Chapter.Ⅱ ロード・レフテナントの居城

Phase.8 ロキア・アレクサンダー・グラバー




     8




「『The lein in Spein stays mainry in the prein.』……ザ・レイン・イン・スペイン・ステイズ・メインリー・イン・ザ・プレイン!」


 リジルの学習意欲と理解力には目を見張るものがあった。

 読み書きを教えて数日しか経っていないにも関わらず、すでにすべてのアルファベットの形と発音を覚え、簡単な言葉ならば正しい文法でスペルを綴り、正しい発声方法クイーンズ・イングリッシュで言えるようになっていた。

 単語力はまだ足りないものの、この調子で学べば、子ども向けの教科書を自分で読めるようになる日も近いと、カネトリは満足げに頷いた。


「すごいな。もう書けるようになったのか」

「これだけ、だけど」

「まあ、スペルは間違っているが、大きな進歩だ」


 カネトリはリジルが書いたミミズ文字の下に、正しいスペルで『The rain in Spain stays mainly in the plain.』と書き入れた。


「あ、そうだったんだ……」

「そんなに落ち込まなくてもいい。よくある書き間違いだ」

「カネトリも?」

「ああ。俺もよくする」


 先輩風を吹かせて言ったところで、隣の机で決算報告書を読んでいた白カラスが告げる。


「カネトリ、ここ誤字だね。WとLが違う。ここは主語がないし、ここはLが一個足りない」

「……ほらな?」

「誤字脱字、相変わらずだね~」


 リジルがアルファベットの書き取りをしている横で、カネトリは休暇前に提出しなければならない書類を作成していた。その多くは事務的な指示書や報告書の類だが、それ故に突き返されると面倒なので、時間をかけてでも納得のいくものを出すことにしている。


「でも、内容はこれでオッケーだから、後は正しく印字して出せば終わりじゃないの?」

「まあな。はあ……また打ち直しか」


 カネトリはため息交じりに言って、タイプライターの前に座った。クローが指摘する部分に赤を入れ、いざ打ち出そうとしたところで用紙が切れていることに気づいた。


「ちょっと紙を取ってくるから、そのまま続けてくれ。わからないところはクローに聞け」

「わかった」


 借りている部屋を出て、ギルド本部の別館にある事務室に向かう。その途中、廊下の先から目ざとくカネトリの姿を見つけた男の声が響いた。



「おやおや~、カネトリさんじゃないですか~!」



「んげっ……」


 途端にカネトリは顔を引きつらせ、ピタリと足を止めた。


「クハハッ、失礼な。んげっ、とは何ですか」

「いや、その……」


 整った顔立ちに人当たりのいい笑みを浮かべてやってきたのは、パリのオートクチュール・スーツを三つ揃えで身に着けた同僚の武器商人――ロキア・アレクサンダー・グラバーだ。

 幕末期の日本で財を成し、当時開発されたばかりだった解析機関の極東輸出にも一役買ったスコットランド人武器商人、トーマス・ブレーク・グラバーが日本女性との間に儲けた隠し子であり、大胆にも彼の人脈を用いて東アジアでの取引に勤しんでいる。


「あ、カネトリ様! お久しぶりです!」

「うっ!」


 ロキアの隣にいる少女にカネトリは胸を打たれた。

 青みがかった髪をリボンで束ね、黒色のすらっとしたバッスルスカートに身を包んだ獣人の少女。長く突き出た顎先には視力を補助するための眼鏡がちょこんと乗っており、スカートの後ろからは獣人のアイデンティティーとも言える尻尾が飛び出して嬉しそうに揺れている。

 娼館ならば真っ先に指名するであろう、性癖ドストライクの少女は、ミナ・ランドグリーズ。

 ロキアのハーレム、もといスカウトした女で構成された私兵部隊ワルキューレの一人だ。


「ど、どうかされましたか!?」

「い、いや……何でもない」


 心配そうな顔をして覗き込むミナにカネトリは首を振るが、その誘惑するように揺れる尻尾から目が離せない。そんな男にロキアはニヤニヤと笑いながら耳打ちする。


「クハハッ、いやあ、分かりますよ、同志・・。尻尾はいいですよね、尻尾は」

「い、一緒にするな……」

「それとも、耳派・・ですか?」

「う、うぐぐっ……」


 類は友を呼び、変態はさらなる変態を呼ぶ。

 禁忌ともされる『亜人好き』を微塵も隠そうともしない異端な男は、初対面の時からすでにカネトリが毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンであることを見抜いていた。

 同じ日本の血を引いていることがわかると、我々は『精神的スピリチュアル穴兄弟・エスキモーズ』であると勝手に位置づけ、さらに馴れ馴れしく接してくるようになった。


「お二人とも、どうかされましたか?」

「い、いや、大丈夫だ。……ああ、そうさ、俺は大丈夫だ。何でもない」


 動揺して手を振るカネトリに、ロキアはニヤリと笑って本題に入った。


「そうそう、カネトリさん。〈マスター〉と面白そうな賭けをしてるんですって?」

「なんだ、聞いたのか」

「ええ。いや、じつは僕も殺し屋に襲われたんですが……生かしておけばよかったかな~」

「やめとけ。こっちは向こう二年タダ働きになるかどうかの瀬戸際なんだ。俺の今後の人生はリジルの成長にかかっていると言ってもいい!」

「たかが一〇〇〇ポンドでしょう、大げさだな~」

「…………」


 ロキアに鼻で笑われたような気がして、カネトリは何も言えなくなった。


「〈黒犬ブラック・ドッグ〉としか聞いていないのでリジルって名前は初耳です。彼女を雇った組織ですが、昨夜ギルドの武闘派連中が壊滅したようですよ。朝刊はご覧に?」

「…………。……今日はまだだな。ずっと報告書をやってたから」

「それはよかった。ミナ」

「はい! どうぞ、今朝のクロニクル紙です」


 ミナが差し出す新聞の一面に掲載されていたのは、野次馬で混雑する貧民街の写真だった。群衆の視線の先には吹き飛ばされて瓦礫の山と化した建物が映っており、『ペッカムのイタリア人街で謎の大爆発! 事故か IRBか』との見出しが躍っている。


「まったく無茶するもんだ。跡形もないじゃないか」

「新聞が事件に何を見出したかはさておき、黒幕はマフィアですよ。今回の襲撃はロンドン・シンジケートに属さない英国内のマフィアによるものです。なんでも、最近、ニューヨークで急速に勢力を拡大しているコルレオーネ・ファミリーの分派だとか」

「そうか。まあ、ロンドン・シンジケートに喧嘩を売った時点でこうなることは予想できたが……なぜだ? 理由は?」

「さあね。大方、先のエチオピア戦争でイタリアが負けたのはギルドの武器商人が銃を売ったせいだって、そんな短絡的な考えでしょう。イタリア人は単純ですから」

「ちょっと待てよ。エチオピアへの交易路は仏領ソマリランドを通ってだろ? グラース銃の在庫とか最新のルベル小銃とか、エチオピア人たちに武器を流してたのは、どちらかと言えばフランス人が中心になってたはずだ。なんで俺たちが……」

「まあ、フランス野郎のとばっちりですよ、我々は。奴らマフィアにとっては武器商人であるかどうかが重要なわけで、それが誰でどこを担当しているかは関係ないのです」

「そんな……適当な」


 どうやらリジルは、とんでもない組織に雇われていたらしい。まったくばかばかしい話だとむしろ力が抜けるカネトリに、ロキアは新聞に視線を落としながら言う。


「エチオピア帝国が勝てたのは、ひとえにフランス製の解析機関エンジンによる近代化のおかげですよ。アフリカで初めて機関を導入して近代化を果たした……それが〈黒い列強〉と言われるゆえんです」

「それもあるが……単純にあの『第三のローマ』を自称する連中がアフリカ人を舐め過ぎていたのかもしれん。英国もこれに続かないように反省しないと」

「デイリー・テレグラフの記事では、そろそろ南アフリカのほうでも戦争になるという話でしたが、ボーア人アフリカーナについてはどうです? 彼らは白人ですが、解析機関は持ってないでしょう。戦争が起きても数週間ほどで決着するのでは?」

「ふん。軍のプロパガンダをまともに信じているのか? ボーア人は手ごわいぞ。農民だが、強靭な開拓者だからな。射撃の名手ぞろいだ」


 カネトリはざっと目を通しておこうとクロニクル紙を広げた。直後、ドスドスと慌ただしい足音を響かせながら、フロック・コートの大男が階段を降りてくる。


「おいーっす、カネトリ! ロキア!」

「……ああ、ジュリアスか」

「あー、マイヤーさん。ご無沙汰してます」


 同僚のユダヤ人武器商人、ジュリアス・マイヤーはカネトリの手を取ると、ぎゅっと力強く握り締める。


「おいこら会いたかったぞ。カネトリ! 早速だが助けてくれ!」

「ええい離せ。痛いんだよ毎回!」

「ああ。すまん!」


 ジュリアスはぱっと手を放した。持ってきた旅行鞄を床に置き、「まったくまったく参ったぜ、大誤算だ~!」と臆面もなく叫んでがくりと肩を落とす。


「朝から忙しいやつだな。なにが大誤算なんだ?」

「エチオピア帝国の大勝利が、だ!」

「ああ。お前も戦争が泥沼になると踏んでたクチか」

「そうなんだよ!」


 ジュリアスは涙目になりつつ、カネトリの両肩を掴んで迫る。


「俺にも一枚噛ませろとエチオピアへの密輸用に武器を用意していたんだが……その、在庫が余って困っている。アンダーシャフト銃が五〇挺、最新のヴィッガース銃が二挺、それと弾薬だ。頼む! 買い取ってくれないか。銀行の償還期限が近くて……今なら送料込み、出血大サービスの一五〇〇ポンドだ!」

「やだよ。他から借りるなり銀行に泣きを入れるなり、自分でなんとかしろよ」

「そろそろ戦争が始まりそうですし、南北アメリカのルートなんてどうです? 州ごとの権限が強い南部連合国ディキシーランドなら、欲しい兵隊はいくらでもいるでしょう」

「うーん……」


 ジュリアスは腕を組んでしばらく考え、「ないな!」ときっぱり言い切った。


「そこまで売りにいくとしたら輸送費と旅費だけで大赤字だ。それに最近の南部じゃ、弾薬の統一のためにレミントン社のキーン・ライフルやM1885を採用している州が多い。いくら英国製の武器が優れていると言っても、安く買い叩かれるのがオチだろうな!」

「確かに五〇挺って半端な数じゃそうなるな。他に当てはないのか?」

「ないから困ってる。いやー、じつは一週間ほど前に闇経由でマフィアの連中に売ろうとして失敗してよ。もういっそのこと共産主義者コミーに売るかって考えてたんだ!」


「ん。ちょっと待て! 今、マフィアって言ったか?」


「ああ。なんか、取引にきた若けーのがブツの経緯を聞いたらひどく怒りだしてよ。売り言葉に買い言葉で、『ローマ帝国』とかご大層な名前の割にお前らがクソ弱いせいでこっちも迷惑してんだって言ってやったら、ギルドにお前の首を突き出してやるとか言って襲い掛かってきてな……。まあ、軽く捻ってやったんだが。ちょっと打ちどころが悪かったらしくて」



「――お前のせいかよ!!」「――あなたが原因だったんですか!!」



 とばっちりの二人は声を揃えて叫ぶ。今回の事件の大もとらしい男はビクッと身体を揺らし、それから笑顔になってカネトリの肩を叩いた。


「いやー、正当防衛だろ。ほら、聖書にあるだろ、『愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある』ってな。タイミングが悪かっただけで、つまり俺は悪くない。だから大丈夫! それよりさっさと武器を買ってくれ! ロキアはどうだ?」

「懐に余裕はありますが、なんか釈然としないので嫌です」

「同感だ」

「おいおいおい、そりゃねーぜ!」


 つれない二人にジュリアスは降参の両手を上げるが、やがてカネトリにふっと不敵な笑みを浮かべて見せる。


「ところで、カネトリ。シモーネ・シモニーニという名に聞き覚えは?」

「シモーネ……イタリア人か? ないけど」

「まあ、当然だな。どうも凄腕の動画制作者キノトロピストらしいんだが、俺も名前しか知らん。不思議なことに情報がまったく出てこないんだ」


 ユダヤ人武器商人は鞄を開いて、防水布にくるまれたカードの束を取り出した。


「最近じゃ、エジソンとかリュミエール兄弟なんてのが新しい動画システムを開発して一気に陳腐なものになったが、蒸気駆動画キノトロープ ポルノは未だに健在だ。……まあ、主に一部の『特殊な性癖を持ったマニア』の間でだけどな」

「キノ・ポルノか。そんなの、別に珍しくも……」


「それが亜人用のものだとしてもか? 『獣人ポルノ』……興味あるだろ?」


「んなっ!?」


 ジュリアスは覆いを解き、獣人のエロ動画が詰まった金属板でカネトリの頭をペチペチ叩き、小声で悪魔のように囁く。


やっぱりな・・・・・。隠してても俺にはお見通しだぜ、親友。……ただ、安心しろ。俺はユダヤ人だが、選民思想に凝り固まった長老ラビたちとは違う。お前の性的対象が男だろうが亜人だろうが、それはどうでもいいことだ。少なくとも俺たちの友情には、な?」

「ジュリアス……」


 カネトリはゴクリと唾を飲み込んだ。同僚がふらふらと手を伸ばすのを見て、ジュリアスはパッとキノカードを遠ざける。


「おっと。本来、数十ポンドする高価なシロモノだ。……だけど、ここはよ、俺たちの友情に免じてタダで譲ってやろうじゃないか」

「…………。……いいのか?」

「ああ。その代わり、お前も俺の在庫を何とかしてくれないか。友情に免じてな」

「このっ、交渉上手め……っ!」


 カネトリは悶えながらも、もはや選択肢が残されてないことに気づいた。これはある種の脅迫だ。相手はこちらの弱みを握った上で、それを『友情』という名の下に行使しようとはせず、こちらの好奇心を揺さぶってくる。

 事実、カネトリは答える前から取引先のリストを思い起こして参照を始めていた。


「……わ、わかった。三日待ってくれ。俺のルートで手配できないかやってみる」

「そうこなくっちゃな! 頼むぜ、来月上旬までにな!」


 ジュリアスは満足そうに頷き、一年に一度会うか会わないかの同僚の肩をばんばんと叩き、それから「あ!」と声を出してパチンと指を鳴らした。


「思い出した! そう言えば〈マスター〉が呼んでたぜ。見かけたら出頭するように言えって」

「げっ……最初に言えよ」

「例の賭けの件ですかね?」

「さあな……。一緒にいこうぜ、同志……」


 カネトリの助けを求めるような視線を振り切り、ロキアはいたずらっぽく肩を竦めて見せる。


「残念! 僕たちはこれからリヴァプールでバカンスの予定ですので。ウェスト・カービーの沿岸に別荘があるんですよ。ブライトンなんかと違って観光客が少なくていいですよ~」

「リヴァプールか……羨ましいな」

「カネトリさんもご一緒にどうです? これから休暇でしょう?」

「できればそうしたいが……〈マスター〉に何を言われるか」

「あー。確かに。カネトリさんって〈マスター〉のお気に入りですもんね」

「…………」


 沈黙。

 口を閉ざして足下を見る同僚に何と声をかければいいのかわからず、またここでぐずぐずして面倒に巻き込まれるリスクを敏感に察知し、武器商人たちはそれぞれ踵を返した。


「それでは、カネトリさん。また!」

「じゃあな、カネトリ! 在庫の件、よろしく頼むぜ!」

「あ、ああ……」


 そそくさと去っていく二人にカネトリは深いため息を漏らした。



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