Chapter.Ⅲ ガーニー勝負日

Phase.14 〈ジャメ・コンタント号〉




     14





 バークシャ州、ウィンザー城の西南に位置するアスコット競馬場。

 これから四日間に渡って繰り広げられるロイアル・ミーティングの初日に合わせて、すでに周辺は人混みで溢れていた。

 三人を乗せた四輪馬車は通りの渋滞に引っ掛かって少しも進まず、しかたがないので途中で降りることにした。


「そういえば、今日、クローはどうしたの?」

「カラスの集会があって来れないんだとさ。朝早くからロンドン塔に出ていったよ」

「カラスの集会って……なにするのよ」

「さあな。パン屋を襲撃する計画でも立ててるんじゃないか」


 蒸気ガーニーの湯気と馬の嘶きに満ちる騒々しい通りを歩いていくと、やがて開け放たれた鋳鉄細工の入場門に行き当たった。

 他の入場客と列を成して門をくぐると、すぐ目の前に大きなトラックが広がっている。


「すごい……」

「ヴィクトリア女王自らが主催する蒸気女王杯スチーム・クイーン・ステークスのために造った一周二千メートルのアスファルト舗装トラック……つまりは、英国一のダービー会場だ」


 カネトリは自慢げに言って、きょろきょろと辺りを見回した。


「バーバラとはこの辺りで合流するはずだが……」

「ああ、ここよ、カネトリ!」


 呼びかけに振り返ると、オープン・カフェの一角にアンダーシャフト親子の姿があった。

 周囲には護衛らしき男が座って明らかに物々しい雰囲気だが、そんなことは親子にとっては日常茶飯事のようで、並んで腰かけてお茶を楽しんでいる。

 アンダーシャフトはカネトリの姿を認めると、シルクハットを傾けて見せる。


「ワイゲルト、今日はいい勝負をしよう」

「ええ。負けません」

「それでは、我が娘よマイ・ディア。私はこれで」

「そうね。せいぜいパパも頑張って。……ま、私はカネトリを応援するけど」

「バーバラ、アンドリュー・アンダーシャフトに敗北の二文字はないのだよ」


 アンダーシャフトはそう言って口もとを歪めると、ひらひらと手を振って踵を返した。

 護衛を引き連れて去っていく男を見送り、当の武器商人はふぅと深いため息を漏らして席に着いた。


「それで、バーバラ。結局、昨日はもったいぶって教えてくれなかったけど……その秘策っていうのは?」

「ああ。そうね。昨日、友達のセーラが教えてくれたの」

「セーラって……マキシム邸の入口で会ったあの?」

「そう。リジルとも友達になったの。でしょ?」

「うん……。いい人たちだった」


 リジルは昨日の二人組を思い出して頷いた。偏見と階級制度に固執する上流階級には珍しいタイプだった。


「ここではなんだし……そろそろ移動しましょうか」

「いいけど……どこにだ?」

「専用パドックよ」


 一行が向かった先は、競馬場の東に位置する整備区画だった。

 大型のガーニー車庫が何棟も並んでいる。基盤となる鉄骨の梁が渡された間にトタン屋根を鋲打ちしただけの簡素な造りだが、整備庫の全体が有刺鉄線を巻きつけたバリケードによって囲まれている。

 これでは野良猫一匹入る隙間もないだろう。

 さすがは英国一の競馬場ということもあって、盗人や産業スパイなどへの対策はかなり厳重なようだ。


「すみませんが、この先はダービーの参加者と関係者しか入れません」


 一行はその奥に進もうとして、どうやら近衛師団から派遣されたらしい、機械シェパードを連れた門番に呼び止められた。

 鋼鉄の牙と爪を持つように半身が改造された軍用強化犬サイボーグ・ドッグは、接近してきた三人を見て、ぐるぐると地獄の番犬のような唸り声を上げる。


「……っ」

「大丈夫だ。安心しろ」


 咄嗟に身構えるリジルに、カネトリはポンと肩に手を置いてそう言った。


「なにか紹介状はお持ちですか?」

「ええ。もちろん」


 バーバラがセーラに書いてもらった招待状をハンドバックから出そうとした時、門番はゴホンと咳払いして告げた。


「市民カードの提出もお願いします」

「普通の身分証じゃなくて市民カード? やけに厳しいのね」

「ええ。昨今のテロの影響で」


 バーバラが招待状と身分証を出すと、門番は「少々お待ちください」と言って、バーバラの市民番号を手持ちのノートに書き写した。控え所の招待客リストと照合し、同意書にサインを済ませてから、ようやく許可が降りる。

 門番が首にかけた犬笛を鳴らすと、機械シェパードは伏せをして待機モードに入った。


「それでは、お通りください。……ただし、入れるのは招待者のエリアのみです。ふらふらとパドック内をうろつけば、その時点であらぬ疑いをかけられるのでご注意を」

「そうね。注意するわ。それで、ジェナッツィさんの車庫は?」

「D‐42区画です。今、係の者が案内いたします」


 案内係についていくと、同じように目隠しされた区画が並ぶ一角に案内される。

 布張りの入口をくぐって中に入ると、つなぎの整備服を着けた赤毛の男が出迎えてくれた。フランス訛りのある英語で、バーバラの手を握る。


「ガーニー技師のカミーユ・ジェナッツィだ。お話はミス・セーラから伺っているよ。えー、お名前は確か……」

「バーバラ・アンダーシャフトです。始めまして、ジェナッツィさん。こちらは、カネトリ。そして友達のリジルです」

「よろしく」

「こちらこそ」


 一連の社交辞令を済ませ、ジェナッツィは考え深げに口を開いた。


「ラルフ・クルー大尉はパリにいた頃からの私の支援者でな。彼の支援がなければ、ここまでくることはできなかっただろう。じつに、死んでしまったのが残念でならない……」

「ええ。私もあまりに突然のことでビックリしたのを覚えています。彼女はとくに人気者でしたから……」

「…………」


 リジルはよく知らないが、バーバラから聞いた話だと、セーラの父親のラルフ・クルーは、ダイヤモンド鉱山の開拓事業の途中でインドの山奥で病死してしまったらしい。

 それから天涯孤独の身となったセーラは預けられた女学院で使用人として勤めながら奮闘し、最終的には父親の親友に引き取られて、今に至るのだとか。

 人生何があるかわからない、とバーバラの友人の波乱万丈な人生に思いを馳せている間に、どうやらジェナッツィは本題に入ったようだった。一行を車庫の奥に案内し、中心に置かれたシーツの覆いを取る。



「これが私の傑作……〈ジャメ・コンタント号〉だ」



「ジャメ・コンタント……。これが……」


 その新型ガーニーは、これまでにカネトリが見たことのないような形状をしていた。

 武器商人の脳裏に一番初めに浮かんだのが、ウーリッジ造兵廠の庭に置かれている、巨大な一二インチ三五トン砲だった。

 『ウーリッジぼうや』とあだ名のある英国最強の大砲の榴弾に、そのまま四つの車輪を付けたような、そんな殺伐としたイメージ。

 もしかしたら、そのまま敵陣に突っ込む用の何らかの自爆兵器ではないか、と警戒するが、もちろん、そんなことはなかった。

 砲弾の後部には人間一人が乗り込めるだけの操縦席があり、車輪と動力系を操作するためのハンドルやレバーが付いている。


「これは? 随分と小型なガーニーだ。見たところ、外付けの蒸気窯スチーム・ボイラーも内燃機関もないようだけど」

「そんなものは必要ない。これは電気自動車EVだからな。レ・ジャメ・コンタント……『決して満足しないネバー・サティスファイド』という意味のフランス語だ」


 自慢げに言うジェナッツィに頷き、カネトリはその異形をまじまじと眺める。


「電気式ガーニーか。噂には聞いていたが、競技用の機体を見るのは初めてだ」

「まあ、無理もない。北部合衆国ステイツのほうではかなり研究が進んでいるが、英国はまだ蒸気ガーニーの独壇場だ。最近では蒸気ガーニーの対抗馬として内燃機関付きの石油ペトロールガーニーに人気が集まっているが……残念ながら、電気式の人気はさっぱりでな」


 そう言って肩を竦めるガーニー技師に、バーバラは一言。


「勝てるの?」

「もちろん」


 カミーユ・ジェナッツィは即答した。


「私はベルギー人だ。嘘はつかん。もちろん、現状、オッズ上ではかなり不利だ。とくに今回のレースには〈シルバー・ブレイズ号〉や、『猿乗りモンキー・ライド』のウィリー・シムズ、『魔王』ことディック・ダスタードリーとそうそうたる顔ぶれだからな。それと、専門家に〈ジャメ・コンタクト号〉が小型で蓄電池の容量不足を指摘されている点も大きい」

「それって重大な欠陥じゃないのか?」

「日常で乗る分においては、な」


 カネトリの問いに、ジェナッツィはふんと鼻で笑ってみせた。


「まったく見当違いの指摘だ。競技用ガーニーに求められるのは、持続力じゃない。速さだ。他の競技車を弾丸のように抜き去るだけの圧倒的な速さ。問題は伝導率とモーターの回転数にあるが、これはすでに解決している」


 ジェナッツィはそう言って、〈ジャメ・コンタント号〉の基本性能が記された手帳を渡した。擦り切れたフランス製の革手帳には、几帳面な筆跡の数式が躍っている。

 弾き出された数値が何を示しているのか、門外漢であるカネトリには理解できなかったが、それでも聞くべきことは一つだった。


「オッズは?」


 その問いを待ってましたと言わんばかりの表情で、赤毛のベルギー人は壁の気送管受け口に送られてきた電報を読む。


「最新の配当は七・八二倍。この先、もっと大きくなるだろう。間違いなく英国ダービー史に刻まれるような劇的な勝利になる。賭けるなら、今の内だ。……カネトリとか言ったか。もしこの勝負に乗るのならば、君を大勝させてやろう」



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