Phase.13 潜伏先と暗号カード




     13




「ねー、これからどうするの?」

「一応、〈マスター〉からは王立アイルランド警察隊RICに協力を仰ぐようにと言われているが……今は時間が惜しい。ブックマンの情報にあった潜伏先の住所に向かうぞ」

「現場判断で?」

「当然! ひとまずダニエル・ブラインを確保して尋問しないと話にならん」


 一行を乗せた馬車は市街を流れるリフィ川に沿って、入渠にゅうきょ作業のための牽引ガーニーが並ぶレンガ造りのドック街に差し掛かった。

 陸揚げされている帆船を横目にギルド・ストリートを北上し、目的のノース・リッチモンド・ストリートの入口で降りる。

 ダブリンの北を流れる王立運河を背にした閑静な通りで、袋小路の突き当りに面した四角い空き地に、隣近所に並ぶオーソドックスな長屋から離れて二階建ての家がたたずんでいた。

 窓のカーテンは硬く閉ざされ、表札すらも出ていない。まるで空き家のようだ。


「さてと、ちゃっちゃと捕獲してカードを取り戻そう。クロー、頼む」

「まったく、しょーがないなー」


 カネトリは財布から針金を取り出して、クローにくわえさせた。


「え、クローが?」

「ああ。こいつピッキングできるんだよ。カラスって意外と器用だよな」

「へへん。もっほほへへいいほ(もっと褒めていいよ)」


 リジルに抱えられたまま白カラスはくわえた針金を突っ込んだ。それから感じた違和感に「ん?」と声を上げる。


「これ、開いてるよ?」

「えっ?」


 カネトリがドアノブに手をやると扉は呆気なく開いた。


「カネトリ……」

「ああ。警戒しろ」


 カネトリは腰のホルスターからウェブリー・リボルバーを抜いた。二人は扉を開いて様子を伺い、誰か潜んでいないか警戒しながら一歩ずつ足を踏み入れていく。

 玄関に入った時点で、少女の優れた嗅覚は異臭を捕らえていた。


「鉄臭い……。血のにおいがする」

「本当か?」


 キッチンに入ると、カルト・ド・ヴィジットに点刻された顔と同じ男が、目を開いたまま、流し台の下に腰かけるようにして息絶えていた。


「ダニエル・ブライン……」


 死因は銃撃だった。胸と腹部、そして頭部に一発ずつと念入りな仕事だ。これで事件の手掛かりが消え、また休暇が遠のいた。


「ワンタッチ差だったね。多分、殺されて十分も経ってないよ」

「被疑者死亡か。こいつは面倒なことになってきたな……」


 カネトリは男のまぶたを閉じて落胆のため息を吐いた。

 男のポケットを漁り、財布から市民カードを抜き取る。リジルとクローを残してキッチンを出て、何か手掛かりが残されてないかと隣の応接間に入り、それから二階に上がろうとして、壁に蒸気パイプとワイヤーが埋め込まれていることに気づいた。


「おっ、これは……」


 それを伝って階段を一歩ずつ上がっていくと、二階の寝室の隅に設置されていた家庭用のキノトロープ・エンジンに行きついた。

 つい先程まで動いていたらしく、基盤から微かに湯気が上がっている。すぐ隣には棚があり、男のコレクションが並んでいた。


「おおかた、キノトロープ・ポルノ用にってところか。贅沢な奴だ」


 本体が高価なのはもちろんのこと、設置費、定期的な整備コストがばかにならない。自宅でキノトロープを楽しめるのは貴族や一部の上層中流階級アッパー・ミドルだけだ。

 大多数の紳士たちは当然、そんなものを持つことはできないので、目的のキノカードを手に入れては、裏にある『キノ貸し屋』でエンジンだけ借りてことを済ませる。


「どれどれ……」


 カネトリはバベッジ機関の蒸気圧を確かめ、キノトロープを起動させた。

 再生が始まり、壁に設置された黒と白の駆動板ピクセルがカタカタと回り始める。視界に残像が生まれ、適切なリフレッシュ・レートに合わせて右から左へと波打つような駆動画を展開した。

 表示されたタイトルは、H・S・アシュビー監督作品『我が秘密の生涯 パート4』。


「ん?」


 ふと違和感を覚え、カネトリは棚の二段目に目を止めた。

 作品の続きらしいキノカードが散らばっている。これでは、再生しようとした時にいちいち順番に並べ直さないといけない。


「……なるほど。木を隠すなら森、と」


 カネトリは棚から『我が秘密の生涯 パート4』のパッケージを取り出した。

 本来はそれぞれ動画の再生時間分のキノカードがぎっしり詰まっているはずだが、中身はキノカードよりも数ミリほど厚い金属板の束だった。


「ビンゴ。わかりやすい奴でよかった」


 見た目はキノカードと変わらないが、情報保持の暗号化がなされているらしく、通常のパンチ穴とは異なる、様々な記号が穿たれている。盗まれたカードの実物を〈マスター〉に見せてもらったわけではないが、カネトリは以前、〈ナンバー・シックス〉で同じような暗号クリプトカードを扱ったことがあった。

 カードの縁を見ると細かい文字で『HMNB Portsmouth,Project D-1 42/80』と刻まれていた。どうやら、ポーツマス海軍基地の『D‐1』という計画に関連する情報らしい。

 カード・ナンバーは42で、しっかり80まで揃っていたが、棚を探してみてもそれ以前のカードは出てこなかった。おそらくブライン本人が組織の口封じを警戒し、すべてを渡すのではなく、残りの半分を保険として手元に取っておいたのだろう。

 もしかすると、それが原因で死期が早まったのかもしれないが。


「ま、小細工も死んだら意味ないな。ポルノも。もったいない……」


 カネトリがクリプトカードをハンカチで包んで懐に入れると、一階の探索を終えたクローとリジルが部屋に入ってきた。


「カネトリ! これ……」


 リジルは手に握り締めたものをカネトリに差し出そうとして、



「えっ……」



 ふとキノトロープ上で演じられている行為・・を見てしまい、絶句した。

 脂肪のついたふくよかなご婦人が股を開いて煽情的に中のものをいじっている。当然ながらその臓器は剥き出しで、小ぶりな胸が愛撫に揺れていた。


「い、いや、これは違うぞ……リジル……」


 カネトリは慌てて蒸気機関を停止させた。プシューと蒸気が解放され、キノトロープがまっさらな凪の状態に戻る。


「…………。カネトリ、これ……落ちてた」


 身の危険を感じたのか、少女は胸を隠すように身を捩り、手だけ伸ばして薬莢を渡した。


「リジルには少し刺激が強かったかもね!」

「傷つくぜ……」


 カネトリはほぼ涙目になりながらも、武器商人の知識を動員して分析にかける。


「火薬の発射痕がまだ新しいな……。どこで見つけた?」

「レンジの下に転がってた。クローが見つけたの」

「えへん! 鳥の低い目線も役に立つね!」


 胸を張る白カラスに、カネトリは「お手柄だ」と素直に褒めた。


「リボルバーじゃ薬莢は落ちない。38口径……ドイツ製じゃないな。アメリカ合衆国製か。俺の記憶が正しければ、この弾薬を使う拳銃は一つだけだ。昨年、製造が開始されたばかりの新型の自動式拳銃、コルトM1895だ」

「えー、珍しいね。ウェブリー弾じゃないんだ」

「ああ。これは専用弾だ。……加えて言えば、これは本来ここにあってはいけないものだ」

「どういうこと?」


 首を傾げるリジルの前で、カネトリは不可解な証拠物件をポケットに突っ込む。


「民間市場には出回ってない類の軍用拳銃なんだ。どちらかと言えば、秘密兵器の類になる。少なくとも、今はまだな。これが十年後だったら新生ローマ帝国や南米で大量にコピーされて状況も変わってくるんだが……」


 その時、ガチャと玄関のドアノブを回す音が聞こえた。

 がやがやと話し声が聞こえ、複数の男が入ってくる。ギシギシと階段が軋む音がして、男の一人が真っ先に寝室に向かってきた。


「!」

「殺すなよ、リジル」


 咄嗟にナイフを構えるリジルに、カネトリは小声で言った。二人は寝室の戸棚の影に潜み、奇襲のタイミングを伺う。

 扉が開かれた直後、〈黒犬ブラック・ドッグ〉は侵入者に影のように飛びついた。


「両手を上げて」

「なっ――」


 ナイフを喉もとに軽く当てて一言命じると、男は素直に従った。

 その間にカネトリが近づき、素早く武器を奪い取る。

 腰のホルスターから釣り紐ランヤードに繋がれた旧式のウェブリーRICリボルバー、警棒、手錠と危険度の高い順に武装解除していくが、途中でその奇妙なラインナップに首を傾げて、改めて男の服装を見た。

 野暮ったい警察帽ピッケルハウベとダークグリーンの制服を着けた、亜麻色の髪をした色白の男。ポケットを探ると、王冠と竪琴が意匠されたRICのバッチと警察証が出てきた。


「お前、RICの警部官インスペクターか?」

「そ、そうですが……」

「どうしてRICがこんなところにいるんだ?」

「どうしてって、それは……」


 男が答える前に「グレグスン警部!」と声がかかり、もう一人の巡査が階段を上がってきた。

 リジルが片手で咄嗟に銃を向けると、巡査は人質に取られている上司を見て目を丸くする。


「お、お前たちは……」

「待て」


 何秒も遅れて腰のホルスターに手を伸ばす巡査を制し、カネトリはリジルに首を振った。

 武器が下ろされ、解放された男も安堵のため息を吐いて両手を下ろした。


「どうやら、互いに誤解があったようだ」

「そ、そうですか……。誤解が解けてなによりです。あなたがたは?」


 カネトリは男に奪った武器を返し、懐からギルドの身分証を取り出す。


「俺は今回IRBがらみの事件で〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉から派遣されたカネトリという者だ。上司の話だとIRB対策を専門にしている刑事が現地で協力してくれると聞いていたが、今から会いにいくことはできるか?」

「ああ。それなら、私がその協力者です」


 男は乱れた襟もとを正し、カネトリの前でカツンと靴を鳴らして敬礼した。


「申し遅れました。私、スコットランド・ヤードから派遣されました、対IRB特別捜査官のトバイアス・グレグスンです。以後、よろしくお願いします」


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