Chapter.Ⅳ 白鯨と裏取引の夜

Phase.24  ホウス城





     24





 ホウス城の城門に連なる銃眼付きの胸壁に支えられた天守キープ。その横にある塔は、中世から何度も増築が行われ、今では城全体の駆動機械を制御する大型バベッジ機関の廃熱のための煙突が悪魔の角のように何本も突き出していた。

 普段は侍女の部屋として使われている塔の一室。小窓から差し込む柔らかな陽だまりの下、二人は寄り添うようにして、これまでの二年の空白を埋めるように語り合う。


「それで、いきなり耳を舐めてきた。殺されるところだったのに……」

「はっ、あの男はやはり変態だったか。他に変なことはされなかったか?」

「ううん。乱暴もされなかったし、不思議と……よくわからないけど、平気だった。悪い気持ちはしなかった。その後も普通に人間として接してくれたし、確かに変な人だけど……あんな人には初めて会った」

「…………。……リジル」


 そこで、シグルドは読んでいた聖書から顔を上げた。その傍らに丸くなって犬のように寄り添っていた少女は不思議そうに男の顔を見る。


「なに?」

「うまく教えられるかわからんが……もしお前が読み書きを望むなら、俺は……」

「――アイズ軍曹」


 そう言いかけた時、扉がノックされ、同時にショットガンを背負った男が踏み込んできた。


「部隊長のボーグ様がお呼びです。ギルドの動きについて話があると」

「……わかった」

「いくの?」

「ああ。すぐに戻る」


 シグルドは聖書を閉じて立ち上がると、少女の頭を撫でて男とともに出ていった。

 リジルはベッドに横になった。小窓から差し込む光を受けて微かに埃が舞っている。天井を伝うパイプを通る圧縮蒸気の微かな音以外は何も聞こえない。

 ここは暖かくて静かだ。久しぶりに感じた恩人の温もりは、とても暖かいものだった。だが、少女はすでに別の温もりを知っていた。


「カネトリ……クロー……私は……」


 小さく呟いて目を閉じる。夢は見なかった。微睡みの後、ふと気づくと枕もとでコツコツと小窓を叩く音がした。

 ばっと起き上がると、窓枠の外に見慣れた白カラスの姿があった。


「や、リジル。いやー、ダブリンから飛んでくるのは苦労したよ」

「クロー……どうしてここが?」


 リジルが窓を開くと、クローは内部に入ってぶるりと羽を振るわせる。


「友達のジョナサン・リヴィングストンが教えてくれたの」

「クローってカラスの友達いたんだ」

「ううん。彼はカモメだよ」

「カモメも喋れるんだ……」

「その意思があればね。彼曰く――鳥っていうのは多次元的な存在らしいんだ。翼を持ってるからね。だから飛ぶだけじゃなくて瞬間移動テレポーテーションとかもできるし、望めば好きな時に好きな場所にいられるの。好きな時代の好きな場面にね。すごいでしょ!」

「? テレってなに……?」

魔法マジックだよ! 鳥には魔法が使えるのさ!」


 そう言って胸を張る白カラスに、リジルは素直に首を傾げる。


「? そうなの……?」

「さあね。ただの受け売りだよ。かもめのジョナサンがそう言ってただけ!」


 白カラスは飄々と言って、脚に括り付けた手紙を差し出した。


「これ、カネトリから。ボクは伝書鳩じゃないんだけど!」

「ありがとう」

「ああ、そーいやまだ勉強始めたばかりだったね。代わりに読んであげるよ」


 クローは膝の上に飛び乗ると、リジルが開く手紙の文面をじっと見つめる。


「えーっと、『リジルへ。必ず助ける。だから今は大人しくしていろ。カネトリ』だってさ。リジルはどうしたいの? あの人と一緒にいくの?」

「見てたんだ」

「うん。育ての親ってちょっとフクザツだよね。ボクたちと出会ってまだ数日しか経ってないし……ボクはまだしもカネトリは変態だし、勝ち目はないのかも」

「そんなことない。けど……」


 リジルは小さなため息を吐いて白い羽毛をぎゅっと抱き締めた。しばらくして身体を離し、クローの赤い目をじっと見つめる。


「ねぇ、クロー。私は……その、どうすればいいと思う?」

「そうだねー……」


 クローは考えるように黙り、「これはあくまでも一羽の鳥としての意見なんだけど……」と前置きして嘴を開く。


「リジルはねー。多分、あのシグルドって人から巣立たないといけないよ」

「巣立つ?」

「うん。だってさー、君はすでに〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉っていう群れフロックの一員なんだから」

「……っ!」


 その言葉にリジルははっと息を飲んだ。

 脳裏に過ったのは、強がりながらもどこか寂しげな武器商人の背中だった。彼が自分に向ける感情はやや複雑で、歪かもしれないが、それでもあの時、〈マスター〉の銃剣から見ず知らずの殺し屋を庇おうとしたのは確かだ。


「君はもう子犬パピィじゃないよ、〈黒犬ブラック・ドッグ〉。それはもう、自分が一番よくわかっているんじゃないの?」

「…………。……っ、で、でも」

「古巣に戻りたくなるのはわかる。ボクもヒナに戻りたいなーって思う時あるもん。だから、これから自分が何を望むのか、よく考えて決めてね。道を選ぶのは、あくまで君なんだ」

「……うん。ありがとう、クロー」

「じゃあ、またね!」


 クローは少女の頬にすりすりと身体を擦ると、ぴょんと窓枠から飛んでいった。




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