Phase.28 死の商人





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 聖堂に反響する正午の鐘が鼓膜を震わせる。トマス・クラークとの連絡で二時間ほど待ち、そして話をつけて戻ってきたオコンネルに案内された場所は、意外にもダブリン城の目と鼻の先にあるクライストチャーチ大聖堂だった。

 この時間、礼拝堂は市民に向けて解放されており、講堂に並ぶベンチでは近所の老人たちが集まって談笑していた。カネトリとロキア、そしてその周囲を囲む武装した亜人の護衛という物々しい一団は、聖堂の横にある階段を通って真っ暗な地下に降りる。


「まさかRICの拠点のすぐ近くで最重要指名手配犯と会うことになるとはな」

「クハハッ、まさに『灯台下暗し』、ですね」


 英国内でもっとも大きい地下聖堂だ。先頭をいくオコンネルが壁に設置されているガス灯の解放弁を捻ると、ガスの炎が連鎖的に点って階段に揺らめいた。


「止まれ!」


 階段を降りるとIRBメンバーらしい武装した男たちが待ち受けていた。咄嗟に身構えるが、オコンネルが手をやって武器を下ろさせる。


「ここから先はカネトリさんお一人で。一応、武器は預からせてもらいます」

「わかった」


 カネトリは拳銃をホルスターごと外して傍らの男に放った。少し奥に進むと、石に掘られたマリア像の前で一人の男が待っている。

 すらりとした長身に丸眼鏡をかけた、一見すると温和な顔つきをした男――IRBリーダー、トマス・ジェームズ・クラークは大きく手を広げてオコンネルにハグした。それからゲール語で何かを話し、丸腰のカネトリに向き直る。


「遠路はるばるようこそ。私がアイルランド共和主義者同盟アイリッシュ・リパブリカン・ブラザーフッド代表のクラークだ」

「〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉のカネトリだ」

「カネトリ、か。……若いな。いくつだ?」

「さあな。誕生日は忘れたよ」


 カネトリはクラークの手を握り返し、一息ついて交渉に入った。


「事情の説明は省こう。ポーツマス造船所の件はよくもやってくれたな……と言いたいところだが、この件がすでに北部合衆国ノーザン・ステイツとの国際問題に変わっている以上、俺たちは互いに交渉に臨むべきだと思わないか?」

北部合衆国ノーザン・ステイツか。英国人のくせに英語もまともに話せないとみえる」

「……?」

「言葉は正しく使いたまえ。あれはアメリカ合衆国ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカだ。白人支配から独立した西部諸民族自由連邦ウエスタン・エスニック・フリーユニオンはともかく、アメリカ連合国コンフェデレート・ステイツ・オブ・アメリカはただの反逆者レベルに過ぎん」

「合衆国の公式見解だな。……その反逆者と休戦してからすでに三十年が経っているんだが、それはもう国じゃないのか?」

「奴隷制を維持したままかね? 確かに南部連合再建リコンストラクションで黒人奴隷は解放された。だが、未だに南部のプランテーションでは亜人奴隷が鎖に繋がれ、鞭打たれている。それが現代人のやることか?」


「――ああ。それについてはまったく同感だ。あんな制度はとっとと潰したほうがいい」


 あっさり頷いて同意する武器商人に、クラークは訝しげに眉をひそめた。


「……ほう。反論するかと思ったが、ギルドにも少しはまともな人間がいるようだ」

「別に俺だけじゃないさ。政府の中にも第一次南北戦争に介入するべきじゃなかったと考える奴は多い。俺たちは『歴史を間違えてしまったのではないか』、ってな」

「たとえ有識者がそうだとしても、資本家はそうじゃないだろう。彼らは『綿花王国コットン・キングダム』を守りたかっただけなんだからな」

「その資本家にしたって、じつは大赤字だ。内戦であれだけ焼け野原になったらもはや利益の確保どころじゃない。南北戦争で儲けたのは英国の兵器工場と俺たちぐらいだ」

「…………」


 クラークは考えるように口を閉ざし、それから腕を組んで小さく呟いた。


新大陸アメリカは自由の国であるべきだ。……だからこそ、大飢饉で国を追われたアイルランド難民は新天地を目指したのだ。今回の戦争は歴史を正そうとしているに過ぎない」

「誤った歴史を、か」

「そうだ。我々も同じだ。この闘争はアイルランドの歴史を正すためにある」

「なるほど」


 カネトリは頷き、その目をじっと見つめた。


「IRBの狙いは、独立蜂起に必要な武器だろ?」

「ああ」

「それなら、なおさら組む相手を間違えたな。ピンカートンの連中に『合衆国は建国の理念に従い、民族解放を応援する』とでも言われたか? ネイティブ・アメリカンの追放やキューバの独立運動を見てみろ。奴らは口先だけだ。さすがは英国から独立しただけはあるな」

「…………」

「確かに、英国が軍事介入しなければ南部連合に勝つことはできるだろう。だが、四面楚歌のアメリカ合衆国にアイルランドを支援する余裕はない。反英的なドイツにしたところで皇帝はアフリカの植民地にかかりつけでアイルランドに興味はない。外国勢力を頼っている時点で、風向きが変わればすぐに見捨てられるぞ」

「そんなことはわかっている!」


 クラークはギュッと拳を握り締めて、目の前の男を睨みつける。


「それでも、私たちは……」

「頼る相手がいない、だろ? ……いるじゃないか、目の前に」

「……何を言っているんだ、お前は?」


 訝しげに眉をひそめるIRBの指導者に、カネトリは商談用の笑みを浮かべて頭を下げる。


「俺は武器商人だ。蜂起に必要な武器は俺が用意してやる。代わりにクリプトカードを返し、ピンカートンとは手を切れ」

「お前は英国人だろうが。祖国を裏切るのか?」


「はっ、祖国を裏切る? 何の話だ? ……俺はただ職務に忠実なだけだ。税金も納めるし、


「…………」

「それに、あんたはこの国について何か誤解しているようだ」

「誤解だと?」



「俺たちこそが国家の代理人だよ。『国家とはギルドであり、つまりは私たちのことだ。政府は私たちの都合のいい時に戦争を始め、そうでない時には平和を保つ』ってな。俺たちの上司、兵器工場で労働者を雇う資本家たち、ギルドの意志こそが国家そのものなんだ」



「正気か?」

「ああ。実際、マスコミを誘導して世論を作るのも政治家の配当を握っているのもギルドだ。あの国会議事堂ウェストミンスターの住人たちは、所詮は傀儡に過ぎない」


 その瞬間、トマス・クラークは言い知れぬ戦慄を覚えた。

 男の口から出た言葉は決して虚言ではなく、この上ない真実だった。直感的にそれを認識し、自分たちが敵に回した組織の強大さを改めて知る。

 今や目の前に立つ男は、まるで翼を広げた悪魔のように映った。



 死の商人。



 数多の屍と利潤を食らって膨れ上がる醜悪な怪物。その背後の重圧プレッシャーを感じ、息がつまる思いだ。



「『正当な代価を支払う者に対しては、その買い手が誰であろうと、我々は買い手の人物や主義主張に関わりなく武器を売る。貴族だろうと共和主義者だろうと、虚無主義者だろうと、ツアーだろうと、資本家だろうと、社会主義者だろうと、強盗だろうと、警官だろうと、白人だろうが黒人だろうが、獣人だろうがエルフだろうが、あらゆる種類、あらゆる事情にお構いなく、一切の民族、一切の信条、一切の愚行蛮行、一切の大義名分、一切の極悪非道、何に対しても、正当な代金さえもらえば武器を売る』……ギルドを創設した先代のアンドリュー・アンダーシャフトの言葉通り、これがこの資本主義社会の現実だ」



 カネトリは「それに」と付け足し、ふんと鼻を鳴らして笑う。


「さっき、あんたは南部の亜人奴隷制を批判したが、トランスヴァールのボーア人についてはどうなんだ? 優生思想に取りつかれた彼らが現地で行っている人種隔離政策アパルトヘイトのことは?」

「…………」


 クラークは不意を突かれたように黙り、それから静かに頷いた。


「話には聞いている。白色人種、有色人種カラード、獣人やその他の亜人の三つに人種を分け、それぞれの人種間の結婚や居住区を分離する……」

「そう、南部のジム・クロウ法と同じだ。結局、お前たちも都合よく見て見ぬふりをしているわけだな」

「で、ですが!」


 耐えられないといったように、オコンネルが口を挟んだ。


「それは、英国の資本を呼び込むためにも仕方がないことです! それに我々には……」

「――ヨーロッパ人である我々には関係ない、か?」


 図星を突かれ、アイルランド人は喉元から出かかった言葉をグッと飲み込む。


「だ、第一、あなたには関係ない話でしょう……」

「俺は混血児カラードだ。幸いと言っていいのか……母親の血を多く受け継いだからそうは見えないかもしれないが、俺の黒髪と黒い瞳は……日本人の血によるものだ」

「なっ……」


 その突然の告白に、オコンネルは二の句が継げなかった。


「ロキア……あのもう一人にしてもそうだ。俺たちはこの巨大な帝国にあって、百人といないマイノリティーだった。ギルドの〈マスター〉が人種に寛容でなければ……とっくにどこかの路地裏でくたばってるよ」


 カネトリは自嘲気味に言って、クラークに目を向けた。


「俺はな、クラークさん。正直に言うと、ボーア人との戦争で英国が共倒れになってくれればいいとさえ思っている。クソったれの人種差別主義と、古くさい階級制度ともども消え去って欲しいってな」

「それはボーア人とともにアイルランド人も潰されろということか?」

「いいや、そうじゃない。時期を待つんだ。ヴィクトリア女王の誕生祭に仕掛けるのではなく、ボーア人との戦争が終結した直後、政府が戦費の増大で音を上げる時期を見計らってからだ。そうすれば、楽に独立に漕ぎつけるだろう」

「戦争が起きても六週間で片付くと、軍がそう言ってるのにも関わらずか?」

「いいや。俺はそうは思わない」


 カネトリは首を振り、訝しげな視線を向ける男の前で不敵に笑う。


「……なぜなら、俺たちが・・・・そうはさせないからだ。お得意様の陸軍に武器を供給する一方でボーア人勢力にも最新の武器をどんどん流す。おそらく、血みどろの戦いが何年も続くことになるだろう。そして兵器工場は南アフリカの屍の上に莫大な利益を上げる」

「…………」

「この世界は薄汚いよ。……だけどな、俺は確信しているんだ」


 そこで武器商人は相手の緊張を解くように、ふっと微笑んで見せた。


「アイルランドがそうならないことを、だ。長年に渡って踏みつけられ、不当に差別されてきたからこそ、英国を鑑に独立し、真に自由で平等な国家が築けると俺は信じる。その手助けをすることが、武器商人としての俺の矜持だ」

「矜持、か」


「ああ。俺はアイルランドの未来を信じる。なぜなら守りたいものがあるからだ。正義なんて時代ごとに代わるが、最後には侵略者は打ち倒され、自由と博愛、『生まれ持った人間の権利』が勝利する。百年後の今ごろには……きっと、みんなが仲良く平等に暮らす世界になっていてもおかしくない。亜人との結婚だって……いずれは……」


「…………」


 その言葉にクラークは考えるように黙り込んだ。腕を組み、傍らのオコンネルにゲール語で一言二言問う。

 苦笑するオコンネルを見て、クラークは肩を竦めた。真っ直ぐな理想を語る若き武器商人をじっと見つめ、やがて「いいだろう」と頷いた。


「ただし、条件がある」

「条件?」

「武器を運ぶ期限についてだが……」

「――その必要はない」


 カネトリは手帳を開き、スケジュールと受取証に記入しながら続ける。


「密輸はすでに完了している。昨日の内にジュリアス……俺の同僚に電報で指示しておいた。最新のアンダーシャフト銃とヴィッガース銃を乗せた船がキングスタウンの波止場に着いてる。これから一緒に取りにいこう。……ああ、ここにサインを」


 ペンを受け取って受取証にサインしながら、IRBのリーダーは言った。


「……キングスタウンは英国が付けた名前で、正式には『ダン・レアリー』と言うのだ」

「そうなのか。どういう意味なんだ?」

「ゲール語で『レアリー砦』という意味だ。五世紀頃のアイルランド上王、ロガー・マクニールが要塞を立てたことに由来する」

「なら、ぴったりじゃないか。アイルランド王が建てた街から反撃の一歩が始まるんだから。……ああ、それとピンカートンを釣るために協力してもらうぞ、オコンネルさん」


 死の商人はニヤリと笑って踵を返した。



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