥ・ユー・チューズ・トゥ・エクセプト・ヨア・ライト?」の楽しげな声とともに火が放たれた。燃え盛る業火の中でレゴラスは声にならない叫びをあげて身をくねらせた。

 周囲にエルフの肉の焼ける嫌な匂いが漂う中、興奮して叫び声を上げる男たちにグランド・ウィザードは命じる。


「クランズ・マン、夜の平和を守れ! 『夜の騎士団ナイト・ライダー』よ、出動せよ!」





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