Prologue.Ⅱ 或る解析機関の始動

Prologue Ⅱ




 北部合衆国USA、ニューヨーク市。


 一八九六年五月七日――第二次南北戦争勃発の三週間前。


 部屋はカシャカシャと歯車が回転する音、キーボードの打鍵の音に埋めつくされていた。

 そこは少なくとも二週間前までは記者とカメラマンたちの作業机が並ぶ編集室だった。今やニューヨーク・ジャーナル編集部は敷地内の別の建物へ移され、ちょっとした体育館ジムほどある大部屋の中心には、巨大な解析機関エンジンが鎮座している。

 暗幕で締め切られた部屋はサーキュレーターとエア・コンディショナーで常時冷却され、初夏であっても真冬のように肌寒い。周囲に座る厚着の女性オペレーターの一団は揃いのレシーバーを装着し、解析機関から吐き出される情報の処理に追われている。


「おい、出力はどうだ!」

「順調です、社長!」


 部屋にトレードマークの中折れ帽子を被った黒いスーツの男が入ってきた。

 解析機関〈シチズン・ケーン〉――一輪の薔薇の紋章が刻まれた新型機関を前にして、男はニヤリと笑って振り返る。



「――さあ、諸君。戦争で儲けるのは武器商人だけじゃないぞ。今日も今日とて我々のビジネスを始めようじゃないか」



 毎度、演説するように両手を広げる社長に、記者たちはタイプの手を止めて注目した。


「もはやクソったれ南部連合国ディキシーランドとの戦争は既定路線だ! 今、大衆はとにかく情報を欲している。流れてきた情報は一文字だって逃がすな。何か新しい情報ネタを、人々があっと驚くような情報ネタを、すべて拾って記事にするんだ! それもチューインガムのようにふんだんに脚色したヤツをな! 諸君、センセーショナルな仕事にしようではないか! 書いて書いて書きまくるんだ!」

「社長!」


 その時、記者の一人が用紙を運んできた。


「何だ?」

「今朝のニューヨーク・ワールドです。……例の、爆発事故の件で」


 それは先月の半ばに起きた悲惨な事故だ。キューバで起きた暴動に対して、スペイン海軍の援護のために派遣されていた装甲巡洋艦が停泊中のハバナ湾で爆発し、沈没。艦内で就寝中だった三百名近くの船員が湾の底に沈むことになった。

 USSメイン(ACR‐1)は去年の九月に就役したばかりの新型で、北部合衆国海軍では外洋行動を行える主力艦として期待されていただけに、その衝撃は大きかった。

 男は紙面を覗き込んで、ふんとつまらなそうに鼻を鳴らす。


「『メイン号を思い出せリメンバー・ザ・メインくたばれ南部連合トゥ・ヘル・ウィズ・ディキシー!』か。ピューリツァーめ……。中々いいスローガンを考えたものだ」

「社長、ですが! 証拠が何もありません。スペイン政府の調査ではボイラーの欠陥で、石炭の自然発火が原因だと……」

「スペイン人がどう言おうが関係ない。これは間違いなく南部連合の卑劣な破壊工作サボタージュだ。君、紙面にはこう書きたまえ、『南部人レッド・ネック、卑劣な先制攻撃!』と」

「し、しかし、特派員の話では……」

「まあ、聞け。確かに証拠はないが、証拠がないという点なら南部連合のスパイが関与していないという証拠もないだろう。世論は今、南部との交戦に傾いている。……大切なのはことの真実じゃない。起きてしまったという事実・・だけだ」

「…………」

「ああ、そうだ。それと特派員に電報を打ってこう伝えてくれ。『君は写真を撮れ、戦争は私が作る』とね。名文だろ?」


 男はそう言うと愉快そうに肩を震わせた。踵を返して〈シチズン・ケーン〉の操作卓に座る機関技術者エンジニアの肩を叩く。


「おい、調子はどうだ?」

「いやあ、エジソン式を扱うのは初めてですが、まったくもって素晴らしいものですね、この新型は。処理能力が段違いですよ」

「当たり前だ。そうじゃなきゃ、わざわざ苦労して首を突っ込んだりしない」


 男は腕を組んで、無数に屹立する黄金の柱をしみじみと眺める。

 蒸気機関と電気を動力に駆動し、反復される階差数列の運動によって高度な演算を行う鋼鉄の頭脳。導入した本人にした所で、この中でどういった処理が行われているのか皆目見当がつかない。


「……解析機関の誕生は文明の発達を著しく加速させた。この僅か二十年の間に、ありとあらゆるものが過去となった。新聞記事一つ、戦争一つ取っても同じだ。今やこの機械の計算力なしに文明は成り立たない」

「ごもっともで。もしこいつがなかったら、人類の技術力は少なくとも半世紀は遅れていたでしょうな」

男は頷いて、スーツの懐から純金の懐中時計を取り出して時間を計った。


 作戦の開始は東部標準時イースト・スタンダードで正午。時計の分針は、その五分前を指していた。



「――親愛なる諸君!」



 男は再び声を張り上げ、その場の面々をぐるりと見まわした。


「これより、我々はリッチモンドの〈ロバート・E・リー〉にクラッキングを仕掛ける。〈リー〉は南部連合国ディキシーランドの交信情報を集積している。論理防壁ロジック・ウォールを突破し、そこから情報を抜きとる!」


 部屋が静まり返る。男の言葉に、周囲の記者たちはゴクリと唾を飲み込んだ。

 これより先、電信ネットワーク上で繰り広げられるのは次世代の戦争。解析機関エンジン同士の前例のない演算合戦だ。

 〈シチズン・ケーン〉は『市民』の名を持ちながらも、その実体は連邦政府に登録されていない不法機関だ。本来なら電信ネットワークへのアクセス権限を持たないどころか、個人が所持することさえ違法。……しかしながら、現にニューヨーク市の命令で電信ネットワークは整備され、実際にこうして機能している。



 ――つまりは、解析機関そのものが『公式に存在しないゴースト・プロトコル』。



「…………」


 男――ウィリアム・ランドルフ・ハーストは心の中でカウントを始める。

 秒針が動き、すべての針が重なったその時、短く呟くように言った。


「〈シチズン・ケーン〉、始動!」

「了解!」


 機関技術者エンジニアの男がスイッチを捻ると、解析機関はゴウンと唸りを上げて再始動した。行われていたすべての作業タスクを終了し、演算領域リソースを解放。南部連合国の誇る『将軍』を打ち破るために準備する。

 壁に設置された蒸気駆動画キノトロープが、カタカタと音を立て、数字の羅列をそこに呼び出す。

 駆動板ピクセルの表と裏。

 一と零の二進数によって描かれる数字の隊列。

 結局のところ、クラッキングというのは相手の防御を真正面から槍で打ち壊すのではなく、例えるなら金庫を開けるための鍵を探すところから始める必要がある。

 攻撃はイングランドの回線を経由し、ロイター通信の誇る〈ワールド・アトラス〉に偽装された。偽りの指示コマンドは〈リー〉の論理防壁に虫食い穴のような抜け道を出現させ、そこに〈リー〉‐〈アトラス〉間の暗号変換式アルゴリズムに基づいて数十秒ごとに変更される暗証番号パスワードが固定される。

 〈シチズン・ケーン〉はそれを当てるために演算を反復する。

 金色の機械柱による回転。無数に立ち上る数字の壁を、弾き出した適切な数字によって相殺する。暗号防御。暗号回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読。防御。回読――。


 そしてやがてループが生み出され、本来届かない双方向の通信が大西洋ケーブルを通して〈リー〉‐偽装〈アトラス〉=〈ケーン〉間に展開される。


 ループが固定され、偽装〈アトラス〉=〈ケーン〉は、論理防壁の更に内側、何重にも及ぶ数字の壁を同じ方法で突破し、その記録領域に手を伸ばし始める。

 クラッキングが開始されると、室温がにわかに上がり出した。しばらくすると、〈ケーン〉が〈リー〉の防御演算を上回り、保存領域に刻まれていた情報が紙の洪水となって出力される。集積されたパンチカード群を片っ端から無差別に複写トレースしていく。



 しかし、それも長くは続かなかった。



 突如、モニタに使用しているキノトロープに不自然な歪みが生じた。

 これまでとは異なり、数字が循環している。パンチカードにトラップとして仕掛けられていた論理迷宮に誘い込まれたのだ。無限に続く計算式に侵され、もはや出力される紙は情報の体を成していない。それでも解析機関の演算は止まらず、歯車を摩耗させていく。


「畜生! 〈石壁ストーン・ウォール〉――ディキシーランドの対干渉防壁カウンター・クラッキング・システムだ! このままだと〈ケーン〉の演算基盤を破壊されるぞ!」

「クラック中止だ! 回線を切断しろ!」


 ハーストが叫び、機関技術者エンジニアが機関停止命令を発したが、すでに〈ケーン〉はこちらのコマンドを受け付けていなかった。


「止まりません! すでに〈ケーン〉の内部でループ構造化しています!」

「なら蒸気機関を落とせ! 強制シャットダウンだ!」

「ですが、それだと機関にダメージが……」

「構わん。蒸気圧解放リリース! 早くしろ!」

「離れろ、火傷するぞ!」

「きゃあ!」

「退避しろ! 退避!」


 その場は騒然となった。女性オペレーターや記者が悲鳴を上げて出口に殺到したため、逆に駆け込んできた機関整備士メカニックたちともみくちゃになる。なんとか抜け出した者が慌てて蒸気機関に取りつき、数人がかりで緊急減圧用の蒸気弁を解放した。

 熱された蒸気がしゅーっと放出され、部屋が一気に白い靄に包まれた。もはや蒸し風呂サウナになってしまった一室で、ハーストはため息交じりに床の上にべったりと貼りついた『情報』を剥がし集める。ほとんどの紙はインクが滲んで読めなくなっていた。


「解析機関をまるまる一つ潰した成果がこれか……」


 作戦は失敗か、そう思った時、ふと『スカーレット計画』と書かれた作戦書に目が留まった。

 副題は『未来の戦争における抑止力――敵首都攻撃能力の獲得についての一案』で、発案者はウェイド・H・バトラー少佐とある。


「むっ、これは……」


 一目見ただけだったが、ジャーナリストの嗅覚がその文面から漂う何かを捉えていた。

 案の定、それは南軍の秘密兵器に関する数ページほどの短い覚書だったが、ハーストの顔を青ざめさせるには充分過ぎた。



「くっ、くくっ……これは、これは特ダネだ!」



 ハーストはニヤリと笑って、隣の部下に命じた。


「今すぐホワイトハウスに繋げ。これからおもしろくなるぞ!」




 ……後にアメリカのマスメディア界を支配し、『新聞王』の名で広く呼ばれることになる男が手に入れた情報は、やがてアメリカ全土を揺るがす世紀の一大事件に発展する。

 そして奇しくもそれは、とある武器商人の運命を巻き込むことになるのだった。




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