Phase.21 タチャンカに乗って




     21




「ん、リジルはどうした?」

「カネトリ! 大変だ!」


 カネトリが夕食のプレートを持って部屋に戻ったのは、ほとんどリジルと入れ違いだった。

 相棒の白カラスはベッドの上に広げられたノートを見て、バタバタと慌ただしく白い羽毛を散らしている。


「リジルが出て行った!!」

「なっ――」


 カネトリは動揺から思わずスープとパンを取りこぼすのも構わず、ほとんど奪い取るようにしてリジルのメッセージに目を通した。

 ミミズ文字は『Im sorry,Kanetori.I must go.Run to …!!』と簡潔なものだったが、状況を伝えるにはそれで充分だった。

 恐らくCastle包囲EnvelopmentEnemyの単語がわからなかったのだろう。『to』の後には矢印で城壁に囲まれた城の画が、家を取り囲む黒い棒人間たちのイラストには『Bad mans悪人たち』の語が書きつけられていた。


「隠れ家がすでに敵に囲まれているから、ダブリン城へ逃げろってことか! だが、それなら一体どうして……」


 その時、表にパンパンと銃声が響いた。ここからだと若干くぐもってはいるが、男の怒号の声も聞こえてくる。


「まさか……リジルか!?」

「リジルが戦ってるんだよ! 自分が囮になってる間に、逃げろってことだよ!」

クソったれバーキング・スパイダーズっ!」


 カネトリは拳を握って怒鳴る。残された時間は少なかった。リジルの応援に向かうか迷うが、それではリジルの行動が無駄になってしまうと判断し、すぐにトランクを持って部屋を出る。庭に降りてリボルバーが装填されてることを確認し、塀を乗り越えて隣家の庭先に逃れる。


「クロー、お前はリジルについていくんだ! 後で居場所を知らせてくれ!」

「りょーかい!」


 白カラスを夜空に放ち、カネトリは周囲の気配を伺って再び塀を乗り越えた。酒場の裏手のブレシットン・コートに着地し、周囲に人影がないことにほっと一息つく。

 そのまま管理人の家があるエクルズ・ストリート七番に上がろうと走り出す。一つ目の角を曲がったところで、闇の中からカチリと撃鉄の上がる音がした。


「止まれ。警告射撃はなしだ」

「くっ……」


 カネトリは足を止め、奥歯を噛み締めたまま両手を挙げた。それぞれ離れた位置で待ち伏せしていた男が四人、懐の銃に手をかけたまま顔を出した。

 道の中心で、スミス・アンド・ウェッソン社のハンマーレス・リボルバーを向ける男が問う。


「ロンドン・シンジケートのエージェント、カネトリだな?」

「一体、なんの話でしょ……」


 そうしらを切りかけたところで、すでにIRBに顔写真が行き渡っていることを思い出して、カネトリはため息を吐いた。周囲の男たちを鋭く一瞥する。


「……お前ら、IRBじゃないな。見たところ傭兵の類か。それもかなり場数を踏んでいる。だけど、ダブリンの街中こんなところにカウボーイは少しセンスがないな」

「…………」


 その軽口を男は黙殺した。そこでカネトリは咄嗟にドイツ語に切り替え、


「――何者だヴェル・イスト・ダス? ドイツ皇帝のズィー・ダー・アプー対外諜報工作部かヴェ・ダス・ドイチェ・カイザー?」

「?」


 男の反応がないのを見て、英語に戻した。


「それにしても、こんなに動きが早いのは意外だった……。さすがはピンカートン探偵社ってところかな?」

「……ほう」


 それを知っているのは意外だったらしい。男は少し黙って頷く。


「ギルドはそこまで掴んでいるのか。ロンドン・シンジケートの勢力圏外だと言うのに」

「いや、そうじゃないさ。ダニエル・ブラインの殺害現場に薬莢が残されていてな。コルトM1895自動式拳銃を採用する組織は限られる。アメリカ合衆国海軍情報部、連邦捜査局の一部の管轄、大統領府直属の秘密捜査部シークレット・サービス……諜報組織は数あるが、中でもとくに使い勝手のいいのが、すぐに足切りできる傭兵――ピンカートン探偵社の工作部隊だ」


 それは五十年代、分裂前のアメリカ合衆国で生まれた私立探偵社兼、民間警備会社プライベート・セーフティ・カンパニーの名だ。

 『我らは眠らないウィー・ネバー・スリープ』を標語に大統領の要人警護や現金輸送車両の護衛、スト破りに従事し、最近では合衆国の企業ながら西部のアウトロー対策にエルフ連邦に雇われた経緯がある。

 その正体は北部合衆国の独立諜報機関。私的な傭兵団として活躍する傍ら、ホワイトハウスの指令を受けて各地で暗躍している……という噂だ。


「……詳しいな」

「職業柄少しな。それに、あんたのその銃を見れば武器商人なら誰でも気がつくさ。スミス・アンド・ウェッソンの撃鉄内蔵型リボルバーセーフティ・ハンマーレス・モデル……俗に言う『レモン絞り器レモン・スクイーザー』か。ピンカートン探偵社が採用している噂は本当だったんだな。いかにも合理的なアメリカ人らしいチョイスだ」

「…………」

「噂の件もあって、ドイツ軍の関与を疑っていたが……これではっきりした。ドイツ脅威論ジャーマノフォビアを煽ってデマを流したのもお前たちだろ。ドイツ人の話はただの目くらましブラフ。IRBの裏にいるのは、合衆国政府ホワイトハウスだ」


 そこまで言われてから、ピンカートン探偵社の傭兵は正解者にパチパチと軽く拍手をした。


「有能なエージェントだな。〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉から派遣されただけはある。ロンドン・シンジケートを見限ってこちらにつかないか?」

「生憎、賭けの途中なんでね。……それに、あんたの組織より、うちのボスのほうがよっぽど恐ろしいからな」

「そうか。それは残念」


 男はふっと口もとを歪め、再び銃口を向けた。


「では、カードを渡してもらおう。殺して奪ってもいいが……こちらとしても、無駄な殺しは避けろとのお達しだ。我々は人道的な組織だからな」

「人道的だと? ホームステッド・ストライキの話は英国でも有名だぞ。何の武器も持たない炭鉱労働者を殺戮したんだろうが? 俺はてっきり、そこまで知られたからには死んでもらおうって、お決まりのパターンだと思ってたよ」

「それをお望みならば。……我々は命令プロトコルに忠実なのだ。鎮圧しろと言われれば容赦なく引き金を引き、人道的な扱いをしろと言われれば、そうするまで」

「ちっ、プロトコルか! 俺が一番嫌いな言葉だ」

「お前の好みは関係ない。答えを聞こう。カードか、弾丸か?」

「くっ……」


 言われた通りにカードを渡しては、自ら囮となって飛び出て行ったリジルに申し訳ないが、ここで抵抗しても勝ち目がないのは明白だった。

 今この状況を凌げば、ギルドの応援を待ってカードを取り返すチャンスがあるかもしれない。そう合理的に判断し、外套のポケットに手を伸ばしかけたところで、ズダンと一発の大きな銃声が鳴った。


 散弾銃の発砲音。


 それを合図に怒号と銃声がピタリと止み、通りは静寂に包まれる。


「……っ」


 包囲している敵は複数人で、しかも相手はピンカートン探偵社のプロの傭兵だ。この状況でリジルが逃れられたとは思えない。……だとすると、さっきの銃声は。

 その事実に愕然とし、カネトリは肩を落として、ぶらりと手を下ろした。自然と手は震え、腰のホルスターに伸びていく。


「…………。……俺のモットーを教えてやる。恥じることなかれ、だ。俺は武器商人。お前の銃に屈することなんか、万が一にもない! 殺して奪ってみろ、荒野のハイエナども!」

「了解した。……では、恥じることなく死ね」


 男が背筋の凍るような声で告げ、引き金にかかる指に力を込めた、その時だった。



「――カネトリさあああああああああああああん!」



 街路を暴走する四頭立て馬車が、エクルズ・ストリートを曲がって突入してきた。

 屋根となる覆いが外された五人乗りのバルーシュ・タイプで、知り合いの武器商人ロキア・アレクサンダー・グラバーとその私兵ワルキューレの三人が乗っていた。

 ガタガタと大きく揺れる車上には、カネトリがいつも扱っているヴィッガース銃が搭載されている。


「ギルドからの応援って……お前かよ!」



「――撃てファイア!」



 カネトリが声を上げるのと同時、ロキアは発砲を命じた。射手席に乗る〈ワルキューレ〉の一人が頷き、握りハンドルに力を込めて銃撃を開始する。



 ダダダダダダ――連なる銃声が路地裏に鳴り響き、車上から大量の空薬莢が吐き出された。



 まず手始めにカネトリの前に立つ男が無数の七ミリ・ブリティッシュ弾に貫かれた。射手は相当な射撃センスの持ち主らしく、揺れる馬上にあっても的確に中てていく。銃弾は毎分五百発の発射速度で放たれ、弾幕の線になぞられた男たちが次々と斃れていった。


「はっはっはっ! 大英帝国万歳!」


 御者席の後ろに立つロキアは上機嫌で手持ちの英国旗ユニオン・ジャックを振る。


「カネトリ様! さあ、手を!」

「うわっ!」


 爆走する四頭の馬は一切減速せず、全速力で向かってくる。すれ違う直後、カネトリはミナ・ランドグリーズの獣人らしい力強い腕に引き上げられ、荷台に飛び移った。

 大好物の獣人肌を味わう余裕もなく、カネトリは座席を掴んで起き上がる。


「ヒーハー! 昨日ぶりですねぇ、カネトリさん!」

「なんて無茶をするんだ! 一体、この馬車はなんなんだ……っ!?」

「おや、御存知ない? ロシア風の機関銃付き馬車タチャンカですよ! こんなこともあろうかと別荘から持ってきて正解でした!」

「派手だな! まったく!」

「さ、脱出しますか!」


 ロキアは英国旗を投げ捨て、手綱を握る御者席の〈ワルキューレ〉に行き先を告げた。

 馬車はブレシットン・コートの角を危うく曲がり、周囲から追ってきた男たちを蹴散らしてドーセット・ストリートを逃走していく。


「……射撃完了。装填」


 ヴィッガース銃も後方に向けての射撃が続けられたが、敵対勢力が遥か後方に流れ、やがて周囲に銃撃する対象がいなくなると、射手の少女は新たな弾帯を装填して目を閉じた。


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