Phase.23 特派員チャーチル





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「まったく、どうしてこんなことに……」


 船室で積荷リストの最終確認をしながら、カネトリは一人ため息を吐いた。

 まさかバーバラがアメリカに同行してくるとは、まったくの予想外だった。乗り込んだ時点で有無を言わさずに下ろすことも考えたが、あの性格では梃でも動かないだろう。現に説得を試みたが、無駄に終わったのだ。


「レースの前にお金を貸すって話してたの覚えてる?」

「えっ、ああ。そういや……。でも、もう別に貸してくれなくても……」

「あの時、『なんでも言えよ』って言ったわよね? 五十ポンド、すでに振り込んだわ。条件は私も一緒に南部に連れていくこと。いいわよね?」

「…………」


 約束は約束だ。カネトリはしぶしぶ了承した。厄介なことになると決まったわけではないが、戦場ではなにが起こるのかわからないのだ。もし、事件に巻き込まれて愛娘になにかあれば、アンダーシャフトに殺されてしまう。

 間違いなく、バーバラは輸送中の積荷の中でも一番厄介な爆弾・・だ。

 武器商人は頭を抱え、リストの下に小さく『バーバラ・アンダーシャフト』と書き加えた。『取扱注意』とも。


「ちょっと、カネトリ! リジルちゃんが首に付けてるのなによ! バンドか何かと思ったら、これ奴隷用の首輪じゃない!」


 突然、船室の扉が開け放たれ、件の幼馴染がリジルの手を引いて怒鳴り込んできた。

 カネトリは咄嗟にノートを重ねてリストを隠し、バーバラに向き直る。


「ああ、それか……。リジル、前にも言っただろ、変に誤解されるから必要な時以外は付けるなって」

「ごめんなさい。でも、もうすぐで南部に着くから……」

「どういうことなの?」

「南部連合国はそういう国なんだよ。もしリジルが逃亡奴隷と思われたら面倒だろ? 立場をいちいち説明して回るより、奴隷として振舞ったほうがいいこともあるってことだ」


 それを聞いて、バーバラはほっと胸を撫でおろした。


「なんだ、そうだったのね。私てっきりカネトリの趣味かなんかだと」

「まあ、それは……」

「否定しなさいよ!」

「なんだよ、本人が気にいってるなら別に問題は……」


 その時、ボーっと警笛が鳴らされた。カネトリは懐中時計を確認し、満足げに頷く。


「時間通りだな。みんな、甲板に上がろう。珍しいのが見られるぞ」


 三人が晴れ渡った青空の下に出ると、大きな波が押し寄せて〈サプライズ号〉を揺らした。

 左舷に目をやると、大量の泡とともに水しぶきが上がった。鉄の艦橋が海面から突き出し、それから細長い胴体が海水を滝のように落として浮上してくる。


「なにあれ、潜水艦?」

「ああ。ブルース・パーティントン級二番艦〈HMS ピーター・シンプル〉だ。こいつがノーフォーク港まで護衛エスコートしてくれる」


 艦橋から白い制服の士官が出てきて、『我に続け』と手旗信号を送る。これで北軍も迂闊には手を出せないだろう。

 マストの上で他の海鳥たちと戯れていた白カラスが降りてきて、いつもの肩の上の定位置に収まった。


「どうだ、北軍の船はあったか?」

「南軍と睨み合ってる数隻がいるけど、攻撃するつもりはないみたい。カモメたちが言うには、大規模な海戦もまだ起きてないってさ」

「まだ、か……。海上封鎖も時間の問題かもな」


 カネトリは頷き、それから苦笑した。


「ロキアにも前に言われたっけ。海の上だと、まるでジョン・シルバーだな」

「フリントだっけ? あんな馬鹿なオウムと一緒にしないでよ」


 クローは心外だと言わんばかりにぶるりと羽を震わせた。

 英国海軍に護衛された〈サプライズ号〉は、行き来する南部の船舶を威圧するような戦艦と沿岸砲台が並んでいる北部のデルマーバ半島を横目に、ノーフォークに入港した。

 入国の手続きに問題は起きなかったが、北軍が目と鼻の先にいることもあって、港は一触即発のピリピリとした緊張に包まれていた。英国が停戦協定の監視のために軍艦を派遣していなければ、今頃はここも砲撃されていたはずだ。


「なんか、すぐ向こうの島と戦争してるって不思議な感じね。もし住人があの島にいったら、北軍に捕まっちゃうってことでしょ?」

「まあそうだろうな。一応、湾内は非武装中立地帯ってことになってるが……見ての通り、ここの平和はいつ崩れるかわからない微妙なバランスの上に成り立っている。もし、どちらかが一発でも砲撃すれば、ドミノ倒しみたいに戦闘が始まる」

「本当に。ここには一刻も留まっておけません」


 その時、船室から神妙な面持ちのブラウン船長が現れた。


「カネトリさん、悪い報せです。こちらを。先ほど届きましたリッチモンド・デイリータイムズです」

「ありがとう」


 船長から新聞を受け取って広げると、まず目に飛び込んできたのは、南部を手に入れようと大きく手を広げているマッキンリー大統領の誇張画カリカチュアだった。

 風刺画の下には、『交渉決裂ブレイク・ダウン』の文字が並んでいる。

 南部連合国第四代大統領トーマス・J・ジャクソンは紛争の早期解決のために英国を仲介して北軍の引き上げを望んでいたが、それは叶わず、宣戦布告を受け入れることにした。南北の停戦協定は、一週間後に正式に破棄される見通し……という内容だ。


「予想はしていたが、どんどん悪い方向に転がっていくな」

「停戦協定失効の期限は一週間後ですが、こうなってはもうこの港に留まることはできません。本船は着岸後、速やかに荷下ろしと補給を終えて英国に帰投します。すみませんが、帰りは別で用意してください」

「ああ、わかった」

「お役に立てず、申し訳ありません」

「いや、無事に到着できただけでも充分だ。ありがとう」


 ブラウン船長が敬礼して踵を返し、残された武器商人は「ああ……」と声にならないうめきを上げて天を仰いだ。


「ちょっと、カネトリ! これってどうなるのよ?」

「……おそらく、ノーフォークは徹底抗戦して灰になるか、無防守宣言を行って北軍の戒厳令下に置かれるはずだ。どちらにせよ、この港はもう使い物にならない」


 カネトリは首を振り、幼馴染をじっと見つめた。


「バーバラ、このまま船に残ってロンドンに帰ったほうが……」

「冗談! なんでここまで来たのに尻尾巻いて帰らないといけないのよ。それに危険だって言うなら、リジルちゃんも同じじゃない。これも覚悟の上です!」

「そう言うと思ったよ……。どうなっても知らないからな」


 やがて〈サプライズ号〉は桟橋に接岸し、三人と一羽は荷物を持って下船した。

 大砲や機関銃、弾薬が詰まった木箱クレートが船倉から下ろされ、港に待機させていた二頭立ての幌馬車に次々と積み替えられていく。あらかじめ手配していたのは十五台だったが、それでも足りないぐらいだった。


「急ぐ必要はないぞ! ゆっくりでいいから慎重にやれ!」


 カネトリは現地で雇った御者と下働きの男たちに指示を飛ばしながら、手早く輸送の準備を進める。


「すごい……馬車がこんなに」


 感激した様子のリジルに、カネトリは胸を張って言う。


「これが本来の俺の仕事だ。どうだ、見直したか?」

「うん」

「まあ、アンダーシャフトの使い走りだけどね」

「否定はしない」


 クローに痛いところを突かれ、武器商人は苦笑した。カネトリとしても、これだけの物資を扱ったのはこれが初めてだった。


「ひとまずはリッチモンドのギルド支部までいくぞ。アンダーシャフト社の特派員が待っているはずだから、そいつと合流して……」



「――ワイゲルト先輩! お久しぶりですねぇ!」



 馬車に乗り込もうとしたところで声がかかり、カネトリは動きを止めた。

 脳裏に浮かんだのはハーロー校時代の悩みの種だった悪ガキの姿だ。懐かしさよりも先に、どうか間違いであってくれという思いが先に出た。忘れたくても忘れられない。奴のせいで鞭打ちの刑にあったことは、二度や三度では済まないのだから。

 カネトリは目を閉じ、祈るように呟いた。


「チャーチルではありませんように! チャーチルではありませんように!」

「ふーむ。チャーチルは嫌なんですか? いずれ親父の意思を継いで、この国を率いることになるであろう、ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチルが嫌だと?」

「嫌だ! そいつは絶対、厄介事を持って来るんだ!」

「確かですか? ……そうですか。安心してください、先輩。チャーチルじゃありません」

「えっ、本当か?」


 カネトリは振り向いた。そこに立っていたのは、案の定、チャーチルだった。


「残念! ウィンストン・チャーチルでした!」

「おい、なんでお前がここにいるんだ! チャーチル!」

「やだなあ。そりゃ、俺が特派員だからに決まってるでしょう」


 どうやら、彼のふてぶてしさは学生時代から変わりないようだった。青年はいたずらっぽい笑みを浮かべたまま、バーバラとリジルに敬礼する。


「どうも、ご婦人方レディース。お初にお目にかかります。アンダーシャフト社の特派員、ウィンストン・チャーチルです。以後、お見知りおきを……」




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