Chapter.Ⅳ ディキシーランドの黄昏
Phase.22 ディキシーランドの黄昏
22
東部戦線――バージニア州、フレデリックスバーグ郊外の高台に位置する機関銃陣地。
北軍の猛攻撃によって突破されてしまったイースト・バージニア州の
太陽は遥か西部の地平線に傾き、辺りはすでに薄暗くなり始めている。敵の塹壕でも夕飯を作っているらしい。鍋からは煙が上がっており、微かに談笑する声が聞こえてくる。
「嵐の前の静けさ、だろうな。やだなー、もう!」
敵の陣地を望遠鏡で覗きながら、歩哨に立つ若い陸軍少尉は欠伸交じりに呟いた。
宣戦が布告されてから、もう一か月が経つ。最初、召集を受けていざ前線へと息巻いていたものの、この陣地の見張りについてからは平穏な日々が続いている。
どうやら事態は膠着しつつあるようだった。北軍の奇襲に最初は虚を突かれた南軍もジョン・カーター大佐の遅滞作戦がうまくいったこともあり、すぐに戦力を整えて反撃を開始した。
リッチモンドへ進撃する大隊を側面から挟撃し、撃退に成功。一進一退の攻防の末、北軍はやむなく戦線に散開して、フレデリックスバーグの周辺に塹壕を掘って包囲体勢を取った。
この街を落とさない限り、その先のリッチモンド要塞には進めない。敵の行動は慎重だった。先のフレデリックスバーグの戦い同様、一度はこちらに向かって無謀な突撃を敢行したものの、備え付けられた機関銃によって蜂の巣にされたのだ。
それからは北軍の司令官も慎重にならざるを得なかった。塹壕を掘って同じように機関銃を備え付け、銃口を向けた睨み合いが続いている。おそらく砲兵隊か後続部隊の到着までここで粘るつもりなのだろう。
「
少尉は隣に置かれた新式ヴィッガース銃の水タンクを叩いた。
こいつのただ一度の発射であっという間に数百人が斃れた。その様子を間近で見ていたが、それは戦闘ですらない一方的な虐殺だった。
「恐ろしい時代になったな……」
「なにが恐ろしいんだい?」
「わっ!」
すぐ耳もとで声がして、まだ二十にも届かない青年少尉は大声を上げて尻もちをついた。
「なななっ、なんだよ、いきなり!」
「そ、そんなに驚かなくても……」
すぐ隣に立っていたのは、携帯カメラを首にかけた従軍記者だった。
こちらも若く、青年とそう歳の変わらないように見える。従軍記者は手を貸して青年を助け起こした。
「失礼。えーっと、お名前は?」
「……ジョーイ・スターレット」
ジョーイはズボンについた泥を払ってふてくされたように言った。
「あんたは?」
「ああ、ウィンストン・チ……」
そこで従軍記者はふと口を閉ざし、じっと考えてから言い直した。
「スミス。ウィンストン・スミス」
「そうか、スミスさん。薄暗いこの時間帯にいきなりそばに立つのはやめてくれ。心臓に悪いから!」
「ごめんて」
スミスはけろりと言って、陣地の右手に広がるフレデリックスバーグ市の街並みを眺めた。避難命令が出されて住民はおらず、レンガ造りのきれいな街は夕陽に照らされ、そのままの状態で沈黙している。
砲撃による被害もない。今は、まだ。
「ここが前線って聞いてたけど、意外と静かみたいだ」
「あんた、リッチモンド・デイリータイムズの人?」
「いいや。アンダーシャフト……じゃなかった。『モーニング・ポスト』の特派員だよ」
「聞いたことねぇ名前だな」
「まあ、イングランドの新聞だからね」
「
それを聞いて、ジョーイは目を輝かせた。
「へぇ、すげぇ。あんた
「まあ、君からしたらそうなるか。そう言えば、さっきなにか恐ろしいって言ってたけど……」
「ああ、これさ。ハイラム・マキシムってのは悪魔みたいな奴なんだろうな、きっと。戦争にこんなものを使うようになっちゃ、人類もおしまいだって言ったのさ」
ジョーイは苦々しげに言って、腰に吊るしたサーベルを抜いた。
「俺は騎兵隊志望だったんだ。敵に向かって勇敢に突撃してサーベルをえいやって振るってよ、手柄を立てたいってずっと思ってたけど……。さすがの馬も鉄条網と機関銃には敵わねぇよ。その内、騎兵隊は絶滅するぜ」
「それは奇遇だな! じつは俺も騎兵科の出なんだ! そんな予感はしてたけど、この有様を見て確信した。こんなのは戦争じゃなくて、ただの虐殺と呼ぶんだ」
「その通り。あんた話せるな。兵隊ならまだしも馬にはなんの罪も――ん、ありゃなんだ?」
「どうした?」
ジョーイが双眼鏡を覗き込んでいるのを見て、スミスも鞄から自分の双眼鏡を取り出した。敵陣をざっと見渡しながら、「どこだ?」と聞く。
「……んー、なんでもなさそうだ」
ジョーイはそう言いつつも、双眼鏡を離そうとはしなかった。
「なにかあったのか?」
「はっきりとは見えなかったが、なにか黒いものが動いた気がしたんだ。あそこの丘の裏で」
「報告したほうがいいんじゃないか?」
「いや、北軍の奴らが荷運びに使ってる軍馬か
ジョーイは首を振って、双眼鏡を下ろした。
スミスは腰を下ろして塹壕の上にごろりと横になり、次第に暮れていくディキシーランドの空を眺める。
「なあ、ジョーイ。出会って何時間と経っていないが、君を友達と見込んで単刀直入に訊いてもいいかな?」
「いいよ」
「この戦争に南部は勝てると思うか?」
「勝てるさ。もちろん」
「戦争の目的はなんだ?」
「南部を守るために決まってるだろ。変なこと聞くんだな」
「奴隷制については?」
「…………」
この問いには、さすがのジョーイも沈黙した。じっと口を閉ざし、塹壕の先にある敵陣地を眺めて言う。
「俺は奴隷とか持ってないから、難しいことはよくわからねぇ。多分、ほとんどの
「まあ、そうだろうな」
「個人的には……。ああ、記事には書くなよ」
「約束するよ」
頷く従軍記者に、ジョーイは周りをきょろきょと見回し、声を落として続ける。
「先生とかは人間は生まれながらに平等じゃないから、亜人が奴隷なのは仕方ないことだって言うけど、俺はそう思わねぇ。立場はあれ、権利は平等のはずだよ。それがこの国の、建国の理念ってやつだったはずだ。まあ、今やもう別の国になっちまったけどな」
「…………」
「
少尉は肩を竦め、自分の仲間がいるテントに戻っていった。
残された従軍記者は立ち上がると、改めて眼下の戦線を眺めた。小高い丘の周りには塹壕が幾重にも重なり、その周りには鉄条網が張られている。忍び寄る夕闇と街の中心部を流れるラパハノック川から立ち込める霧が、遠くから次第にその輪郭をとかしていった。
やがてそこかしこにカンテラが灯され、夜の松明の周りに蛾が集まるように、兵士の群れがぞろぞろと巣穴から顔を出した。
南軍兵士の縦隊がすぐ目の前を通り過ぎた。従軍記者は兵士たちの敬礼に答え、踵を返す。おそらくアイルランド系なのだろう。付近のテントから漏れだした明かりから、フィドルの音色に乗って、ケルト調の感傷的な愛国歌が聞こえてくる。
「ディキシーランドの黄昏、か」
スミスを名乗る従軍記者――ウィンストン・チャーチルは小さく呟いた。
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