Chapter.Ⅲ 子犬と〈黒犬〉

Phase.16 祖国よ、再び




     16




 一仕事を終えた後、男はバーニー・キアナンの酒場で黒ビールギネスを飲んでいた。

 まだ昼にもなっていないというのに、薄暗い店内では赤ら顔の男たちがくだを巻いていた。英国政府への不満や政治家への罵倒、下品な冗談などが飛び交う中、男は西部のカウボーイが被るようなテンガロンハットを深く被り、一人沈黙を保っている。

 酒場の隅に腰かけ、その格好がまるで葬式帰りように黒づくめなこともあって、男は昼間だというのに闇に溶け込んでいるようにも見えた。

 仲間から連絡があるはずが、もう二時間以上は待たされている。男は懐中時計を見て小さく舌打ちをすると、じかにボトルを仰ぎ、それが空であることに気づいた。


「……クソったれ」


 もう一本注文しようと卓上の呼び鈴に手を伸ばした時、店の電話がジリリンと音を立てた。

 すぐにケルト模様の緑のワンピースを着けたアイルランド女が駆け寄って男を呼んだ。男は鷹のような鋭い目つきでそれを見た後、席を立ち、小銭チップを渡して店の奥に入った。そう広くない店内に目を光らせながら、受話器を手にする。


「俺だ」

『……アイズ、悪い知らせだ』


 相手は開口一番にそう言った。そこに状況を憂う様子は微塵もない。


『回収人がしくじった。カードはギルドの手に渡ったらしい』

「ちっ、アイリッシュめ! まともなおつかいもできんのか!」


 アイズと呼ばれた男はギリっと歯を鳴らし、腹立たしそうに紙巻きたばこシガレットを取り出した。マッチで火を点し、深く吸って吐き出す。


「だから俺は言ったんだ。こちらで先にカードを回収すべきだとな! これでは二度手間だ」

『仕方がない。トマス・クラークは用心深い男だ。我々は手順プロトコルに従ったまで』

「プロトコル……プロトコル……プロトコルか! クソ忌々しい言葉だ」

『仕方がない。ギルドの介入は予想外だったのだ。アイルランドはロンドン・シンジケートの勢力圏外だからな』

「〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉か。やはりあの女は油断ならない……」


 アイズは呟き、金髪碧眼の凶暴な幼女の姿を思い出して深いため息を吐いた。


『思ったより動きが早い。お前も気をつけろ』

「こちらは問題ない。それで、どうする? 取引は明後日の夜だ。すでに『モビーディック』は到着しているんだろ?」

『ああ。……できればギルドとは直接ことを構えたくなかったが、この際仕方ないか』


 相手は一瞬だけ考えるように黙り、端的に指示した。


『計画に変更はない。ギルドのエージェントを消し、カードを回収しろ。すぐに使いページをやる』

「了解」


 即答する部下に、相手は『ああ、それと』と付け足して訊く。


『確か、モデル1895だったか? 支給した新型拳銃はどうだった?』

「お前がどうしてもと言うから使ったが、やはり自動式は信頼性に欠ける。弾倉マガジンをすぐに交代できる点は便利だが、三発目で弾詰まりジャムが起きた。それと撃った後の薬莢の回収が面倒だ。一発だけ弾を回収できなかった」

『ふむ……排莢の問題か。薬莢が跳んでなくなる分にはいいが、装弾不良は大きな課題だな。弾薬については?』

「悪くないが、38口径はストッピング・パワー不足だ。殺しや護身用なら別に問題ないが、戦場で使うならもっと威力がいる。もっと大型化して威力を上げたらどうだ? せめて俺のピースメーカーのように四十五口径は欲しい」

『上層部に提案しておこう』


 どうやらメモを取ってるらしく、受話器の向こうから紙の擦れる音がした。アイズは腰のホルスターを指で弾いて皮肉交じりに言う。


「同情するぜ。こんなおもちゃを持たされて戦場に突き出される兵士には。コルト社も焼きが回ったのか?」

『そう言うな。上は銃のオートマチック化に偉くご執心だが、それ自体は当然の話だ。それにジョン・ブラウニングは天才だからな。この手の技術的な問題はすぐに解決されるだろう』

「今の装備で事足りるだろうに……いつの時代も兵器工場は大儲けだな」

『いずれは……まあ、何十年も先の話だろうが、すべての兵士にマキシム銃のような自動式火器が行き渡るようにする計画らしい。時代は変わるってことだ』


 相手は一息つき、『余談は以上だ。しくじるなよ』と告げて電話を切った。


「しくじるな、だと? ……クソが」


 アイズが受話器を戻し、忌々しげにたばこを踏みつけたその時、パブのステージでパブの常連らしいお客の演奏が始まった。ブズーキとアコーディオンが奏でる主旋律に鳥笛ティン・ウィルプスの音色が加わる。ナショナリストは互いに肩を組み、上機嫌で愛国歌『祖国よ、再びア・ネイション・ワンス・アゲイン』を口ずさむ。




――When boyhood's fire was in my blood

I read of ancient freemen,

For Greece and Rome who bravely stood,

Three hundred men and three men;



 少年時代の火が血の中にたぎっていた時、

 俺はいにしえの自由民のことを本で読んで知ったのさ

 ギリシャやローマのため、奴らは勇敢に立ち向かった

 スパルタの三百人隊や、ホラティウス三兄弟とともにな!




And then I prayed I yet might see

Our fetters rent in twain,

And Ireland, long a province, be A Nation once again!



 それから、俺はまだ見ぬものを祈ったんだ

 俺たちの足かせを真っ二つに引きちぎり、

 長く属州だったアイルランドを、祖国を取り戻そうってな!




A Nation once again,

A Nation once again,

And Ireland, long a province, be A Nation once again!


 祖国よ、再び!

 祖国よ、再び!

 長く属州だったアイルランドを、祖国を取り戻そう!




「まったくもって陽気な連中だ。やかましい」


 がやがやと盛り上がる一団を横目にアイズは席に戻った。ギネスのお替りを飲んでいると、酒場の扉が開いて煙突掃除人のような薄汚れたベレー帽を被った少年が入ってきた。

 少年は酒場をきょろきょろと見回し、やがてアイズを見つけて駆けてくる。


「えっと、エンジェル・アイズさん?」

「……ああ」

「これ店の前に立ってた人に渡せって言われたよ! 届けたからね! ……おっさんたちって多分、IRBのメンバーなんだろ? かっこいいなあ! あ、でも、なんかアイリッシュには見えないね! キノトロープ・ショーの興行で見た西部のカウボーイみたいだ!」


 封筒を差し出し、興奮したように早口でまくしたてるガキに、アイズはソブリン金貨を一枚出して端的に告げる。


「失せろ」

「あんがと、大将!」


 少年は思わぬ報酬に目を輝かせ、大手を振って酒場を出ていった。

 アイズはため息交じりに封筒を開封し、中から現像したばかりでまだ微かに熱が残っているスナップ写真を取り出した。ターゲットらしい男が通りで馬車を呼び止めている場面を間近で捉えたもので、男の連れらしい少女の顔まできれいに写っていた。


「これは……」


 少女の顔に見覚えがあり、男は小さく舌打ちした。


子犬パピィか。……まったくめんどうな」



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