Phase.31 さ、最期に尻尾を……




     31





「……た、単純なはったりほど上手くいくもんだ。じゅ、獣人ポルノは……惜し、かったが、仕方ない……。お、お前に比べれば……」

「カネトリ……」

「か、金があれば……すべてうまくいくと思ってたんだがな……。この世界は……」


 カネトリは言いかけて止めた。次第に鈍化していく意識の中で追憶するのは過去、貧しさに対抗する術を持たない非力で惨めな自分の姿だった。

 資本家の裏に労働者がいて、高級店が立ち並ぶ帝都の豪華なリージェント・ストリートの陰には誰にも見向きもされない貧民窟がある。入植民に土地を奪われた新大陸の先住民エルフ。農園に繋がれたままの南部の亜人奴隷。権力者により国を追い出された少数民族。


 世界に犠牲はつきものだ。


 強者が弱者を食い物にする――自然のことわりは、まさしく金というシステムをもって当てはまる。


「金さえあれば、奪われないって……なのに……」


 その言葉は決意というより、むしろ呪いに近かった。金があれば、生きていけるのだ。金さえあれば、街の裏路地で野垂れ死にしなくて済むのだ。金さえあれば、美味しい物が食べられ、暖かい布団で眠れて、相手からもゴミのように無視されることはないのだ。

 金さえあれば。思い通りに生きられる、夢を諦めなくて済む、病院に行ける、学校に行ける、人生をやり直せる……皆が、揃いも揃って口にする言葉だ。


 金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば。金さえあれば――。


 この世界を生きる人間に課せられる強迫観念にも近い社会の枷。……だからこそ、カネトリは金を求めたのだ。それが虚しいと知りつつも。



「銃って、こんなに、痛かったのか……」



 今まで多くの商品を売ってきたが、それで撃たれたのは初めてのことだ。

 戦場を渡り歩き、争い道具を売る武器商人。間接的だけでなく、時には自らトリガーを引くカネトリは、常に虐げる側の人間だった。


「クソったれ……因果応報カルマってやつか……。まさか、こんな結果になるなんて……ふ、普通に銀行員でも、やってれば……よかった、かな……」

「カネトリ!」

「リ、リジル……。リジル……」


 カネトリは少女の胸にすがってその名を呼んでいた。本心をすべて絞り出すように、掠れた声で続ける。


「う、うぐ……お、俺はもう、ダメ……らしい。さ、最期に……こ、これだけは言わせてくれ。リ、リジル……俺は獣人が好きだ。変態だって、言われてもいい。ふさふさの耳が好きだ。尻尾が好きだ。獣耳ビースト・イヤーだけじゃなく、体毛に覆われた躰が好きだ。獣人特有の体臭ですら、全部好きなんだ。はぁ、はぁ……だけどな、リジル。俺がお前を好きなのは、そんな……ゴホゴホッ!」

「カネトリ!」


 カネトリは咳き込み、床に蹲るようにして続ける。


「……そ、そんな……『特徴』があるからじゃない。お前が、過去に、何があったか……お、俺は知らん。どうでもいいこと、だ! だが、お前はな……この矛盾した、せ、世界の中で、必死に生きてきた。お前は、お前だけは、報われるべきだ」

「…………」

「リジル……お前は、あの男から、か、解放されるんだ……」


 カネトリは目を見開いて宙に手を這わせた。闇の中で手探りするようにゆっくりと、少女の頬を撫でる。

 今や色の違う左右の瞳は等しく涙に歪み、自分のために傷ついた男の姿をうつしている。


「う、うぐ……すごく痛い。お、俺はもうダメかもしれん……。リ、リジル……頼みがある。さ、最期に尻尾を……」

「尻尾?」

「し、尻尾、を……」

「しっかりして、カネトリ! 尻尾がどうしたの!?」

「…………」

「ふにゅうっ! カ、カネトリ、そこは……」


 リジルの尻尾をギュッと掴んで顔を埋めると、そこでついに力尽きた。視界がぼやけ、すべての認識が急速に損なわれていく。カネトリは柔らかな獣毛の中に落ちていくような、そんな感覚を味わいつつ、やがて泥のような眠りについた。


「カネトリ……っ!」


 揺さぶってみるが、反応はなかった。微かに呼吸をしているが、血の気が失せたように青い顔をしている。


「どうしよう、カネトリ……私……」



「――まったく、カネトリのケモナー・・・・ぶりは死んでも治らないかもね」



 その時、窓から声がかかった。飛び込んできた白カラスは羽ばたいて二人の間に降り立つ。


「や、リジル。君がシグルドについて行かなくてよかったよ~」

「クロー!?」


 その闖入者は放心状態にあったリジルの意識を呼び戻すのに充分だった。


「聞いた? 最後の言葉が尻尾だってさ! ぷぷぷっ……」


 自然体な白カラスは呑気に言って、ぐったりと動かない相棒を検分するように眺める。


「使ったのは45口径ピースメーカーじゃなくて自動式の38口径のほうか。弾もきれいに抜けてるし、うまく急所を外してる。さすがはピンカートン探偵社にスカウトされただけはあるって感じかな? ……安心して、リジル。応急処置すれば大丈夫だよ」

「本当!?」

「うん」


 クローは断言し、消毒薬替わりの酒と包帯代わりになる清潔な布を持ってくるよう指示した。

 幸い消毒のためのウイスキーや応急箱が置かれていたこともあって、手当てに必要なものは一通り揃っていた。

 リジルはぎこちないながらも応急処置を完了し、そうしている内にオコンネルがロキアと護衛の〈ワルキューレ〉を連れて戻ってきた。


「これは酷い……。一体、どうしたんですか?」

「……撃たれた」


 ロキアは同僚の惨状に唖然としながらも冷静さを取り戻して部下に指示を出した。


「見たところ命に別状はないみたいです。捕獲した男たちの引き渡しは僕らがやっとくので、お二人は先にカネトリさんについて病院に行ってください」

「サンキュー、ロキ……おっ」

「…………」


 リジルはクローをぎゅっと抱き締めると、その白い羽毛に顔を埋めた。

 カネトリは灯台の外で待機していた馬車の座席に寝かせられ、市内の病院に搬送される。

 月明りに照らされた街道を進むと、やがて揺れる馬車はホウスの港町に入った。

 どの家も窓を固く閉ざし、すべての扉にかんぬきが掛けられている。寝静まった世界の中で唯一聞こえてくるのは蹄鉄と車輪の音だけだ。


「どうして……」


 座席で苦しそうに呻くカネトリの手をぎゅっと握り締め、少女は独り言ちた。

 カネトリが助かるのは嬉しいが、冷血なシグルドが妨害者を見逃すとはどうしても思えなかったのだ。あの男が標的を殺し損ねるなんて今までになかったし、あの状況で急所を外すとは考えにくい。


「何か心配事?」

「うん。その……シグがカネトリを殺さなかったのは、どうしてなんだろうって。そう言えば、クローは何でカネトリが大丈夫って気づいたの?」

「何でって……ほら、シグルドはカネトリに『娘を任せたぞ』って言ってたでしょ? だから大丈夫なんじゃないかなーって」

「えっ?」

「えって……。あー、聞こえてなかったんだ」


 首を傾げるリジルに、クローはぶるりと身震いして続ける。


「多分、あの人もカネトリを傷つけたくなかったんだと思うよ。よくわかんないけどさ。現に生きてるわけだし、手加減したんじゃないかな?」

「シグが?」

「ほら、人間って素直じゃないから。カネトリだって死に際にしかリジルのことが大好きなんだって言えなかったわけだし」


 それを聞いて、少女は少し赤くなった。


「最初に会った時もそうだった。カネトリは……私のことが好き、なの……?」

「さあね。単に尻尾が好きなだけかも」

「それって、クローがさっき言ってた『ケモナー』ってこと? ねぇ、どういう意味?」

「んー、とね。カネトリみたいな毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンのことを言うんだけど……多分、


 白カラスはいつものように笑って言って、それから嘴を開いて「ふわぁー」と大きなあくびを漏らした。


「眠いの?」

「うん。いつもはもっと早寝なんだけどね。今日は疲れちゃった」

「……クローってたまに不思議なこと言うよね。この世界ってことは……クローは別の世界のことを知ってるの?」

「さあね。でも考えようによっては、ここがその異世界なのかもしれないね」

「?」

「いーや、やっぱり何でもない。ボクなりのジョークだよ」


 クローはあくび交じりに「おやすみ」と言って丸くなった。

 どうやら、また単なる冗談だったらしい。いつに増して真意の読めない白カラスだ。


「…………」

「……スピー、スピピー」


 馬車の中に訪れる沈黙。クローのいびきのような寝息を聞きながら、少女は深く考えるように小さく息を吸った。

 目の前の男はシグルドから解放されるんだと言っていた。

 自分は報われるべきだと。確かに『普通の獣人』は報われるべきだ。その他の亜人も、ただその身が人類と違うだけで、何の罪もないのだから。

 しかし、この人ならざる手は血に濡れている。人殺しが報われていい世界なんて、おそらくどこにも存在しない。



「でも……」



 それでも、と半獣人の少女は続けた。

 この手を握ってくれる、穢れたこの身を好きだと言ってくれる人がいるなら、それは――。




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