Phase.21 〈サプライズ号〉




     21





 カネトリがチャーターした〈サプライズ号〉は見事な鋼鉄帆船ウィンドジャマーだった。

 三本の帆柱マストが二人と一羽、そして見送りにきた一人の視界に高くそびえており、ロンドンの波止場に流れる生ぬるい風を受けて白い帆が膨らんでいた。

 細長い船体は木と鋼の組み合わせでできており、船尾には蒸気機関の排煙用の煙突を備えている。今では主流となりつつある汽帆船だ。すなわち、帆船と蒸気船のいいとこ取りであり、凪で風力がなくなった状態でも蒸気機関によって推進力を得ることができる。


「へぇ、結構大きな船なのねぇ」


 白い日傘を差したバーバラは、背伸びして〈サプライズ号〉の船体を眺めながら言った。


「あんた、これに乗ってアメリカに行くの?」

「そうだ」

「立派な船でしょう」


 その時、背後から声がかかった。声をかけてきたフロックコートの男は、船首に装着された鋼鉄の衝角に視線を向けたまま誇らしげに続ける。


「ジョン・ブラウン社で建造された船で、船名はナポレオン戦争でも活躍した伝説の海尉艦長マスター・アンド・コマンダー、ジャック・オーブリー船長の旗艦からいただきました」

幸運ジャックラッキー・ジャックの験担ぎ、か」

「ええ。そう願って」


 そこで男は一行に視線を戻し、ぺこりと会釈した。


「申し遅れました、船長のハーバード・ブラウンと申します。よろしくお願いします」

「〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の武器商人カネトリ。こちらはリジルだ。船長、今回は引き受けてくれてありがとう」

「なんてことありませんよ。南部への入港の際は英国海軍も護衛につく予定ですから」


 ブラウン船長は微笑んで頷き、懐から黒い封筒を差し出した。


「アンダーシャフト卿からのお手紙を預かっております。積荷をよろしくとも」

「積荷か」


 一体、それはどちらのことだろうか。カネトリは苦笑して手紙を受け取り、外套のポケットにしまった。


「すでに艤装や荷積みは完了しています。あとはあなたがただけですね」

「わかった」


 カネトリは頷き、幼馴染に向き直って手を差し出した。


「それじゃ、行ってくる。またな、バーバラ」

「ええ。元気で。リジルちゃんも。カネトリに変なことされた容赦なくぶっ叩くのよ」

「うん」

「そ、そんなことするか!」

「説得力ないねー。昨日だって……むぐっ!」

「昨日だって……?」

「な、なんでもない! 決して、なんでもないぞ!」


 別れの握手を交わし、二人と一羽はブラウン船長の後に続いて桟橋を渡っていった。


「……まあ、どうせすぐに会うけど」


 その背後でバーバラはボソッと呟いたが、それは誰にも聞こえなかった。

 旅券と身分証の確認を済ませ、二人は〈サプライズ号〉に乗船した。白カラスを肩に乗せた武器商人の一行を物珍しげに見つめる水夫たちを一瞥し、世話役の少年の後に続いて前甲板の扉からゲスト用の船室に入って荷物を下ろす。


 ちょうど荷を解いてカネトリたちが甲板に戻ったところで出発の時刻となった。


 後部甲板の舵輪の前に立つ操舵長がカランコロンとハンド・ベルを鳴らし、主帆メイン・マストに群がる水夫たちに「締盤キャプスタンへ! この畜生ども、すっ飛びやがれ! さっさと錨を上げろ!」と命令を飛ばす。

 連結棒を持った船員たちが揚錨機に取りついて綱巻き胴バレルを力いっぱい回し、ガラガラと重そうな音を立ててゆっくりと錨が上がっていく。

 その様子を船首のほうで見ながら、「そう言えば」と白カラスは思い出したように言った。


「カネトリ、〈マスター〉に呼ばれてるんじゃなかったっけ?」

「ああ……」


 それは今朝の出発前、朝食を取っている時にマダム・アンネから手渡された伝言だった。

 〈マスター〉からのお呼び出しには、これまでにロクな思い出がない。カネトリは受け取った用紙をじっと見つめ、破って捨てた。伝言は風に舞い、カモメのように飛んでいった。


「よし。見なかったことにしよう」

「テキトー。いいの? 大事な用だったかもよ?」

「まあ、南部に着いてから連絡すればいいさ」


 錨と帆が上げられた〈サプライズ号〉は、小型の曳航船タグボート二隻によってロンドン波止場プール・オブ・ロンドンから曳き離された。

 ロンドン橋やタワー・ブリッジを横目にゆっくりとテムズ川を下っていく。

 サウスエンド・オン・シーの港には漁船や観光客のヨットに混じって海峡艦隊の所属らしい一隻の水雷衝角艦が停泊していた。船尾で翻る海軍旗ホワイト・エンスンの下には、『HMS サンダー・チャイルド』とある。青天にボーっと汽笛を震わせながら、タグボートが波止場に引き返していく。

 船が沖に出たタイミングで、カネトリはアンダーシャフトからの手紙を開いた。



『無事に出航にこぎつけたようで何よりだ。この度の戦争、海で一番の脅威となりえるのは、合衆国海軍の潜水艦だが――〈USS モビーディック〉の話は聞いている。こちらもこっぴどくやられたそうだな――私が通商防衛のために最新鋭のブルース・パーティントン級潜水艦を現地に派遣させた。私の知人が「ブルース・パーティントン級潜水艦が軍事行動をとっている海域での海上戦闘は不可能になる」と太鼓判を押すほどだ。まあ、とくに問題はないだろう。南部には無事に到着できるはずだ。

むしろ、大変なのは到着してからだ。南部の鉄道網は戦時ダイヤで大混乱だからな。

東部戦線にはアンダーシャフト社の特派員がいる。彼と合流したらいい。名前は……ふむ、教える必要はないだろう。君もよく知る人物だ。


アンドリュー・アンダーシャフト』


「誰だ?」


 なにやら含みのある書き方にカネトリは首を傾げた。読み終わった手紙を封筒にしまおうとして、後ろにもう一通ついているのがわかった。


追伸P・S:私の勘違いならいいが、もしかするとバーバラが世話になるかもしれない。大事な娘だ。無傷で返してくれたまえ』



「……はっ?」



 その意味不明な一文に、カネトリはポカンと口を開いた。


「カネトリ様、ここにいましたか!」


 その時、世話役の少年が声をかけた。その背後には水夫がいて、数人がかりで大きな木箱を運んでいる。


「先ほど、タグボートから持ち込まれました。追加の荷物だそうです」

「えっ、こんなの知らないぞ」


 なにか、とてつもなく嫌な予感がした。これも見なかったことにして捨てちまおうかという誘惑にかられたその時、蓋がガタガタと動いた。



「サプラーイズ!」



 その一言とともに、よく知った幼馴染が飛び出してきた。蓋の木板を両腕で高らかと掲げ、ふりふりと腰を振る。

 まるでエジプシャン・ホールで定期的に披露されるマジック・ショーのようだ。


「私もいくわ、カネトリ! アメリカ!」

「…………」


 カネトリはわかりやすく頭を抱えた。一拍置いて、ようやく現実を認識する。


「なあ、バーバラ……さん。で、合っていますでしょうか?」

「ええ。ミス・バーバラ・アンダーシャフトと申しますわ」

「ミス・バーバラ。幼馴染としてではなく、一介の商人として……一応、聞いとくけど、これから俺たちが戦場にいくのはわかっているのか? 観光にいくと思ったら大間違いだぞ」

「ええ。そのつもりです。だってほら、アンダーシャフト社の令嬢として、お父様の製造品がどう使われてるのか知る必要があるもの! それと……ああ、安心してちょうだい。ちゃんと私の分の旅費は持ってるから」

「……旅券と渡航許可は?」

「ここに」


 したり顔の淑女レディは、首かけのポシェットから必要書類を差し出した。

 カネトリは書面に何かしらの不備があることを祈ったが、ざっと見たところ、ギルド発行の許可証は偽造の類ではなく、内容にも非の打ちどころがなかった。


「これどこで手に入れたんだ……」

「さあね。問題は?」

「ない、です」

「そ。じゃあ、船室に案内してちょうだい」

「……ああ、どうしてこうなった」


 突然の同行者に武器商人はその場に崩れ落ちた。

 〈サプライズ号〉の船上でサプライズとは、じつに悪い冗談に違いない。







―――――――

星の数ほどもある物語の中から、本作をお読みいただきありがとうございます!

この先も『UNDERSHAFT』は続いていく予定ですが、やはり反応が皆無だと小説が面白いのかどうかも判断がつきませんし、モチベーションに繋がりません。

なので、もし小説を読んで面白いと感じた方がいれば、いいねやフォロー、コメント、評価などよろしくお願い致します!

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何卒、よろしくお願い申し上げます。(*- -)(*_ _)ペコリ

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