Phase.19 勝敗




     19




「まさか本当に〈ジャメ・コンタント号〉が優勝するなんてねー」

「うん」


 リジルが半信半疑で投じた一ポンドは、十一ポンドと十シリングになって戻ってきた。

 トレセン社の最終的な払戻しは、十一・五倍。リジルは換金所で貰った小袋に詰めた金貨の小山を抱え、カネトリのもとに走る。

 一刻も早くこの喜びを伝えたかった。当然、カネトリも〈ジャメ・コンタント号〉には賭けていただろうが、それでも少しは手助けになるだろうという確信があった。なにせ、十一ポンドというのはリジルがこれまでに手にしたことのないような大金だ。これだけあれば半年間は楽に暮らしていける。

 アスコット競馬場は広いが、目的の武器商人を見つけるのにそう時間はかからなかった。



「わははははっ! みんな飲め飲め! 今日は俺の奢りだ!」



「「…………」」


 酒場で並々と注がれた一パイントのジョッキを掲げて、わかりやすく浮かれていたからだ。

 別れた時とは打って変わって上機嫌な様子で、居合わせた客に気前よく酒を振る舞っている。すぐ隣のカウンターに腰掛ける幼馴染は、そんな男を呆れ顔で眺めていた。

 ふと入口の扉で呆然としている一人とその肩の上の一羽に気づき、顔を上げる。


「ああ、リジルちゃん。なんだ、クローも来てたの」

「バーバラ……これは?」

「……見ての通りよ。賭けに勝ってはしゃいでるのよ。まだ今日のレースが全部終わったってわけじゃないのにね」


 バーバラはため息交じりに肩を竦め、少女に隣の席を勧めた。


「そういえば、賭けの二ポンドはどうなった?」

「これ」


 リジルは手にした小袋をバーバラに差し出した。


「〈ジャメ・コンタント号〉に、一ポンドだけ」

「奇遇ね。私もよ」


 バーバラは笑って、ポケットから青い賭け札を出して軽く振って見せる。


「どうやら、勝負は引き分けのようね」

「うん」

「リジルちゃん。何か飲む? お酒は……まだ早いわね」


 バーバラがバーテンダーに水を注文しようとした、その時、



「――ああ、リジル! クローもきたか!」



 興奮した様子のカネトリが少女の姿を見つけて駆け寄ってきた。腰を屈めて少女の手を取り、その甲にちゅっと口づけする。


「ああ、愛しのマイ・レディ……俺は勝ったぞ」

「カネトリ……どうしちゃったの? 酔ってるの?」

「少しな。どうしたもこうしたも、大勝ちだ! 八ポンドと十五シリング四ペンスが大化けして、百ポンド十六シリング四ペンスになったんだ! それとは別に賭けていた百ポンドも……おかげで口座にゼロが一つ増えた!」


 目の飛び出るような額だ。これだけあれば、もはや賭けには勝ったも同然だろう。

カネトリはバーバラに向き直り、その手を握って口づけする。


「それもこれもバーバラのおかげだ! ありがとう!」

「ま、まあ、あたしは別に……お礼ならセーラに言いなさいよ」


 間近でその目を見つめられ、バーバラは困ったように視線を逸らした。

 蒸気ピアノの演奏が始まり、楽隊の男たちがヴァイオリンとバンジョーをかき鳴らす。

 それを聞いた赤ら顔の男たちは肩を組んで声を合わせた。スティーブン・フォスター作曲の『草競馬キャンプタウン・レイシーズ』の替え歌だ。

 酒場を熱に浮かすような陽気な旋律に、カネトリも思わず加わって口ずさんでしまう。




De Ascot ladies sing dis song,

Doo-dah! doo-dah!

De Ascot racetrack her majesty belong,

Oh! doo-dah-day!


アスコットの女たちが歌ってら。

ドゥー・ダー! ドゥー・ダー!

アスコット競馬場は我らが女王陛下のものさ。

オー! ドゥー・ダー・デイ!



I come down dah wid my hat caved in,

Doo-dah! doo-dah!

I go back home wid a pock-et full of tin,

Oh! doo-dah-day!


おらぁは帽子を握りしめてよ。

ドゥー・ダー! ドゥー・ダー!

ポケットにいっぱいの小銭を持ち帰るんだぜ!

オー! ドゥー・ダー・デイ!



Gwin to run all night! Gwin to run all day!

I'll bet my mon-ey on de Silver Blaze,

Somebody bet on de Italy.


一晩中駆けろ! 一日中駆け抜けろ!

おらぁは〈シルバー・ブレイズ〉に賭けるんだ。

イタ公に賭ける奴もいんがな。




「いいぞいいぞ! 俺は〈ジャメ・コンタント号〉だ! 次は電動ガーニーの時代だ!」


 拍手と口笛。ほどよい酩酊感がさらにアルコールの巡りを進める。



「楽しそうだな、ワイゲルト。なにかいいことでもあったのかね?」



「いっ――」


 酒場の喧噪から離れた静かな声。その一瞬で酔いから叩き起こされたカネトリは、恐る恐る振り返る。


「ア、アンダーシャフトさん……」

「先程、すべてのレースが終了した。ニ十ポンドはいくらになった?」


 まるで酒場に似合わない老紳士は、その口もとに微笑を浮かべて淡々と問う。


「全部で……えーっと、一三〇ポンドですかね? バーバラたちの分も合わせて……」

「そうか。では、私の勝ちだな」

「えっ、そんなはずは……」

「正確に数えるだけ、時間の無駄というものだ」


 アンダーシャフトが差し出したドワイアー・タタソール社の社章が印字された小切手には、きっちりと二五〇ポンドと記されていた。


「こ、こんなに……。ど、どうやって……」

「なに、二十ポンドすべてを〈ジャメ・コンタント〉に賭けたまでだ」

「んな……っ」

「そう言えば、勝負とは別に百ポンドを賭けて増やしたそうだな。おかげで南部行きの旅費ができてよかったではないか」

「そ、それじゃ……まさか……」


 その一言でカネトリはすべてを察した。どうやら、初めからアンダーシャフトの手のひらの上で踊らされていたらしい。

 さっと青ざめる弟子に、アンドリュー・アンダーシャフトは端的に告げる。


「私の勝ちだ。バトラー商会への配達は任せたぞ」



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