第4話

 課へ戻ると同時に照明が落ちる。十二時か。訃報のあとだからか食欲はあまりないが、致し方ない。県庁食堂の出前の盆から、朝頼んだ親子丼と味噌汁を引き取り席へ戻った。

「お、今日は丼か」

 ラップの中を覗き込む隣の矢上やがみは、今日も愛妻弁当らしい。ランチジャーから取り出された三つの容器には、いつものように栄養だけでなく彩りも考えられたおかずとごはんが詰まっていた。

「親子丼です」

「旨えよなあ」

 矢上は手を合わせ、早速ゆかりごはんへ向かう。がっちりとした体格は、レスリングが作り上げたらしい。スーツの上からでも分かる分厚い体に、丸太のような野太い首が生えている。四角い顔は厳つい印象だが造作は大人しく、笑うと目尻の皺が流れて愛嬌があった。

「矢上さんの愛妻弁当の方が美味しそうですけど。栄養バランス良さそうだし、彩りも完璧で。奥さん、毎日素晴らしいですね」

「俺のは息子の弁当のついでだよ。息子に作るようになってから、格段に質が上がったからな」

 軽く笑いつつ、唐揚げを頬張った。

 息子は確か高校一年生だったはずだ。四十歳で十六歳の息子だから、二十四歳の時か。二十四の時なんて仕事にようやく慣れたところで、結婚や妊娠なんて全く頭になかった。

「旦那、在宅なんだろ。作らせりゃいいじゃねえか」

「頼めば作ってくれるとは思うんですけどね」

 大学を退職してから、雇用されて働く人間を蔑むようになってしまった。はっきりとは口にしないが、言葉や態度の端々にそれが見える。ブログにはしょっちゅう『歯車からの脱却』『人に使われるだけの仕事』が登場する。弁当作りを頼めば、多分「かわいそうだよね、大人になってまで一斉に昼ごはんなんて」くらい言うだろう。

「せっかくのごはんが美味しくなくなるから、やめましょう」

 苦笑しつつ手を合わせ、箸を手に取る。

「なんだ、明日飲み行くか。聞くぞ?」

 さつまいものサラダをつまみながら、矢上は飲みに誘う。年は離れていても、今の課では一番馬が合う先輩だ。

「すみません。飲んで愚痴りたいのはやまやまなんですけど、明日は無理なんです。良ければ来週、誘ってください」

 誘いはありがたいが、明日は吉継が帰宅する。葬式で凹んで帰ってくるだろうから、一人で置いておくのは心配だ。

「了解、来週だな」

 矢上は箸先を軽く擡げて了承する。あ、と気づいたように続けて少しこちらに頭を傾けた。

「課長がそれとなく、旦那の身軽具合を周りに聞いて回ってるらしいぞ」

 小声の密告に、思わず項垂れる。上司が配偶者のフットワークの軽さを確かめるなんて、理由は一つしかない。

「また出向ですか、二度目ですよ」

「いきなり人事に配属される奴が、大人しく本庁勤めだけさせてもらえるわけねえだろ。諦めろ」

 矢上は苦笑しつつ、ゆかりごはんの容器を掴んだ。

 民間企業と同様に、県庁にも望む望まないに関わらず出世する人が配属されやすい課が存在する。我が県の場合は総務部の財政課と人事課、秘書課が三大ブラックと恐れられる一方で、出世の三大ルートとも呼ばれていた。尤も財政課の権力が強すぎて、人事と秘書は割と弱い。私は入庁したてが人事課で次が出向、戻ってきた今回は総務部総務課で行幸啓ぎょうこうけいを担当している。次はまた人事課の悪寒に、面談で産休育休取得の可能性をちらつかせたのは先月上旬だった。

 吉継の身軽さを尋ねるということは、引っ越しが必要な距離だろう。どうして、じゃない。十中八九、義父が知事選に出るのを見越してだ。

 スプーンを置き、顔を覆う。

「つらい……嫁の立場が弱すぎてつらい……」

「来週聞いてやるから、生き延びろ」

 実際は、飲んでも言える話ではない。出馬は暗黙の了解だとしても、嫁の私が公にするのはまずいのだ。

「がんばります」

 苦笑して再びスプーンを取り、親子丼へ向かう。私が作るものより少し甘めで、時間が経っている分卵も固まっている。それでも十分においしいし、ありがたい。今日の夕食も、鹿肉で丼にするか。

「そうだ。矢上さんとこ、獣肉は食べませんか? 猪と鴨と鹿。狩猟解禁で夫がどんどん仕留めてくるから、食べきれなくて。加工場で血抜きして真空パックで冷凍してもらってますから、扱いやすいとは思うんですけど」

「あー、ぼたん鍋食いてえな。ちょっと嫁に聞いてみるわ」

 矢上は箸を置き、携帯を取り出す。しばしのやりとりのあと、方針が決まったらしい。

「『ちょっとずつ欲しい』て言ってる。料理したことねえから不安らしい」

「じゃあ小さめのブロック三種類に、簡単な食べ方のメモつけときますね。明日の帰りにでも、取りに寄ってください」

「おう、あの高級マンションな」

 人によっては嫌味にも聞こえるが、矢上の場合はただの軽口だ。

「そうです、あの高級マンションの最上階です」

「すげえなお前、金持ちだったんだな」

 笑いながら、揃って昼食の続きに向かう。仕事中はそれなりにシビアなやりとりもするが、休憩中は気楽なものだ。

――いつまで働くつもりなの?

 吉継や義母は眉を顰めるが、できれば定年退職まで社会のために働く歯車としてきっちり勤め上げたい。楽しいことばかりではなくても、私はこの仕事が気に入っていた。

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