第1話 最後のチャンス
「僕、大人になったら売れっ子小説家になる!」
小さい頃、大きな夢を持っていた。
上手くいく未来を信じて疑わなかった。
―現実の俺はどうだ?
6畳のボロ屋中古の机に向かう、冴えないおっさんだ。
「あー…何も浮かばねぇ…。」
ボサボサの髪を掻き上げると、ジットリ蒸れ出た汗が指にまとわりついて気持ち悪い。
片手で2、3枚ティッシュを引っ張り出し、汗を拭いた
小学校の頃なんかは、このゴミ箱シュートを決めた奴は一躍ヒーロー!教室中が湧いたっけな…。
今ここにはゴールを決めて歓声を上げる観客も、一時的な栄光もない。
親指、人差し指、中指の先でティッシュを摘む。
狙いを定めてと…それ!
ティッシュは直線を描き、ゴミ箱の奥の淵に当たった。ベストコースだ。あとは跳ねたティッシュがゴールへ向かうのを待つだけ。
―が、予想に反してその軌道はゴミ箱の外へ。どうやら先客の丸めた雑誌にぶつかり、弾き出されてしまったようだ。
「ついてねぇ。」
のそのそと四つん這いでゴミ箱に近づきながら、こうなると分かっていたらハナから捨てに来たのによ、と心の中で文句を垂れながらティッシュを捨てた。
「ん?」
ふと例の雑誌が目に入る。たまたま開いていたそのページは、新人小説家のインタビューコーナーだった。
『新進気鋭!噂の新人小説家、
「ハッ!雅薫って…。ホストの源氏名かよ。」
『デビューからいくつもの素晴らしい作品を出し、世の中にホラーブームを巻き起こした雅さんですが、そのアイデアの素は一体何なのでしょうか?』
『そうですねぇ…。例えば、カフェでコーヒーを飲んでいる時、町でふらっと買い物をしている時。そんな日頃の何気ないシーンから、どんどんアイデアが湧いてくるんです。』
「日頃の何気ないシーンねぇ。」
目の前の窓から外を眺めると、日傘をさしたおばさんが散歩している。
家の中を見渡すと、そのへんにゴミや物が散乱し、
……。
「…なんも湧いてこねぇよ。」
はぁと大きなため息を吐きながら、大の字に寝転がる。よく見ると、電球も虫や埃で黒く変色してきている。
「
ガタガタッ
なんの音かはすぐに分かったが、念の為頭だけを起こして確認する。
「やっぱりお前か。」
窓の隙間に無理矢理体をねじ込んで入ってきた黒い塊。野良のくせに程よく肥えたその風貌は、デカい毛玉そのものだ。
「ナァー。」
ドスの利いた声から、猫特有の可愛らしさは微塵も感じられない。
「相変わらずオッサンみたいな声だな。」
「ナァ〜。」
こっちの言葉なんて通じちゃいないだろうが、「うるせぇ」と言われた気がした。
いつからか現れたこの野良猫。
2階の俺の部屋の窓と1階の外塀は同じ高さらしく、 こいつはその塀を散歩道にしているのだが、どういうわけか毎度俺の部屋で足を休めている。
何回も何回も足を踏み入れるこの客を、俺は「ノラ」と呼ぶことにした。野良猫だからノラ。安直だがそれで充分だろ。変に情が移るのも面倒だし、こいつも縛られるタマじゃないからな。
ディーン、コン、カーン♪
急に流れる異様な音にも、ノラは微動だにせず定位置の座布団で毛づくろいしている。流石野良というか、ふてぶてしいというか…。
いやそんなことより、この学校のチャイムの劣化版のような着信音は―。
「山下か。」
山下は、3年前から俺についている担当編集だ。
26歳、顔も良く、すらっとした高身長、おまけに仕事もできる。まさに未来ある若者なわけだが…こいつがまたクソ真面目で頑固!
口を開けば「計画を立てて行動しろ」「時間厳守」「生活を改めろ」…小学校の担任を思い出す。
「出たくねぇなー。」
だがそうもいかない。渋々通話ボタンを押す。
さぁ、今日の第一声はなんだ?どんなお小言が飛んでくる?
「比嘉さん。今から言うことをよく聞いて下さい。」
「な、なんだよ急に。そんな改まって。」
いつもならすぐ「ちゃんと書いているか?」「食事は摂って」「風呂は入っているか?」と質問責めなのに。
今日の山下の声からは、何か覚悟を決めたような
「あなたにはこれから―――…。」
「―――は?なんて言ったんだ?」
耳を疑った。
「あなたにはこれから、ホラー小説を書いてもらいます。」
「…冗談だろ?」
分かってる。こいつは冗談を言うようなタイプじゃない。
だが解らない。こいつがなにを言ってるのか。
少し間が空いた後、電話越しにふぅーと息を吐く音が聞こえる。
あの山下が、言葉を選んでいる。それが只事ではない状況だと知らせている。
「冗談なんかじゃありません。…これが、あなたの最後のチャンスなんです。」
「最後のチャンス?」
―それからの話は、ぼんやりとしか覚えていない。
要約すると―…。不況の影響を受け、出版社は人員整理に踏み切った。鳴かず飛ばずは勿論、俺のように飛べなくなった作家もその対象。しかし昨今起こった空前のホラーブームに乗っかり、ホラー小説を書きヒットさせたのなら再び作家として迎え入れるということらしい―が、
「なんだよそれッ!!俺の分野は恋愛だぞ!ホラー小説?そんなもんいきなり書ける訳ねぇだろ。
要は無理難題吹っかけて首切してぇだけじゃねぇか!会社もお前も、俺を全力でサポートするって言ってたじゃねぇか!なのにいざとなったらあっさり首切かよッ!」
「私も会社も、作家のあなたのことはサポートしてきましたし、これからもサポートするつもりです。」
「―は?どういう意味だよ?」
食い気味に返ってきた反論にも、その言葉の棘にも引っかかって苛つく。
「比嘉さん、今日は原稿何枚書きました?いや、何文字書きました?」
「ッ!」
「…その様子だと、また一文字も進んでいないんでしょう?考えることを止めた人を…ましてや書く気のない人を作家とは呼びません。」
俺が作家じゃねぇだと?ふざけんなッ!!
そう憤り叫びたかった。だが…クソッ!そのとおりだ―。
でも…認めたくねぇ!それを認めたら俺は――!
「…出来上がったもん受け取るだけのお前らに、作る側の気持ちなんて分かるかよ。」
あ……言っちまった。これは良くない。
ボソッと放ってしまった言葉に、ドッと後悔が押し寄せる。
「…………。」
どれくらい経った?心臓の鼓動が何度か体に響く。きっと3秒ほどだっただろうが、時間の流れがこれほど遅く感じるのはあの時以来だった。
電話の向こうの無言が、じわじわとのしかかってくる。
それから山下は、ゆっくりと話し始めた。
「3年前―あなたの担当編集として配属されるまで、私は恋愛小説を読んだ事もなければ、興味もありませんでした。ですが、あなたの作品はただの男女の色恋だけじゃない、繊細な人の感情の動き、人物の個性―。あの頃のあなたの文章には、私のような恋愛無関心な人間も引き込むような輝きがあった。私はあなたを―尊敬してたんですよ。」
「こんな事を言っても、あなたの支えにはなりませんね。…詳細については、後ほどメールでお送りします。それでは。」
通話終了の画面になったスマホを掴んだまま、大の字に倒れ込んだ。全身の力が一気に抜けていく。
ああ―。いっそお前はクズだ!と罵ってくれれば良かったのに。あいつ…淡々と冷静に語られるのが、一番抉られるって知らねぇのか。
動く気配を感じ窓の方を見ると、ノラが部屋から出て行こうとするところだった。ノラはクルッと振り向くと、ナァーと少し高く鳴いてさっさと行ってしまった。
「なんだよ。お前も俺に呆れたのか?」
一日のうちに、口煩いファンと生意気な客を一度に無くしたわけだ。
「クソ…。俺、惨めだな。」
Nightmare inhabitant 隣のみみみーる @mimimi-ru
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