Re 0:ロン
アレク・ランブル新指揮官の就任と、新司令部発足を記念する式典の後――
俺達は再び、同じバルコニーにいた。
メインイベントが終わった会場からは、楽隊の奏でる音楽を背景に、歓談する人々の声が聞こえてくる。新長官たちは全員、次々と声を掛けてくる人々の対応に追われているようだ。
――大丈夫か、あの人見知り娘。
「――待たせたな」
「……うわっ!?」
手摺に凭れ、ぼんやりと会話を交わしていた俺とハルは、突然背後から聞こえた声に、文字通り飛び上がる。振り返ると、次期――もとい、新指揮官がフルートグラス片手に笑っていた。
「……何でわざわざ気配消してんすか、アンタ」
「いや、別に他意はないんだが」
くつくつと楽しげに笑う様子は、俺たちとそう変わらない。ついさっき式典の演説中に爆弾を落とした上、戸惑う会衆を、その堂々とした態度で掌握した当人と同一人物とは思えないくらいだ。
「よく抜けられましたね」
「その辺はまあ、色々とな」
ハルの言葉に答えると、指揮官はふっと真顔に戻る――途端、空気が凛と張りつめるのがわかった。この人は本当に、緩急の区別が巧い。
「それで――決まったか?」
「指揮官」の顔に戻った彼の言葉に、俺とハルはゆっくりと視線を交わした。
この式典が始まる前、指揮官直々に俺達に告げられたのは、監察の副官への就任要請だった。
――何で、よりにもよって
そう思わなかったと言えば、嘘になる。
俺たちにとって――友香にとって、「監察」という言葉の意味は、複雑で重い。だが同時に、それを誰よりもわかっているからこそ、この人がそう言い出すことを俺は知っていたような気がする。
「ひとつ、訊いてもいいっすか?」
引き受けるかどうかより先に、確かめたいことがある。尋ねた俺に、無言のまま、彼は片眉を上げて続きを促した。
「どうして――俺たちなんですか」
多分、俺がそう訊ねることを、彼は予想していたんだろう。俺たちを正面から見つめ、彼はゆっくりと口を開く。
「監察長の人選は見たな?」
「はい」
それこそが、さっきの式典で彼が落とした爆弾だった。
例の一件の後、当然のことだが、監察の長官選抜試験は中止された。
ランディスとギイは捕らえられ、副官以下の幹部や下士官も、ほとんどが自宅謹慎や懲戒免職処分を命じられた。
最低限必要な業務に支障を来さない程度には人員が残されたものの、それでも足りない分は、現司令部の面々が補っているような状況で、新たに選抜試験を始められるはずもない。
結果、監察長人事は今日の最大の関心事となり、多くの人々が見守る中、指揮官が告げた名は――アレン・ランブル。指揮官の実兄だった。
「どう思った?」
その瞬間、会場全体から沸き上がったどよめきは、まるで地鳴りのようだった。
アレン・ランブルというその名が、直前に司令部副官として紹介されたばかりだったせいだ。指揮官に次ぐナンバー2である司令部副官が、別の長官職を兼任するなんて無茶な話は、誰も聞いたことがない。
「どうって――驚きましたけど」
その時の驚きを思い返しながら、複雑な視線を交わしあう俺たちの様子に、指揮官は軽く笑った。
アレンという人物は、穏やかな人だと聞く。元々は長男として、指揮官を継ぐはずだった人。だが争いを嫌うあまり、自分には向かないと、指揮官の座を固辞したのだと。実際、壇上に経つその人は、ひどく静かな空気を纏っていて、どう見たって、強面のイメージが強い監察のトップに立つようには見えなかった。しかも司令部副官との兼任だなんて、型破りにも程がある。
だが、俺とハルを驚かせたのは、人選よりもむしろ、それに続いた彼の言葉の方だった。
『我々は二度と、同じ轍を踏んではならない。この人選は、そのために必要な処置だ』
そこから始まった一連の言葉は、監察を――それを皮切りに「屋敷」を、ひいては精界全体を変えるという、実質上の宣言だった。少なくとも俺たちには、明白にそう聞こえた。
もっとも実際の所、指揮官の言葉は、慎重かつさりげないオブラートで幾重にもくるまれていたから、ほとんどの者には、単なる監察に対する監督強化宣言にしか聞こえなかっただろう。
もし皆がその真意に気づいていたなら、あの程度のざわめきですんだ筈がない。その衝撃は瞬時にあらゆる方面からの議論と反発を巻き起こし、精界全体をひっくり返すような騒ぎに発展するのは火を見るよりも明らかだ。
それほどの大きな爆弾を、この人はしれっと、そしてほとんど誰にも気づかせずにやってのけた。
――何て人だよ、ほんとに
抱く気持ちは、感心を通り越して呆れに近い。だがどこかで、そんな大それた行為に踏み切れるこの人物に対して、憧憬にも似た畏敬の気持ちが湧いたのも事実だった。
「監察はどうしても本部の目が届きにくい。だからああいう連中をエスカレートさせたし、あんな男に私物化された。アレンが監察長に就任すれば、まずその点については解消できる。だが、それだけじゃ不十分だ」
グラスを持った腕を手摺に乗せ、指揮官はゆっくりと語りだした。
「二度とあんな事件を――友香のような思いをする人間を出しちゃいけない。そのためには、くだらない差別意識そのものを根本から変える必要がある」
式典の最中には敢えて隠したのだろう、その真意を、彼ははっきりと口にした。
「監察はその第一歩だ。そのためには、偏見に囚われない公正な視点の持ち主が必要だ。虐げられる人間の痛みに配慮できる人材がな」
「僕らじゃなくても、指揮官のお兄さんがいるじゃないですか」
「兄貴一人じゃ、全体に目が行き届かないだろう。長官の目の届かないところまで指導できる補佐役が要る。その点、一番間近で友香を見てきたお前たちになら、安心して任せられる。しかも武官としての能力も長官(トップ)クラスだしな。
――こんな人材を寝かせておくのは、惜しいと思わないか?」
彼はゆっくりと口元に笑みを掃いた。
「それから、もうひとつ。――これは個人的な要求だ、他言するなよ」
言い置いて、指揮官は前髪を掻き上げる。
「お前たちには、友香のフォローも頼みたいと思ってる」
「――」
風が俺達の間を通り抜け、梢を鳴らした。
「……あいつはまだ、監察に近づくことすらできない。公安長が監察に出入りする機会は多いにもかかわらず、だ。しばらくは誤魔化しもきくが、長期的に見ると――わかるだろう?」
そこで小さく嘆息し、彼は軽く目を伏せた。
「それを知っていて、人事案を裁可したのは俺だからな。そこまで配慮してやる責任がある」
伏せていた目をゆっくりと上げ、指揮官は俺たちを交互に見つめた。
「俺の方の手札はこれで全部だ――どうする?」
ゆっくりと傍らのハルを振り返ると、奴は無言で小さく頷いた。
意志は――決まった。
「…………」
一度大きく息を吸い込む。
まっすぐ、指揮官に視線を合わせ、俺は口を開いた。
「やらせて――ください」
もう何千年もの間、精界に根を張り続けた意識を変える――それは何て大きく、途方もない目標だろう。誰もやったことのない、実現できる保証すらない、だが踏み出してみるだけの意義は充分すぎるほどにある目標だ。
どうせ実家に戻ったって、三男坊には家の事業を手伝う位しかやることはない。そんなことよりも、よっぽどやり甲斐がある仕事じゃないか。
友香の隣で見てきた彼女の苦しみを。
何もできない自分に感じた歯がゆさを。
世の不条理に、幾度も抱いた苛立ちを。
今度は力に変えて、世界を変える。
「オコーネルはどうする?」
「やりますよ、面白そうですし」
飄々とした笑顔を浮かべ、ハルが答える。
「よろしくお願いします――指揮官」
ゆったりとした笑みを浮かべて頷き、踵を返す指揮官の後を追いながら、俺とハルはそっと目を見交わし、笑った。
僕らの選択(「命の灯」番外編2) きょお @Deep_Blue-plus-
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