Phase.24 極東情勢




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「まったく、先輩ったらひどいなー。『チャーチルではありませんように』って、普通、本人に言いますかね?」

「すまん。つい、本音が……」

「本音って。まあ、別にいいですけど! どうせ俺は嫌われ者ですよー」


 腕を組んでむくれる青年を、元上級生は笑ってなだめる。


「まあ、そう言うなって。それにしても驚いたぞ、チャーチル。お前がハーロー校を出た後、俺と同じ軍人コースで士官学校に入って騎兵隊に配属されたってとこまでは聞いていたが……まさか、アンダーシャフト社にいるなんてな」

「別に社員ってわけじゃないですよ。去年まで観戦武官としてキューバに行ってたんですが、その時に小遣い稼ぎとして革命とか戦闘の様子とかを記事に書いて雑誌社に送ってたんです。それが運よくアンダーシャフトさんの目に留まったようでね、アメリカでまた戦争があるから行ってくれって、そういうわけです」

「もしかして、『デイリー・グラフィック』に出てた、ホセ・マルティの暗殺作戦って……」

「ああ、それ俺です。ホセ・マルティの暗殺のためにピンカートン探偵社の特殊部隊と一緒にいましてね……まあ、詳しい経緯は記事に書いた通りですよ」

「さすがだな。学校ではあんなに落ちこぼれだったのに……」

「戦争に数学とラテン語のテストはありませんから」


 得意気に胸を張る後輩に、カネトリは苦笑して頷いた。


「鞭打ちもないことを祈ってるよ。学生時代はお前といるとロクな目に合わなかったからな」

「えー、そうでしたっけ? そんな昔のことなんて覚えてませんよ」

「お前……相変わらずだな」


 幌馬車の隊列はノーフォーク港を離れ、やがてハンキー・ドリー街道に出た。バージニアを横断するジェームズ川に沿って北上し、首都リッチモンドへ向かう。

 内陸部に向かうごとに港に満ちていた戦争の緊張感は薄れていき、畑と森の南部の牧歌的な風景が広がる。ちょうど収穫時期らしく、綿花畑には多くの畑奴隷フィールド・ハンドが摘み取りに出ていた。獣人奴隷や解放黒人の小作人たちは腰を屈め、低い声で震えるような農園歌プランテーション・ソングを歌っている。

 幌馬車の隊列に出くわした奴隷たちは作業の手を止め、一体、これは何事かと視線を向けた。大方、サーカスか巡業劇団ヴォードビルの一団とでも思ったのだろう、中には無邪気に麦わら帽子や首に巻いたタオルを振る者もいる。

 窓の外に軽く手を振り返し、チャーチルは隣の席のカネトリに視線を移した。


「先輩、どうですか、南部は。のんびりしてていいでしょう」

「まあな。話に聞くよりは悪くないように思えるな。今のところは、だけど」

「慎重ですねぇ。まあ、先輩は根っからの奴隷廃止論者アボリショニストでしたからね。南部に偏見・・を持つのは仕方がないかもしれません」

「お前は違うのか?」

「奴隷制はくだらないと思いますが、人種隔離政策は妥当だと思いますよ。だって人種間に優劣があるのは当然じゃないですか。白人われわれが亜人や他の人種よりも優れているのは自明の理でしょう。こんな大帝国を築いたのですから」

「それは違う。帝国はいずれ滅びる。今の清やオスマン帝国がいい例だ。英国もその宿命から逃れるなんてできないはずだ」


 その言葉に、チャーチルはふんと鼻を鳴らした。


「それはアジア人だったからでしょう。あんな黄色の猿や魚人ども……」

「俺にその黄色人種の血が混じってることを忘れているようだな?」

「おっと、そうでした。撤回しますよ。日本ジャパンは、ほら……色々と厄介な国ですから。まさか、中華帝国ミドル・キングダムを倒してしまうなんてね。国中が阿片だらけで腐敗していたとはいえ、余計なことをしてくれたものです」

「英国に責任があるとは思わないか?」

「思いませんね。麻薬は使う側の問題でしょう。なぜ、中国人チンクの責任を英国が負わないといけないんです?」


 政治家の息子らしい答えだった。チャーチルは足を組んでスーツの懐から葉巻ケースを取り出す。


「お前、葉巻なんて吸ってるのか……」

「キューバで覚えました。今やもうこれなしじゃ……まあ、これも麻薬みたいなものですね。自己責任ですよ。一本いいですか?」

「ダメだ。バーバラとリジルがいるんだからな。レディの前では遠慮しろ」

「ちぇー」


 チャーチルは口を尖らせたが、二人の視線に気づいて、にこりと微笑んでケースを戻した。


日本人ジャップがやらかしやがったせいで中国情勢は今や一変しました。列強はどこも目の色を変えて乗り込んでやろうと息巻いてますよ」

「アフリカの次は中国を分割か。忙しいことだ」

「問題はロシアの南下政策ですよ。いつの時代もね。昨年の三国干渉はあまりに露骨でした。結果、ロシア海軍は第二の不凍港である旅順を借領し、朝鮮半島でも親露派が台頭しつつある。火種は残っていますし、再点火するのも時間の問題でしょう」


 愉快そうに告げる若き騎兵将校に、もう片方の武器商人は眉をひそめて腕を組む。


「……ロシアとの戦争は起こると思うか?」

「いずれ、そう遠くない内に」


 チャーチルは即答した。


「正直に言うと、俺はそこまで東アジアに感心があるわけではないのですが……。それでも、ロシアと日本については注目していますよ」

「もしそうなったら……お前はどうなると思う? タイムズやデイリー・テレグラフの論説と同じ立場か? ほら、先週ちょっとだけ話題になった貴族院の……」

「んー、どうでしょうね。……まあ、ただ一つ言えるとするならば、あの島国はまず勝てないということですよ。単純に国力差がありすぎます。兵力差は三倍、軍事費は八倍、海軍力にも二倍近くの差があります。大体、清に勝てたのも怪しいぐらいで……」

「大事なのは武器をどう運用するかだ。戦力を過信するとロクなことにならない。サムライを甘く見た英国艦隊がどうなったか忘れたのか?」

「…………」


 チャーチルはふと口を閉ざして、静かに頷いた。


「そんなこともありましったけ。まあ、俺が生まれる前の話ですけど」


 前年の生麦事件ナマムギ・インシデントがきっかけで発生した六三年のカゴシマ砲撃作戦では、薩摩藩サツマ・ドメインの予期せぬ反撃を受けた結果、出動した艦隊七隻の内、半数以上が沈められるという大敗北を喫した。

 その後、講和交渉の末に和睦が成立したのだが、当時、世界最強と謳われていた英国艦隊が敗北したニュースは欧州中に衝撃をもたらす結果となった。


「サツマの魚人部隊による水中からの刺突爆雷……確かに、遥か極東の海で戦うには少々分が悪い。今も海援隊サカモト・ネイビー による海上優位は保たれたままです。……やはり、何だかんだ言っても亜人の力は侮れない。認めたくはないですが、この点だけは我々が亜人に劣っている部分です。英国も日本に倣って亜人の特殊部隊を創設するべきですね」

「へぇ、お前がそんなことを言うなんて意外だな。てっきり、他の奴らみたいに亜人を見下してるかと思ってたよ」

「俺は差別がある事実を認めているだけであって、必ずしも亜人や黒人やアジア人を見下しているわけじゃないですよ。偏見は瞳を曇らせますから。それに、差別なんて要は使いようじゃないですか。民族間の対立を煽ったり、団結を高めたり……」

「お前は政治家に向いてるよ、チャーチル。俺は投票しないけどな」


 カネトリの皮肉をさらりと受け流し、チャーチルは楽しそうに続ける。


「むしろ、俺は日本のことは高く評価してますよ。他の列強に対する番犬ウォッチ・ドッグとしてね。今の内から手綱を握って躾けておくべきでしょうね」

「せいぜい、飼い犬にしようとして手を噛まれないようにな」

「その点はご心配なく。日英同盟アングロ・ジャパニーズ・アライアンスの提案は、むしろ日本にとってのメリットのほうが多いでしょうから」

同盟アライアンス?」


 その予期せぬ単語に、カネトリは思わず目をしぱたたかせた。


「突拍子もない話だ。そんなのが実現するわけないだろ」

「いや、実際、これはあり得ない話ではないですよ。中国利権をドイツとロシア‐フランスの同盟から守るためにも、日本と手を組むのは、むしろ歓迎するべきでしょう。ただ、もちろん、リスクもあります。黄禍論ってわけではないんですが、キューバ革命に参加した身からすれば、日本はスペインと戦争になるかもしれない」

「へぇ、またどうして」

「フィリピンですよ。最近、あの島の独立派を日本が支援しているらしくて……」



「――ちょっと、二人とも!」



 そこで、聞きかねたバーバラが割って入った。


「さっきから黙って聞いてたけど。あんたたち、せっかく再会したのに政治の話しかしないの?」

「ああ、そうだな。すまん」

「もっと他に色々あるでしょう? 友達のこととか、思い出話とか……せめて馬車の中ぐらい戦争じゃなくて楽しい話をしてよ」


 呆れたように言うバーバラに、チャーチルはニヤリと笑みを浮かべて言った。


「兵士と武器商人が戦場で出会ったら、自然と政治談議ビジネス・トークになると相場が決まっているんですよ、ミス・バーバラ」


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