Phase.9 新たな任務




     9




「失礼します!」


 二人と一羽が執務室に入ると、安楽椅子に座る〈マスター〉は腕を組んで部下を睥睨した。


「うむ! 待ちくたびれたぞ、カネトリ」

「ああ、〈マスター〉。三日ぶりですね、ご機嫌はいかがですか?」

「なんじゃ、ニコニコしおって。気持ち悪い」

「…………。……えっと、それで今日は一体何の用で?」


 ロキアに倣って笑顔を浮かべていたカネトリは、表情を戻して早くも本題に入った。


「うむ。数日前にポーツマスの造船所で爆弾テロがあったのは知っておろうな?」

「はい。確か、アイルランドの独立派によるものだと新聞に書いてました」

「うむ。アイルランドI共和主義者同盟RBの連中じゃ。破壊が目的ならまだよかったが、問題は……テロのどさくさに紛れて開発中だった軍事機密が流出したことじゃ」

「それは……大事件ですね」

「うむ。大変じゃな。大事件じゃ」

「ええ」

「…………」

「えっと……」


 上司に意味ありげな視線を向けられ、武器商人は若干たじろいだ。何か言おうと口を開くが、それよりも先に〈マスター〉が口火を切った。


「情報はクリプトカードに暗号化されていて専用の解析機関エンジンに通す必要があるが、IRBは解読エンジンを持っていない。これがどういう意味かわかるか?」

「おそらくは。IRB単体の仕業ではなく、事件の裏に英国軍の軍事機密を狙っている組織がいると、つまりはそういうことですか?」

「うむ。我が大英帝国には敵が多い。ドイツ皇帝カイザー帝国防衛機関アプーヴェだけでなく、ロシア皇帝ツアー帝国内務省警察部警備局オフラーナ、ルル・ナポレオンの王室秘密機関スクレ・ドゥ・ロワ、新生ローマ帝国ローマ教皇庁のバチカン諜報部サンタ・アリアンザ……その他、多くの諜報組織がギルドの情報を狙っておる」

「はあ……」


 話の先が見えず、カネトリは曖昧な相槌を打った。

 そんな様子の部下を見て、〈マスター〉は不満げなニュアンスを口調に滲ませて続ける。


「わからんか? 妾はさっさと行ってカードを取り返してこいと言っておるんじゃ」

「はっ!? ちょ、ちょっと待ってください! すみませんが、〈マスター〉。そんな探偵の真似事なら、俺みたいな冴えない商人じゃなくて、本職に任せたほうがいいと思います! あの男に頼むのは少し癪ですが……ほら、ベイカー・ストリートにはそれなり・・・・の腕利きがいるって聞きますし」

「冴えない商人、か」


 〈マスター〉は意味ありげに呟き、引き出しからファイルを取り出して机に放った。


「そ、それは……?」

「お前のことを調べさせた。ギルドの問題児、ロキア・アレクサンダー・グラバーについては前から経歴が怪しかったからの。今回、奴について調べさせる時にお前と仲がよかったことを思い出したんじゃ。ついでのつもりじゃったが、思わぬ収穫じゃった」

「…………」


 悪ガキのおかげで目を付けられたハーロー校時代とまったく同じ構図であることに気づき、カネトリは胸の内で「くそったれめバーキング・スパイダーズ!」と悪態をついた。


「戦争省、軍事情報部第六課ナンバー・シックス所属の諜報員、『ゴールデン・バード』。本名、カール・オオタ・ワイゲルト。これは調べてわかったが、『カネトリ』という今の名は自らのスパイ・ネームを日本風のカンジ読みに改めたものじゃろ?」

「…………。……改めてそう言われると恥ずかしいですね」


 仲間内にすら隠していた自らの経歴をあけすけに言われ、カネトリは降参するしかなかった。話に置いてけぼりにされ、目をぱちくりさせているリジルを一瞥し、そっと両手をあげる。


「〈マスター〉、参りましたよ。どこまで調べたのかはわかりませんが、勘弁してください。俺はもうとっくの昔に〈ナンバー・シックス〉から足を洗った身です」

「はははっ、足を洗った、か。適切な表現じゃな」


 降伏する部下に、〈マスター〉はふっと笑みを浮かべて椅子から飛び降りた。


「軍事諜報員といったところか。ギルドには必然的に他国の軍事情報が集まるからの。それにしても妾は悲しいぞ、カネトリ。〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の内部にまさか軍部の手先うらぎりものがいるなんて」

「いや、裏切り者って……」


 ギルドと軍部は蜜月の中だが、〈マスター〉はどうも諜報部を敵視するきらいがある。

 その認識は間違っていないが、あながち正しくもない。そもそも〈ナンバー・シックス〉は軍事秘密の収集や他国への裏工作を専門としているので、ギルドを構成する組織内への干渉は行っていない。その上、カネトリは高圧的な軍部に入隊当初から反感があった。対立こそすれ、自らの出世のためにギルドの極秘情報を流すなど思ってもみなかった。


「あの……」

「言い訳はよい。お前がこの任務にあたるのは既定路線じゃ」


 カネトリの言葉を制し、〈マスター〉は自分のペースのまま「問題は」と続ける。


「例の賭けについてじゃ。そうじゃろう、毛だらけ男ファーリー・ジェントルマン?」

「…………」

「あの時、お前がやけにその娘を庇っていることが気になったが……まさか、こういうことだとはな。亜人の女どもワルキューレを連れて回っているあの馬鹿は言わずもがな、お前も亜人がらみの問題を起こしたのは知っていた。亜人に理解のある平等主義者か。それは正しくないな。お前は、ただの毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンに過ぎ……」



「――違う!」



 そこで、今まで黙っていたリジルが、カネトリを庇うように大声で言った。突然のことに、カネトリも〈マスター〉も虚を突かれたように口を開ける。


「なんじゃと……?」

「お、おいばか――」

「カネトリは、優しい! ただの変態じゃない! ……気がする!」

「気がする……。いや、まあいいか。ありがとう、リジル」

「うん……」


 力強く言い切った半獣人ハーフの少女に、〈マスター〉は口を閉ざし、やがて肩を落としてふーっと大きなため息を吐いた。


「許せ。どうやら妾のほうに誤解があったようじゃ。リジルと言ったか、前よりも少しだけ発音がきれいになったではないか。リジル、お前はその獣の正体・・を知った上で、一緒に行動しようというのか? 弱みを握られているとかでなく?」

「うん」

「そうか。それなら問題ない。ただの杞憂で安心したぞ、カネトリ」

「…………」


 満足げに頷く〈マスター〉に、カネトリはやや視線を下げて言う。


「もしギルドを除名になるのなら……どうか、リジルは別の……」

「除名? 何の話じゃ?」

「それは……。俺が、その、毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンだから……」

「はっ、ナンセンス!」


 ロンドン一恐ろしい女は肩を竦め、カネトリをジロリと睨みつけた。


「ギルドは使える者はとことん使い倒す。お前が有能である内は、お前は妾の部下じゃ」

「〈マスター〉……。あ、ありがとうございます」

「誤解するなよ。獣人好きを認めたわけではないぞ。亜人との関係は、ビジネスにリスクしか及ぼさん。現状、お前は違法者イリーガル・マンであることを忘れるな。ソドミー法違反でいつ牢獄にブチ込まれてもおかしくないぞ!」

「……っ!」

「じゃがな、時代は変わる」


 そう言うと、〈マスター〉は背伸びをして部下の背を掴み、その顔をまじまじと見上げた。

 その潤んだ蠱惑的な瞳に間近で見つめられ、「うっ」とカネトリから声が漏れた。これまでとは打って変わり、子どもを諭す母親ような優しい声色になって告げる。


「近代民主主義は自由と平等への流れじゃ。この歩みは誰にも止めらない。先の南北戦争では結果として黒人奴隷が解放された。今度の戦争の結果次第では、やがて亜人奴隷も解放されるじゃろう。時が進めば亜人への偏見もなくなり、共存への道が開かれる時がくるやもしれん」

「〈マスター〉……」

「妾は寛容で、しかもお前のことを信用しておる。お前のことを差別せず、すべてを受け入れてやろう。だから、お前もこの任務を受けてくれるじゃろう……?」

「わ、わかりました! 〈マスター〉!」


 そう答えると、〈マスター〉はいつもの調子に戻り、ない胸を張って見せる。


「もうロイヤル・ミーティングまで待てない。リジルよ、この任務で無事カードを取り返せば賭けはお前たちの勝ちにしてやろう。ついでに二〇〇〇ポンドくれてやる。その代わり、失敗すればお前もタダ働きじゃ! どうだ、乗るか?」

「わかった!」

「よし、契約成立じゃな!」

「えー……」


 口を出さない内に〈マスター〉有利のまま契約が成立し、カネトリは少し遅れてはめられたことに気づいた。


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