花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツ

佐倉涼@4シリーズ書籍化

第1話 花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツ(前編)



 世界最大の空港、エア・グランドゥール。エルフやドワーフ、獣人などが日夜飛行船に乗ってやって来るこの空港のターミナルの一角には、一軒のビストロ店が存在していた。


 ビストロ・ヴェスティビュール。


 花と緑の都であるグランドゥール王国王都の玄関口にふさわしい、緑を基調にした落ち着いた店内には今日も今日とてお客様がやってくる。

 本日、店の扉をくぐったのはーー一人の男性だった。

 三十代後半ほどの細身の外見には冒険者特有のピリッとした空気や貴族然とした鷹揚さは無く、学者か何かだろうか。その出で立ちは軽装でこれから遠くへ旅立つような雰囲気は感じられない。誰かの出迎えかな、と看板娘のソラノはあたりをつける。

 ともあれ店に入ってきたら皆お客様だ。お客様はおもてなしをしなくてはならない。


「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか」


「ああ」


「カウンターのお席でよろしいですか?」


 ソラノが笑顔で出迎えると、その男性は短く頷く。

 厨房が見えるカウンター席へと通された男性は、席に腰掛けた。

 モスグリーンを基調にした店内のインテリアは、ダークグラウンで統一されている。多様な種族に対応できるよう高めの天井に作られている店内には、カウンターのひと席ずつを照らすように照明が上からぶら下がりオレンジ色の光を投げかけていた。

 来る人に安らぎを与えるような空間はしかし、あまり男性に効果がないようであった。果実水を提供したソラノは思う。なんだか小難しい顔をしたお客様だなと。偏屈とかそういう感じでは無く、思いつめている、と言った表現がぴったりだ。

 

 男性はソラノを見ると、決意に満ちた表情で言う。


「た、たたた、た、た、た……」


 なぜかたたたたと連呼する男性は動揺を抑えるため、一度深呼吸をし、それから果実水に口をつける。そして再び口を開いた。


「たっ、た、卵料理を……!」


「はい」


「卵料理をお願い……いや、やっぱりお願いしたくないっ!!」


 言うなり男性は、わぁっとカウンターに顔を突っ伏し、額をガンガンと打ち付け始めた。硬質な音が響き、何事かと店内に入る客がこちらを見やる。


「だめだっ、僕にはやはり卵料理を注文などできない……!!」


「お客様、落ち着いてください!」


 唐突に奇行に走る男性を、ソラノが慌てて止める。店で自傷行為に走るのはやめていただきたい。他のお客様にも迷惑である。

 そんな思いが通じたのか、男性は若干赤くなったおでこをさすりながら、涙目で言う。


「すまなかったな……僕はこの店にはふさわしくないようだ。帰るとしよう。いや、だが」


 男性はポケットから懐中時計を取り出すと、時間を確認し、ヒィィと悲痛な声を出した。


「なんということだ、あと三十分しかない!」


「あの、どうされましたか?」


「君っ、無理を承知でお願いするが、『どんなに卵が嫌いな人間でも絶対に美味しく食べられる卵料理』を出してくれないかっ!?」


 男性は非常に切羽詰まった様子でソラノに詰め寄ると、そんな無理難題を注文する。

 男性の目は血走っており、その必死さは筆舌に尽くし難い。一体何がそんなに、この男性を卵料理へと駆り立てるのだろう。


 ヴェスティビュールで提供している料理は全て味に自信がある。何と言ってもシェフはこのグランドゥール王国王都の中心街にて人気レストランのサブチーフをしていた人物だ。

 大柄な牛人族のシェフは、その見た目からは想像がつかない繊細で複雑な味わいの料理を作ることで定評があった。

 しかしかといって、『どんなに卵が嫌いな人間でも絶対に美味しく食べられる卵料理』を出してくれと言われてできるかと言われれば、微妙なところである。

 ひとまずソラノは男性の話を聞くことにした。


「お客様は、卵料理が苦手なのでしょうか」


「卵料理というか、卵そのものが苦手なのだ」


「不躾ですが、理由をお聞かせいただいても?」


「……聞いてくれるか?」


「はい」


 どんな料理を提供すればいいかは、話を聞いてからにしよう。

 男性はストンと席に座りなおすと、語り出した。


 ハリソン・ストックフィールドは今年で三十七歳になる考古学者である。古今東西の遺物を調べて回っている彼の祖国はここグランドゥール王国から遥か遠い場所にあり、そこには妻と、五歳になる娘が暮らしている。

 方々を旅していたハリソンであるが今回、グランドゥール王国の王都考古学研究機構にその論文が認められ、研究室の一端に席を置くこととなった。おそらく十年単位で過ごすことになるだろうから、妻子も王都へ来て共に暮らすこととなったのだ。

 ハリソンはウキウキした。

 自分の仕事のことで散々妻には迷惑をかけて来た……ほとんど家にいない自分をあたたかく応援してくれる彼女には感謝してもしきれない。娘にもまだほんの赤ん坊の頃に抱っこしただけで、触れ合った時間はごくわずか。

 だがこれからは違う。

 同じ家に住み、暮らし、朝には行って来ますのキスをして、夜にはおかえりと言って一緒に夕飯を食べる生活が待っているのだ。

 そう考えるとハリソンの心は非常に幸せでいっぱいになった。妻も同じだっただろう。定期的に送られて来る手紙には、来るべき新生活に向けた希望に満ちた言葉が所狭しと書かれてあった。


 しかし手紙の末尾の言葉を読んだ時、ハリソンのウキウキした気分は一転してどん底へと叩き落されることになる。そこにはこう記されてあった。


ーーハンナが最近、卵料理が大好きになったのよ。あなたと一緒に食べられるのを楽しみにしているわ。


 なんということだろう。

 ハリソンは卵料理が大の苦手であるというのに、娘は卵料理が大好きだというのだ。

 ハリソンは手紙を五回ほど読み直し、それが自身の読み間違いではないことを確認し、絶望した。

 これは由々しき事態である。今すぐに自分の卵嫌いを直さなければ……娘と一緒に、卵料理を美味しく食べるために!!


 そう決意したハリソンはこの手紙を受け取ってからほとんど毎日、卵料理を食べようと頑張ってみた。ありとあらゆる食事処で卵料理を頼んでは、口をつけようと試み、そしてうなだれる。市場で卵を買い込んではゆで卵を作り、口にする寸前で挫ける。

 そんな日々を繰り返し、とうとう妻と娘がこの王都へとやって来る日になってしまった。まだ卵嫌いを克服できていないのに。

 最後の手段で目に入ったこの店へと飛び込んでみたものの……やはり駄目だ。


「どうして僕は、卵がこんなにも嫌いなんだっ!」


 語り終えたハリソンは、自身のうちに潜む罪を苛むように慟哭した。魂の叫びであった。ここで「どうして娘は卵が好きなんだ!?」と言い出さないあたり、いいお父さんであることが伺える。ソラノは恐る恐る尋ねた。


「どうして卵がお嫌いなんですか……?」


「きっと、子供の頃に食べたゆで卵が原因だ。パサパサしていて味がなく、どれだけ噛んでも喉に張り付く。飲み込もうとしたら喉に詰まって、死にかけた。今でも卵を前にするとあの時の記憶が蘇り、どうしてもスプーンを動かす手が止まってしまうんだっ」


 人はそれをトラウマと言う。絶望の面持ちで語るハリソンの背中には哀愁が漂っていた。そうした体験をしたのであれば、克服するのは容易ではないだろう。


「妻と娘はこの都を楽しみにしているんだよ……ここはいい場所だな。街のいたるところに花と緑があふれていて、歩いているだけで楽しい。あらゆる種族が集い、生活し、知識をぶつけ合う。こんな国を僕は初めてみたよ。これで僕の卵嫌いさえなければ文句なしなのだが……」


 ハリソンははぁ、と盛大にため息をついてから懐中時計を再び見る。


「時間だ……ターミナルに妻と娘を迎えに行かなければ。邪魔をした上に食事もせず、すまなかった」


「あ、お待ちください」


 打ちひしがれた様子で店を出ようとするハリソンを、ソラノは引き止める。


「お客様は卵のパサパサと味が薄いのが苦手なんですよね?」


「あぁ、まあ、そうだな」


「でしたら、当店の料理でなんとかなると思います。奥様と娘さんを迎えましたら、またいらして下さいませんか?」


 その言葉にハリソンは、藁にもすがるような目でソラノを見つめた。


「……信じていいのか?」

 


「はい。この国が初めてのお二人にぴったりの、とびきりの卵料理をご用意しておまちしております」


 にこりと微笑み、ソラノは頭を下げた。

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