第2話 花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツ(後編)
「いらっしゃいませ」
約一時間後、ソラノは帰ってきたハリソンを出迎えた。横には奥さんと娘さんを連れており、ハリソンはこの二人のものと思しき大きな鞄を持って入って来る。先ほどとは違いテーブル席へと通すと、二人は店の中を興味深そうに見回した。
「空港の中に、こんなおしゃれなお店があるなんて。さすが大国は違うわね」
「お父さん、私、お腹すいたよぉー!」
「ああ、実はもうメニューは決まってるんだ」
「えっ、何、何?」
「それはな……ハンナの大好物だよ」
「ハンナが好きなもの? あ、わかったぁ。た・ま・ご・りょ・う・り! でしょ!」
「正解だ!」
「わぁーい! やったぁー!」
長旅の疲れを感じさせない元気さで、娘のハンナが万歳して喜びを全身で表した。ハリソンは意味ありげにソラノへと目配せを送って来る。ソラノは目線だけで、お任せ下さい、と返答を返した。
「バッシさん、例のアレを三人前お願いします」
「おうよ、わかったぜ」
厨房の奥に声をかけるとシェフのバッシが力強く請け負ってくれた。親指をぐっとたて、その牛そのものの顔に実に頼もしい表情を浮かべている。そしてささっと調理を開始した。
白いお皿の上がバッシの手によってあっという間に華やかになってゆく。
熱々ふわふわとろとろの絶妙な火加減で作る薄焼き卵に包まれた、丸いチキンライスが皿の真ん中にポンと置かれた。この店のオムレツは、半円形ではなく真ん丸だ。
オムレツの周りにはグリーンリーフがぐるりと敷き詰められ、その上に花形に切った温野菜がバランスよく乗せられた。ニンジン、カブ、ジャガイモ、パプリカ。
仕上げにオムライスにはケチャップを、温野菜サラダの上にはオレンジドレッシングを。
「あいよ、オムライス三人前できたぜ」
「ありがとうございます」
ソラノはオムライスを器用に三つ、手に持つと店の中へと躍り出る。しっかりした足取りでハリソン一家の待つテーブルへと近づいた。
「お待たせいたしました、花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツです」
「わぁ……! すごーい、きれい!」
その料理に、真っ先にハンナちゃんが反応する。
ビストロ ヴェスティビュール開店以来の看板メニュー、『花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツ』。それはこの花と緑の都であるグランドゥール王国王都を再現した一品だ。
王都近郊の街で作られている特産のブランド卵ツィギーラを使った、一般的な卵より色が濃く味も濃厚なオムレツ。それに負けないよう自家製ケチャップで味付けをしたチキンライス。
そして周囲に配置したサラダは王都中で見られる植物を模している。季節に関係なく花が溢れる大都市を、ここ王都の玄関口である空港で味わっていただこうという算段だ。
上にかかったオレンジドレッシングが、味わいが濃いオムレツの一陣の清涼剤となるよう配慮している。
「いただきまーす!」
五歳のハンナちゃんがスプーンを手に取り、オムレツを崩しにかかる。ちなみにハンナちゃんの卵には大人と異なりしっかりと火を通してあった。まだ幼い年齢の子に半熟の卵を食べさせ、何かあったら困り事になってしまう。
スプーンにすくったオムレツを口いっぱいに頬張り、もぐもぐと咀嚼する。ごくんと飲み込んだその顔は、キラキラとした笑顔だった。
「すごい、おいしー! 卵がふあふあで、すっごく美味しいよ!」
「本当ね、こんなに濃厚な卵のオムレツは初めて食べたわ」
ハンナちゃんにつられるよう、奥さんもオムレツを口にしてから驚きの声を上げる。
それを見たハリソンはスプーンを手に持ち、美味しそうにオムレツ料理を頬張る二人に悟られないよう心の中で葛藤を繰り広げていた。
ーー目の前のオムレツは、確かに見たことがないほど美しい見た目をしている。もはやこれは料理の枠を超え、芸術の域に達していた。
濃ゆい黄色の光沢を放つオムレツの表面はまだ湯気がたちのぼり、周囲の温野菜は立体的な花の形に切り抜かれている。そこに降り注ぐオレンジ色のドレッシングには胡椒やハーブの類が混ざっているのだろう、黒や緑が点々とドレッシングの中を泳いでいる。
ハリソンはちらりとソラノを見た。するとこの給仕係の娘は、しっかりとこちらの目を見て頷いてくるではないか。おそらくまだ十代後半ほどであろうに非常に頼もしい。その目は確かに、「何も心配はいりません、どうぞ召し上がってください」と言っていた。
ハリソンはスプーンをオムレツの中央にくし刺しにし、豪快にえぐる。大きなオムレツの山がスプーンにこんもりと乗っかった。
ええい、男は度胸だ!!
ハリソンは半ばやけくそでスプーンを動かす。口に到達したオムレツはハリソンの口内に放り入れられ、味蕾に到達した。
その瞬間、ハリソンの人生において経験したことのない味わいが襲いかかってきた。
とろりとした卵の舌触り、濃ゆい黄身の味わいをバターと牛乳が引き立て、その奥からはチキンライス特有の酸味と甘み、そして肉の味わいがガツンとやってくる。
「……!? う、美味い……!?」
三十七年間生きてきた中で、初めて卵料理を美味いと思った。恐る恐るスプーンにもうひとさじ、オムレツをすくって食べてみる。やはり美味い。むしろ一口目より二口目の方が美味い。
こんな事があるのだろうか!?
変化は劇的だった。もはや、スプーンを動かす手が止まらない。しかも少し飽きてきたところでフォークに持ち替えてサラダに手をつけてみると、これがまた見た目だけでなく味もちゃんとしているサラダだった。ドレッシングのオレンジとハーブが効いている。ピリリとした胡椒の隠し味も、良い。
美味い!
「お父さん、オムレツおいしーね!」
「あぁ、そうだな!」
満面の笑みの娘に話しかけられ、ハリソンは心の底から同意した。オムレツが美味い。俺は今、大の苦手だった卵料理を、娘とともに笑顔で食べている……なんという感動的な事だろう。凄い。まさに料理のマジックだ。
すると料理を提供した後に去って行った給仕係のソラノが戻ってきて、果実水のおかわりと注ぐついでにこんな話題を提供してきた。
「当店で使っているツィギーラという卵はグランドゥール王国の名産品の一つでして。その味の濃さがウリなんです。市場でも売っているのでぜひ、ご利用ください」
「あらそうなの。家に着いたら早速買い出しに行かないと、ね?」
妻が意味ありげにこちらに目配せをしてきた。結婚以来頑なに卵を食べなかったハリソンの変わりように喜んでいるのだろう。
ハリソンはこれにも同意した。
「そうだな。これからは家族三人、ハンナの好きな卵料理を毎日一緒に食べられるな」
「毎日? わぁーい!」
卵を口元につけたハンナが両手を万歳して喜ぶ。その様子を見てハリソンも嬉しくなった。
「ごちそうさま」
オムレツを綺麗に平らげた三人は会計を済ませ店を出ようとした。ハリソンの表情は最初にこの店にやってきた時と百八十度異なり、希望と幸せに満ち満ちている。
「楽しくお食事ができたようで、何よりです」
そんな家族三人の様子を見て、ソラノもにこにこと笑顔で会釈をした。お客様が幸せそうだとソラノも嬉しい。心もお腹も満たされた人々が帰っていくのを見送るのは、非常に楽しいひと時だ。ここでこうして働いていてよかったな、と思う。
奥さんとハンナちゃんが先に店を出たのを確認すると、ハリソンは小さな声で言った。
「『どんなに卵が嫌いな人間でも絶対に美味しく食べられる卵料理』……無茶に答えてくれてありがとう。近くに来た際にはまたぜひ、寄らせてもらうよ」
「お役に立てて良かったです。お客様の笑顔こそが、何よりの原動力ですから」
「じゃ」
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
ソラノは深々とお辞儀をし、三人を見送った。顔を上げ、厨房へと取って返す。そこにはフライパンを振るうバッシの姿が。
「良い仕事したなぁ」
「はい」
「次のオーダー、こなすか」
「はいっ」
本日もビストロ ヴェスティビュールには様々な人が訪れ、去っていく。
王都の玄関口であるここエア・グランドゥールで
「いらっしゃいませ、ビストロ ヴェスティビュールへようこそ!」
花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツ 佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売 @sakura_ryou
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