Phase.20 プレゼント




     20





 翌日から一行は旅の準備に追われた。とくに今回は担当地域の南アフリカから遠く大西洋を隔てたアメリカ南部に渡る必要がある。

 〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉に渡航申請を出し、物資を乗せる船便の手配や荷造りに追われた。

 とくに今は有事ということもあって船便の確保は難航したが、方々に駆け回りギルド特権をフル活用して、なんとか三日後の便を抑えることができた。

 予想通り、輸送にかかる船のチャーター代や燃料代などの費用は数百ポンド近くかかった。南部への輸送費だけでこれなのだ。他にも諸々の船員手当、船が合衆国海軍に拿捕された場合に備えての積荷の保険や保釈金の支払い、ノーフォーク港からテネシー州ナッシュビルまでの輸送にかかる人員確保など、総額では一千ポンド近くに膨れ上がるだろう。

 あくまでも個人的な渡航になるので、ギルドの補償や組合保険は適応されない。競馬場での儲けがなければ、今頃、カネトリは破産している。


「ああ、どうしてこうなった」


 出発を翌朝に控え、大量の契約書と格闘し終えたカネトリは、ペンと携帯タイプライターを投げ出してベッドにぶっ倒れた。

 ベッド脇からホレス・ボジャー蒸留所とラベルのあるウイスキーの瓶を取って一杯だけ仰ぐ。

 安い蒸留酒が胸を熱くするのを感じつつ、アンダーシャフトに取り上げられた残りの休暇に思いを馳せた。脇腹に受けた銃創は治りつつあるとはいえ、この三日間の激務は精神に来るものがあった。


「カネトリ……大丈夫?」


 隣のベッドで絵本を読んでいた少女が立ち上がり、クローとともに顔をのぞき込む。


「大丈夫じゃ、ない」

「もー、情けないなー」

「うるせー、休暇を取り上げられた男の気持ちがわかるか!」


 社畜の武器商人はぐったりしながら、涙声で言った。


「リジル……俺の今の心は、お前の毛皮と耳と尻尾だけでは癒せない。肉球だ。肉球がいる。柔らかな肉球が必要なんだ……」

「…………」


 リジルは手のひらを見つめ、そっと首を振る。


「私に肉球はない」

「畜生! そういや今回一度も娼館いってねぇ! 俺を肉球でなでなでよしよししてくれー、せっかくのロンドンなのにこんちくしょー!」


 ごろごろとベッドの上で悶える毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンを見て、少女はくすりと笑った。


「カネトリ、なんか子どもみたい」

「本当にねー」

「子ども、か」


 その言葉にカネトリはぴたりと動きを止めた。


「できれば誰も大人になんかなりたくねぇよ……。でも、バーバラとは違って俺には親がいなかったからな……大人のふりをせざるを得なかった」

「カネトリ……?」

「大体、大人ってなんだ。俺の周りにはロクな大人がいないぞ。権力、金、戦争……どいつもこいつも欲望剥き出しの勝手な都合で振り回しやがって……まあ、アンダーシャフトさんには感謝してるけどさ。時々、この世界が嫌になるよ。こんな薄汚れた大人の世界に生きるぐらいなら、俺は子どものままでいたいってな……」

「「…………」」


 ふと漏れた呟きに、少女と白カラスは顔を合わせた。


「なに弱気になってんのさ。らしくない」

「もう時間ないけど、歓楽街ソーホーいきたかった……」

「そっちか!」

「いや、それだけじゃないぞ。小さい時は大人たちを恨んでたのに……今では俺もその汚れた大人の一員なんだなって思うとやるせなくてな」


 ふっと力なく笑うカネトリを見て、リジルはベッドに腰かけた。その頭に手を置いて、くしゃりと髪を撫でる。


「娼館にいかなくても、私がよしよししてあげる。カネトリは偉い」

「…………」

「肉球があったほうがよかった?」

「いや……充分だ」


 耳もとで少女の尻尾がわさわさと揺れている音を聞いて、カネトリはそっと目を閉じた。

 少女の温かな手のひらが心地よい。激務でたまった疲労がじんわりと融けて、ベッドに流れていくようだった。

 第三者から見れば、さぞ情けない姿を晒していることだろうが、ここには二人と一羽しかいないから遠慮することもない。明日からはまた旅の途上だ。行商中はこうしてゆっくりとした時間を過ごすことも難しいだろう。

 明日の今頃は揺れる大西洋の上だ。十二門のアンダーシャフト速射砲、十二基のヴィッガース銃、百二十挺のアンダーシャフト・ボルトアクション小銃とその弾薬を満載した輸送船は、一路、南部連合国ディキシーランドに向かう。


 奴隷と綿花の王国。


 彼らの言うところの、古きよき南部オールド・サウスへ。


「あ、そうだ」


 カネトリは目を開いて起き上がった。


「どうしたの?」

「そういや、忘れてた。これをお前に渡そうと思って出かけるついでに買ってきたんだ。まあ、本当は折を見て渡すつもりだったんだけど……」


 鞄から赤いリボンが巻かれた木箱を取り出してリジルに差し出した。


「なに、リジルだけプレゼント? ずるーい」

「開けていい?」

「ああ」


 木箱の中身は皮の首輪だった。犬の首輪のように鎖を通す鉄輪リングが前についており、右側の冷たいプレートには、〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の紋章とともに少女にもよくわかる五文字の単語――『SLAVE』が刻まれている。


「これは……首輪?」

「亜人奴隷用のな。一応、ギルドの特注品だ」


 喜びの表情から一点、少女の顔が戸惑いに変わる。

 カネトリは神妙そうに目を伏せたまま、『所有者』の市民番号と情報が書かれた認識票をパチンとリングに止めた。


「これを……付けるの?」

「常にじゃない。俺の所有物として振舞う必要がある時だけだ」

「所有物……」

「すまん。屈辱的に思えるかもしれない。だけど、南部ではそれがないと獣人は何かと厄介なことになる。そういう国なんだ。理解してくれ」


 カネトリは頭を下げ、努めて明るく言った。


「ま、まあ、もともと首輪もファッションから生まれたんだ。ネックレスとかペンダントとか、その程度に考えてくれてたら……」

「…………」

「やっぱり、ダメか? もしあれなら、他の方法を考えても……」


 リジルは首を振り、顔を上げてカネトリのプレゼントを取り出した。


「付けてもいい?」

「ああ、もちろん」


 てっきり少女の表情が曇ると思っていたカネトリは、それを見てほっと安堵の息を吐いた。

 リジルは首輪を持って自分の首に通す。付属の南京錠で留め具に鍵をして、鍵をカネトリに差し出した。


「どう……?」


 両手で首もとの錠を握り締め、上目遣いでこちらに視線を向ける半獣人ハーフの少女。

 それはじつに被虐的な様相を呈していた。不安からか尻尾は小さく縮こまり、折れた獣耳は緊張にピクピクと微かに動いている。さすがは元奴隷だっただけはある。

 鎖にこそ繋がれてはいないものの、それは毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンの保護欲と支配欲を掻き立てるのには充分過ぎた。


「あっ」

「なに?」

「いや……」


 カネトリは生唾を飲み、それから奥歯を噛み締めて視線を逸らした。

 気づいてしまったのだ。獣人は人類種に比べて第二次性徴が早く、およそ十代を過ぎる頃には一人前になるとされている。リジルは小娘の容姿を持ちながらも、その中には確かに獣人特有の野性的な女の部分が内包されていた。


「な、なんか、それがよくないことだってわかってるけど……いいな。グッとくる」

「そ、そうかな?」

「ああ」


 それこそ、その華奢な手足を抑えてベッドの上に押し倒し、気が済むまでわしゃわしゃしてやりたいほどに。

 普段なら例え負けることが多くても一応、理性が留めるところだが、残念ながら激務を終えたばかりの男はアルコールで判断力を失っている。

 当然、大好物のケモノを前に、腹をすかせた獣が我慢できるはずもなかった。


「いや、本当。すごくいいと思う」

「う、うん……。ありがとう、カネトリ」

「すごく……いや、なんか本当に似合ってる」

「そう言ってもらえると嬉しい」

「似合ってる。本当」

「う、うん……」

「いい……」

「…………」



「……あー、先に謝っとく。ごめん、リジル」



「えっ?」



 この後、滅茶苦茶わしゃわしゃした。



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