Phase.26 裏取引の夜





     26




 その夜、IRBの代表を乗せた一台の馬車が取引現場であるベイリー灯台に到着した。

 ホウス岬に佇むベイリー灯台は花崗岩作りの白い塔で、灯台に至る広場には岩肌剥き出しの断崖絶壁を背にして灯台守の小屋が二軒並んでいた。

 広場の至るところに置かれた松明の下、黒スーツにボルサリーノを被ったピンカートン探偵社の男たちが周囲を警戒している。背負っているのは、ウィンチェスター社のポンプ・アクション式の散弾銃ショットガンで、欧州市場においては少し珍しい銃だ。


「あんたがIRBの代表者か?」

「……ああ、そうだ。ボーグ氏はきてるかね?」


 出迎えの男が扉を開くと、中から深くフードを被った二人組の男が出てきた。


「…………」


 護衛らしいもう一人の男は、狙撃を警戒してか小屋の反対側に広がるなだらかな丘をじっと睨み、いつでも銃を抜けるようにホルスターの留め金を外した。


「こっちだ。小屋で待ちくたびれてるよ」

「おい、俺の武器を預からなくていいのか?」

「当然だ。武器を持つのは人間の権利だからな」

「……ここはアイルランドだ」


 護衛はそれだけ言った。「野蛮人ヤンキーめ」という悪態を飲み込みつつ、小型のトランクを持って代表者の後に続く。

 灯台守の小屋に入ると、すでにバーソロミュー・ボーグが待っていた。こちらも護衛らしいシグルドとリジルが傍らに控えている。護衛は食卓のこちら側に運んできたトランクを乗せ、向こう側の護衛者を一瞥して入口の側に控えた。


「お待ちしておりました。ピンカートン探偵社の工作部隊の部隊長を務めています、バーソロミュー・ボーグです」

「どうも。今回はよろしくお願いします」


 IRBの代表――もといRICの対IRB特別捜査官トバイアス・グレグスンを名乗る男は、フードを取って握手に応じる。


「さあ、どうぞ座ってください」

「ああ、これはどうも……」


 バーソロミューの呼びかけに応じ、グレグスンは食卓の向かいに腰かけた。

 そこに隣の部屋からステーキやワインなどが運ばれ、二人の前に並べられていく。


「今回、クラークさんが来られないそうで……いやあ、残念ですな。IRBの設立者にはぜひともお会いしたかった」

「ええ。よろしくと言付かっております」

「おお、そうですか。そのことが聞けただけでも、この会を開いた甲斐はあるというものです。なにせほら、状況が状況ですからな。味方は多い方がいい」

「第二次南北戦争ですか。それにしても、予想以上に早く火が点いた気がしますね……これもニューヨーク・ワールドとニューヨーク・ジャーナル両紙のお陰でしょうか」


「ああ、俗に言う『イエロー・ジャーナリズム』というやつですか……。ピューリッツアーもハーストも大概だ。おかげでウォール街はめちゃくちゃですよ。軒並み下落傾向で……唯一、反動でスタンダード・オイルだけが上がっていますが、AP通信の解析機関ペコス・ビルはそれも長くは続かない、と予想しています。もし、財産をお持ちならゲール語連盟クラン・ナ・ゲールやフェニアン団のメンバーにも伝えてあげるといいでしょう」


「そうしましょう」


 歓談はつつがなく進み、アルコールが回り始めた頃にようやく本題に入った。

 グレグスンは食卓のステーキには一切手をつけず、腕組みしてバーソロミューの顔を見る。


「……ミスター・バーソロミュー。アイルランドとアメリカは関係が深い。大飢饉の悲劇から今に至るまで、我々は移民として合衆国に仕えてきた。南北と西部に分断されたとはいえど、アメリカ人はアイルランド人のかけがえのない同胞だ」

「もちろん、グレグスンさん。だからこそ、ピンカートン探偵社はIRBを支援するのです。我々はアメリカ合衆国の建国の理念に従い、民主主義の理想の下で、すべての民族解放運動を応援します。我々は『慢性的な不正と無能』に対しては断固として反対し、現地住民の主権を守るためにも武力介入は辞さないと考えています。帝国主義の名の下に弾圧されるすべての民族が文明の灯りの下で自由を享受することを心から願っているのですよ……」

「…………」


 虚飾に彩られた言葉は、今のグレグスンにはどう響いたのか。用意されたシナリオのようにすらすらと綴られるでまかせに失望の色すらも見せ、グレグスンは無言で頷いた。

 護衛が運んだトランクを開けて、中からカードの束を取り出す。


「これがポーツマス造船所から奪ったクリプトカードです。ギルドの奴らが手放した分も含めてすべて揃っています。確認なさいますか?」

「いえ、それは失礼でしょう。我々はあなたがたを信用していますから。では……」

「ああ、その前に一つお聞きしたい。恥ずかしい話、カードを奪っておきながら、その中身については何も聞かされていないのです。カードの中身である軍事機密とは一体、どんな類のものなんでしょうか……?」

「それは当然ですね。……おそらく、カードを追っていたギルドの連中もあなたがたと同じで何も知らされていないでしょう。……まあ、いいでしょう。せっかくだからお教えします」


 バーソロミューはワインを一口仰いで、カードの束を愛おしそうに撫でる。


「これは新型ケイヴァーライト機関とフィッシャー提督がかねてより構想していた飛行戦艦、『ドレッドノート』の設計図。……つまりは南北統一を目指す我々の雇い主が喉から手が出るほど欲しいシロモノなのです」

「〈ドレッドノート〉、ですと……?」


 その言葉にグレグスンははっと息を飲んだ。


「噂に聞いたことがあります。ドレッドノート級飛行戦艦……大砲を備え、空を往く鋼鉄要塞。完成すれば装甲も破壊力も〈フライング・ビーグル〉とは比べものにならないと。ですが……そんな、まさか……。空軍はすでに……」


 それは〈HMS フライング・ビーグル〉のような軽武装の飛行艦ではなく、砲塔を備えた戦艦をそのまま・・・・宙に浮かせるという突拍子もない計画だ。

 当然、それには莫大な出力を持つ『ケイヴァーライト機関』が必要となる。マキシム卿の〈M1フライング・マシン〉に搭載されているような従来のモデルでは、地上数百メートルを飛行するのがせいぜいで、出力不足どころか、機関を長時間持続させることすら難しい。

 だが、現代の科学技術は日進月歩だ。もし本当にそんな『巨獣リヴァイアサン』が開発されつつあるとすれば、もはやIRBに対抗する術はない。

 グレグスンは冷や汗が噴き出すのを感じつつ、それが顔に出ないように努めた。


「ですが……『引力の切り離し』には力場を展開するのに途方もないエネルギーがいると聞きます。当のケイヴァー博士も王立学会の会報誌レビューで、『永久重力炉』の今世紀中の開発はまず不可能だろうと言っていましたが……」

「そんなものは些末な問題です。アメリカ合衆国は蒸気に固執する大英帝国とは違い、次世代エネルギーである『電気』の開発に力を入れています。〈ドレットノート〉の諸々の問題点も、電気がすべてを解決するでしょう。いずれ時代は変わるのです!」


 バーソロミューは満足げに頷いて金のインゴットが詰まったトランクを机に置く。


「どうぞ。カリフォルニア産、混じりけなしの本物です。大統領から当面の活動資金にと」

「…………」


 グレグスンはインゴットの一本をランプにかざすようにして確認してトランクを閉じた。


「……ホワイトハウスは恒久の支援をお約束します。今はこういう状況ですが、アイルランド共和国が成った暁には同盟をぜひにと」

「ありがたく受け取っておきましょう。ただ……」


 そこでグレグスンは言い淀み、目の前の男をじっと見つめる。


「前にも言いましたように、今の我々に必要なのは金塊ではなく武器だ。独立蜂起には多くの武器が要る。ライフルに大砲、機関銃、それとできれば戦闘ガーニーも。戦闘が起こった時、その場にあるのが金塊だけでは役に立たない」

「ええ、それはもちろんです。合衆国ステイツの兵器工場はすでに戦時生産体制に入っています。一挺でも多くの銃、一発でも多くの弾薬を届けると約束しましょう」

「それはありがたい。ですが……それはいつの話ですか?」

「いつ……ですか……」


 グレグスンの予想外の追及に、バーソロミューは言い淀んだ。


「そうですね……そう言われましても東部戦線の戦況によりますので、ただその内にとしか」

「その内とは具体的にいつです? アイルランドへの武器密輸計画も中止される可能性があるということですか?」

「そ、そうですな……」


 バーソロミューはごまかすように苦笑した。窓から射す月明りにワイングラスを掲げる。


「我々は秘密部隊ゆえ、口約束しかできませんが……この満月……いや、ケルト神話の月の神、ルーに誓ってお約束しますよ!」

「――ルーは太陽神です」



 パリンッ! 瞬間、窓の一点が穿たれ、グラスが砕けた。



「なっ……」

「狙撃っ!」


 咄嗟にバーソロミューを射界から外そうとシグルドが駆け出すが、



「――動くなっ!」



 入口に控えていた護衛から銃を向けられ、その動きがピタリと止まった。


「……その声、お前か」

「カネトリ!」


 少女は掴んでいた投げナイフを離して、はっと目を見開いた。


「ああ。……昨日ぶりだな。リジル」


 男――カネトリはフードから顔を出して一歩前に踏み出した。シグルドに銃を向けたまま、その手がすでに懐に伸びているを見て、「言っておくが」と釘を刺す。


「下手な真似はするなよ? プログラムを走らすには起動用のカード・キーがいる。それはフランス式コンパイラで使われるような合成樹脂セルロイド製で、表面に傷がつかない代わりにデリケートなんだ。とくに熱に弱くてな……こんな風に」

「待て」


 シグルドは手を放し、カネトリは卓上の蝋燭にかざしたカードを軽く振って見せる。


「ヤンキーの悪い癖だ。何でもかんでも銃で奪えると思うな。三文小説ペニー・ドレッドフル……いや、アメリカでは『ダイム・ノベル』と言うんだったか? 安っぽい小説じゃないんだ。共倒れの教訓には飽き飽きしてると思うが」

「俺は英国生まれだ」

「そうか、兄弟。銃を捨ててもらおうか」

「……ちっ」


 シグルドが舌打ちしてコルト・シングルアクション・アーミーを手放すのと同時、岬に襲撃の始まりを告げる銃声が響いた。

 すでに広場では〈ワルキューレ〉との一方的な撃ち合いワン・サイド・ゲームが始まり、至るところで男たちの悲鳴が上がる。


「これは……狙撃か?」

「ああ。亜人の中には夜目が効く種族もいる。俺たちが交渉を始めた時点で周りの闇に紛れて包囲は完了していたんだ。広場に焚いた松明が仇になったな。お前たちはいい的だ」

「一体、どういうことだ!? お前たちはすでにアイルランドを離れたはずだ! まさか、IRBが裏切ったとでも言うのか!?」

「裏切ったんじゃないさ、合理的な判断をしたまでだ」


 口角泡を飛ばして怒鳴るバーソロミューに、武器商人は不敵に笑う。


「お前たちがIRBを利用したように俺たちもIRBを利用したまでだ。ただその違いは……俺には彼らが望むものを渡すことができたということだ」



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