Phase.12 第二次南北戦争




     12




 ロンドン・ヴィクトリア発着場を飛び立ってからおよそ六時間半のフライトを経て、一行はダブリン湾内のブル島に作られたウィリアム・ブライ発着場に降り立った。

 ダブリン港の隣に位置するサブの波止場には、飛行船だけでなく様々な船が停泊している。

 目立つのはアメリカやアフリカに向けた民間の商船で、帆を畳んだ漁船や蒸気船の間に混じって、ちらほらとユニオン・ジャックを掲げる軍艦の姿も見えた。

 桟橋で荷下ろしを行う男の中には、ターバンを巻いた中東系や腰蓑をつけた東南アジア系の魚人が混じっているなど、その顔触れは様々だ。紅茶、砂糖、綿花、香辛料、織物、たばこ、石炭、鯨油の樽……積まれている量もさながら、とにかく種類が多い。


「ここが、アイルランド……」

「そんなにじろじろ見たら失礼だぞ」


 目を輝かせて桟橋を眺めるリジルに、カネトリは苦笑して言った。


「ダブリンは昔から貿易で栄えていたんだ。もともとはケルト人が暮らす小さな村だったが、八世紀末に北欧のヴァイキングが占領して城壁を作った。その後、イングランドの植民地になってからは、大西洋貿易の拠点として発展した歴史がある」

「へぇ……」


 カネトリはごほんと咳払いをして、いつか歴史の授業で習った記憶を引き出すように、こめかみを揉んで「昔、大飢饉があってな……」と口を開き、



「号外~! 号外だよ~! アイリッシュ・タイムズの号外だ!」



 早朝の港に響き渡るその声で、少し行った先に人だかりができていることに気づいた。

 何事かと足を止める人々に新聞社の作業員が号外を配っている。シルクハットを被った上級階級の紳士や店の経営者、軍学校で教育を受けた兵士などが必死になって号外を読んでおり、文字の読めない水夫や労働者が周りで何事かと野次馬になっている。



「――戦争だ~! ついにアメリカで戦争が始まった~!」



 新聞社の男が喧伝するのと同時、待ち構えていた楽隊の演奏が始まった。

 アイリッシュ・フィドルの主旋律に、ブズーキやアコーディオン、コンサーティナの音色がそれぞれ応じる。ケルトの陽気なリズムにアレンジされて演奏されるのは、南軍のテーマソングである『ディキシーランド』だ。




――I wish I was in the land of cotton,

Old times there are not forgotten,

Look away, look away, look away, Dixie Land.


 あの綿花の地に住んでいたい

 昔の思い出が忘れられないんだ

 遥か彼方、遠く、遠くのディキシーランド!




In Dixie Land where I was born in,

Early on a frosty mornin',

Look away, look away, look away, Dixie Land.


 ディキシーの土地でオラは生まれた

 霜の降りた冷たい朝さ

 遥か彼方、遠く、遠くのディキシーランド!




Then I wish I was in Dixie, Hooray! Hooray!

In Dixie Land I'll take my stand to live and die in Dixie,

Away, Away, Away down South in Dixie,

Away, Away, Away down South in Dixie.


 そこでオラはまた暮らすんだ 万歳! 万歳!

 ディキシーの土地に立ち、暮らし、ディキシーの土地で死ぬ!

 遥か遠く、遠く、遠く南部のディキシーで!

 遥か遠く、遠く、遠く南部のディキシーで!




「ついに来たか! リジル、ここで待ってろ。ちょっと行ってくる」

「わかった」


 カネトリはリジルとクローを離れた位置に残し、足早に群衆に向かって駆けた。


「おい、俺にも一部くれ」

「はいよ!」


 号外を広げると、南軍旗を掲げる兵士の挿絵に目を引かれた。その下には『第二次南北戦争セカンド・シビル・ウォー開戦!』の文字が躍っている。

 ついに新大陸で戦端が開かれたのだ。


「おい、あんちゃん! まるであれみたいじゃないか、俺はな、ずっと前に劇場で観たんだ。つーっても、安いキノトロープ・ショーでだけどな! 名前なんつーったかな……ほら、あれだよ、あれ。サラ・ベルナールが演じた、あの気の強い南部人女の物語!」

「……あー、もしかして『北風は去りぬゴーン・ザ・ノーザンウィンド』。スカーレット・オハラの自伝小説・・・・のことか?」


 カネトリのアシストに、つなぎを着た労働者の男は興奮して手を叩いた。


「そうそう! スカーレット・オハラ! あれはいい女だぜ!」

「…………」


 南部に暮らす貴族たちがみんなで力を合わせて北軍を追い返し、かつての輝かしい暮らしを取り返すという一大スペクタクル。

 作者のオハラは自伝小説を謳うが、自らを美化しすぎな上に獣人奴隷の描き方が酷いため、カネトリは途中で読むのを止めていた。


「俺は政治も文学もからっきしだけどよ、北部人ヤンキーが嫌な奴らってことは知ってんだぜ! 南部の連中もかわいそうだよな、あんな酷い北軍がまた攻めてくるんだからよ」

「……そうだな」


 あんなのは南部連合のプロパガンダだ、という言葉を飲み込みつつ、カネトリはただ頷いておいた。


「おっ、そうだ! ところで解析機関エンジンは何て言ってんだ?」

「戦勝予測か? あんなのが当たった試しはないぞ」

「いいじゃねぇか。いいから教えてくれよ」

「……えーっと、『ロイター通信の〈ワールド・アトラス〉、及びアヴァス通信の〈ガリア〉、ヴォルフ通信の〈ドッペル・アドラー〉による並列演算シミュレーションの結果、北軍が八、南軍が二という結果に。農業主体の南部の工業化は遅々として進んでおらず、国力も合衆国の三分の一ほどしかないため、大変に不利な状況である』……」

「へぇー、そんなに差があったのか。こりゃディキシーはすぐに負けちまうな!」

「いや、これはあくまでも通信社が勝手に言ってるだけで……」

「あんがとな、兄ちゃん!」


 特ダネを仲間に伝えたくてウズウズしているのだろう。男はさっさと行ってしまった。


「ちっ、マスコミめ。こんな意味のない予想で煽りやがって……。せっかくの解析機関エンジンもこれじゃ宝の持ち腐れだ」


 カネトリはやれやれとため息を漏らして踵を返した。

 三大通信社の言う勝率とやらは八対二だが、残念ながら機関銃や飛行船という新兵器の可能性や、エルフ連邦・・・・・というジョーカーの存在を完全に無視している。

 数百人の原住民を退けた現場を、カネトリは南アフリカで実際に目にした。

 機関銃は正しく使うことさえできれば戦力の差を埋めるだけの力を持っている。英国の新型機関銃ヴィッガースに対し、合衆国は俗に『芋掘り機ポテト・ディガー』と呼ばれる、たかが数千発の射撃で銃身がダメになる問題だらけの兵器しか持っていない。

 その点はむしろ〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の支援を受けられる南部のほうが有利だ。


「どうやら開戦したようだ」

「それって、昨日言ってた戦争のこと?」

「ああ。……ちょっと状況を説明しよう。待ってろ」


 二人と一羽は人混みを避け、荷積み用の空箱が満載された辺りに腰を下ろした。カネトリは鞄から携帯用の世界地図を出し、リジルの前に広げる。


「前に見せた世界地図は覚えてるか?」

「うん」

「今いるアイルランドがここ。それで、ここが北アメリカ大陸。もともと英国やフランスの植民地だったのが、一世紀前にアメリカ合衆国として独立したんだ。今度の戦争――言うなれば、第二次南北戦争はここで起きている」

「海の向こうで?」

「そうだ。内戦の影響で北アメリカには三つの国ができた。北部合衆国ノーザン・ステイツ南部連合国ディキシーランド、そしてロッキー山脈の向こう側に広がる西部諸民族自由連邦ウエスタン・エスニック・フリーユニオン――俗にエルフ連邦と呼ばれている国だ」

妖精エルフ?」


 その言葉にリジルは不思議そうに首を傾げた。


「寝床からいたずらで赤ちゃんを盗んだり、取り替え子チェンジリングしたりする、あの小さい妖精ピクシーのこと?」

「いや、アメリカ先住民の亜人のことだ。民間伝承の妖精に似てるからって勝手にそう名付けられた。ほら、どこかで見たことないか? 見た目は人間にそっくりだが、耳が長くて美形が多くて、独自の精霊信仰アニミズムを持っている……」

「うん。見たことない」

「そうか。……まあ、いずれ会えるかもしれないな。彼らはもともと争いを好まない種族で、インディアンと協力して平原で平和的に暮らしていたんだが……ヨーロッパの入植者に土地を奪われてな。今は西部の森林地帯や何もない荒野の居留地テリトリーに住んでいる」

「……なんか、かわいそうだね」

「ああ。そんな侵略者たちがまた互いに殺し合うことになったんだ。……まあ、いい気味さ」


 毒づくカネトリに、リジルは考え込むように黙り、それからふと疑問を口にする。


「戦争の原因はなんだったの? いっぱい人が死ぬのに……どうしてまた北と南で争うの?」

「戦争のほとんどは金が理由だ。アメリカの場合は……奴隷だな」

「奴隷……」

「ああ」


 カネトリは神妙な表情で頷くと、ペンを出してアメリカとヨーロッパ、アフリカを線で結ぶ。


「この三角形が何か分かるか?」

「はいはーい! ボク知ってる! それは大――むぎゅ!」

「リジルの番だ! 静かにしてろ!」


 カネトリは咄嗟に白カラスの嘴を摘まんだ。


「いちちち……もーっ! 取れたらどうするんだよ! 鳥類にとって翼の次ぐらいに大事なんだからね! 多分だけど!」


 指圧から解放されたクローは、もともと尖っている嘴をさらに尖らせて抗議する。

 リジルはその三角形をじっと見つめ、少し考えた後に言った。


「船の……道?」

「そうだ。つい最近までヨーロッパではアメリカとアフリカを結んだ三角貿易が行われていた。とくに一七世紀後半、欧州列強の獣人領域侵攻を皮切りに、それは規模を拡大して一八世紀の半ばに最高期を迎える。……獣人の自由と引き換えにな」

「自由……」


 カネトリは少し逡巡した後、ギュッと唇を噛み締めて告げる。


「別名、大西洋獣人奴隷貿易。その時代、獣人は亜人ですらなく商品ものの一つだった。……そしてそれには俺の職業も関係してる」

「武器商人が?」

「ああ。狩りに武器は欠かせない。……もともと、アフリカには獣人と黒色人種ネグロイドという二つの種族が住んでいた。この二つの民族は部族社会で、互いに争ったり、王国を築いたりしていたんだが……人間は亜人に比べて力が弱いからな。内陸部から追い出されて沿岸部で暮らしていたんだ。そこに欧州からマスケットがもたらされるようになると、少しずつだがパワー・バランスが逆転するようになる。火薬という武器を手にした黒人たちは、今度は逆に獣人たちを支配するようになったんだ」

「獣、狩り……」

「そうだ。今の銃に比べると性能は悪いが、それでも飛び道具は強いからな。他にも大砲やら火箭砲ロケットやらが欧州からどっさり届けられた」


 一八世紀後半には英国武器商人の手によって毎年数十万挺ものマスケット、数百トンに及ぶ火薬が運ばれたとされる。部族間の争いが絶えなかったアフリカは当時から巨大な武器市場であり、それは今も変わっていない。


「私も……」


 リジルは小さく呟き、そこではっと気づいて慌てて首を振った。


「いや、なんでもない」

「? まあ、いいや。続けるぞ。そもそもの始まりは……」


 カネトリはことの起こりを簡単に説明した。保護貿易と自由貿易、それに関する関税障壁の問題については難しいので省き、簡潔に結果だけを述べる。


「当時のアメリカ合衆国議会は、奴隷解放宣言を出すのが遅すぎた・・・・。その頃にはすでに英国政府が停戦に向けて軍事介入を始めていたし、リー将軍率いる南軍は先手を打って重要拠点のゲティスバーグを攻略していたんだ」

「じゃあ、奴隷の人たちは……」

「ああ。南部連合国は事実上の独立。残念だが、奴隷制は維持されることになった。ただし、ヴィクトリア女王の働きもあって一応の妥協点として奴隷全体の三割に当たる人間……つまり黒人奴隷は解放された。戦争の結果、人間種は自由になったんだ。一応な」


 その後、それに反発した一部の兵士や地下鉄組織アンダーグラウンド・レールロードによって逃亡した亜人奴隷、マンハッタン島でコミナードを率いていたカール・マルクスなどが西部に渡り、草原人エルフなどの先住民族連合と協力して、エルフ連邦を建国するのだが……そこまで言うと長くなるので止めておいた。


「じゃあ、亜人は……」

「…………」


 うつむいて考え込む半獣人ハーフの少女になんと言えばいいのかわからず、カネトリはただ黙って見守ることしかできなかったが、やがてリジルは「でも」と顔を上げた。



「今度の戦争では、獣人もエルフも、みんなが自由になるんでしょ……?」



「ああ。それは間違いない」


 その言葉に、カネトリは力強く頷いた。


「合衆国議会も戦争の大義名分に『全アメリカ市民の解放』を掲げている。アメリカ合衆国はリンカーン大統領のヘマを繰り返したりしない。……それに、三十年前とは時代が違うんだ。列強の圧力もある今、英国もおいそれと軍事介入はできないさ」

「よかった……」

「…………」


 ほっとしたように表情を緩めるリジルに、南部を支援する側の武器商人はぎゅっと胸が痛む思いだった。



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