間章
間章:継承戦前夜祭〜食祭〜
宮殿は皇帝崩御と大火の後とは思えない華やかさだった。
「すごいな……」
城門には張子の龍が絡みつき、金の燈籠が吊るされている。
宮殿や城門の外の大路にも鯉や花など様々な張子が飾られていた。中には火を灯すための細工があり、夜になれば五色に輝くという。
新春の元宵節の祭りでは、毎年王宮から都まで赤い燈籠が張り巡らされ、羅城が炎に包まれたように輝くが、今はまた様相が異なっていた。
龍の飾りの奥から
「浮かぬ顔ですね、紅運。地味すぎたでしょうか」
彼は珍しく幼い微笑を浮かべた。
「派手すぎだ。喪中だぞ」
「今日から継承戦に参加する戦士たちが各地から都を訪れます。相応のもてなしでなくては」
白雄は片手で張子の龍の腹を撫でた。彼の動かない方の片腕は長い袖に隠されている。
紅運が目を逸らすと、門楼で飾り付けを手伝っていた
「すごい飾りだよね。いつもの祭りとも様子が違うし」
「継承戦は新しい試みですから、形から刷新するのもいいかと。紫釉が職人を手配してくれました」
白雄は目を細める。
「でも、こんなに作ってお金は大丈夫? 宮殿の改修もあるんだし……」
荘厳な飾りの先に覗く宮廷は所々焦げ跡が残っていた。
「ご心配なく。この張子には修繕の間に合わない殿を隠す意図もあるのです。それに、民は皆今まで商いを自粛していました。宮廷が直に仕事を与えることで憂いなく経済を回せるでしょう。国庫は民を豊かにするために開かねば」
紅運は眉を下げた。
「ちゃんと考えてるんだな」
飾りの中には皇子たちの従える大魔を型取ったものもある。その中に炎を纏った獅子の張子を見つけて、紅運は口角を上げた。
城門の前に集まった皇子たちに白雄が告げた。
「継承戦が始まれば忙しくなります。前夜祭は我々も楽しむとしましょう。今宵の催しまでは各自……」
彼の言葉を遮って
「なあ、せっかくだし普段の面子じゃつまらなくないか? 宮廷でよく喋る奴なんて大体同じだろ」
紅運は肩を竦めた。
「本音は?」
「そろそろ
「俺が邪魔なら何処かの隙間に挟まっているぞ」
「馬鹿、いい加減他の奴とも喋れってことだよ」
紫釉は黄禁を押し退けて竹筒を出した。
「四色の色をつけた
「妓楼でよくある遊びだね」
茶々を入れた
「でも、面白そうだね。僕は賛成だな」
「じゃあ、決まりだな」
皇子たちが次々と籤を引き、紅運は最後の一本を引いた。
「赤だ……」
「では、俺と一緒だな」
黄禁が先端を赤く塗った籤を見せる。紫釉が紅運の肩を叩いた。
「任せたぜ」
「猫の世話じゃないんだぞ」
「俺は藍栄さんと一緒だから困ったら来いよ」
「行かない、どうせ行先は妓楼だろう」
藍栄は片目を瞑った。
「僕は白雄兄さんと、かな」
青燕が黒く塗られた籤を出す。
「そのようですね。よろしくお願いします」
「勿論! そうだ、今夜の催しは僕がやる予定だったから、兄さんも一緒に行こう!」
「催しとはどれのことですか?」
青燕は白雄の問いも聞かず、彼の袖を引いて駆け出した。
「おれは、じゃあ……」
紅運の後ろで小さな声が聞こえた。
「では、俺か」
武骨な黒眼帯の
ふたりの間の沈黙を眺めて、紅運はかぶりを振った。
「あのふたりで大丈夫か……」
黄禁が紅運の袖を引いた。
「きっと大丈夫だろう」
「根拠は?」
「ない。それより行くぞ、紅運」
「行くって?」
黄禁は黒子の散った青白い顔で微笑んだ。
「飯だ」
城門を抜けると、都の空は五色の燈籠で埋め尽くされ、元の色が見えないほどだった。
宙に無数の花が咲いたような光景の下を、水菓や工芸品を売り歩く商人が行き交う。群衆には継承戦に参加すべく訪れた各地の人間が混じり、金の髪や青い目が燈籠に似た輝きを放っていた。
道の端から張子の龍を操る芸人が現れ、火を吹く。炎熱が紅運の真横を掠めた。
黄禁は紅運の袖を引きながら進んでいく。
「黄禁、自分で歩くから引っ張らないでくれ! 第一都の地理なんてわかるのか」
「全くわからん。俺は殆ど宮廷から出たことがないからな。目についたものを食えばいいのだ」
呆れる紅運に構わず、黄禁は急に足を止めた。
「紅運、木彫りの魚が売られているぞ。釉薬で色つけしているのだろうか」
黄禁が指した屋台には火が焚かれ、串に刺された魚が炙られていた。
「あれは作り物じゃない。本物の魚だ」
「でも、真っ黒だぞ」
「焼いてあるんだ。俺も藍栄に連れられてくるまで見たことがなかったけどな」
紅運は苦笑する。宮廷で見る魚は骨を抜いて煮込み、薬味で飾ったものだ。
「食ってみようか」
黄禁は答えを聞く前に金貨の入った袋を商人に突き出していた。
「相場がわからん。ここから必要なだけ取ってくれ」
「黄禁!」
割って入った紅運に、商人が困ったように笑う。
「貴族さんかい? 祭りは初めてか」
「まあ、そんなところだ……」
紅運は目を逸らしつつ、黄禁の耳元で声を低くした。
「俺たちは市井で顔を知られてないんだ。目立つことはしないでくれ」
「何故だ?」
「金持ちとわかったら商人に囲まれ……」
言い終わる前に、商人たちが波のように押し寄せた。
「長寿麺だよ。切ってない麺のように長生きできる縁起物だ。揚げてあるから歩きながら食える!」
「じゃあ、買おう。俺は寿命が心配だからな」
「黄禁!」
「年餅はどうだい。甘いのから辛いのまで全部揃えてある!」
「全部ふたつずつくれ」
「黄禁!」
「橙もあるよ。食えば一年幸せに暮らせる!」
「それももらおう」
「黄禁!」
「何の縁起もないが、蓮葉茶だよ!」
「ないのか。まあいいか」
「黄禁!」
紅運は両手に大量の食物を抱えた黄禁の腕を掴み、商人たちの輪から抜け出した。
目抜き通りから離れた路地裏は、強烈な燈籠の明かりも届きにくく、夕空の薄い紅が頭上に広がっている。紅運は息を切らせながら、地面に並ぶ空箱の上に座った。
「断ることを覚えてくれ、黄禁!」
「悪い。だが、お陰で沢山買えたぞ」
「こんなに食べ切れるのか?」
「大丈夫だ、ふたりだからな」
黄禁は箱を卓の代わりに両手一杯の食物を並べ、塩焼きの魚を紅運の鼻先に出した。
「年年有余といって、魚は余と同じ読み方をするからな、食えば一年いいことが沢山ある縁起物だ」
「食い方も知らないくせにそんなことは知ってるだな」
「食い方はお前が見せてくれ」
黄禁の虚ろな目にじっと見つめられ、紅運は躊躇いながら魚の腹にかぶりついた。
焦げた皮が解け、口の中に強い塩気と、まだ湯気が立つ魚肉の熱さが広がる。宮廷の食卓で出る、毒味の間に冷めた品のいい味の煮魚とは全く違う味だった。
焼き魚を頬張る紅運に目を細め、黄禁は琥珀のように艶やかな餅を取り出した。
「この年餅は各地によって味付けが違うのだ。大根を擦った辛いものもあるが、これは黒糖の甘いものだな。粘り気があって食うのが大変だから、閻魔様に悪いことを報告されないよう年神の口を塞ぐ意味で……」
言いながら、黄禁は紅運の口に餅を押し付けた。
「俺は年神じゃないぞ。まだ魚が……」
紅運は口に放り込まれた餅に噎せ返る。黄禁が出した蓮葉茶を煽って息を整えると、塩気に慣れた舌に新鮮な濃い甘みが満ちた。
「この春巻も縁起物で……」
次々と食物を取り出す黄禁を、紅運は慌てて制した。
「次から次へと何なんだ!」
「美味いか?」
「美味いけど……」
「それはよかった」
「答えになってない」
「俺には礼の仕方がこれ以外浮かばなかったのだ。俺をずっと助けようとしてくれていたのだろう」
紅運は餅を手に握ったまま、言葉を詰まらせた。
「別に……結局俺が助けた訳でもないしな……」
黄禁は蜜柑を剥きながら目を伏せた。
「気持ちだけで充分だ。しかし、驚いたな。お前が助けようとしてくれたことも、それを俺が喜んだことも」
蜜柑の皮が弾け、光の粒のような汁が跳ねた。
黄禁は長い爪でそれを摘むと、自分の口に運んだ。
「死ぬつもりだったのだ。命を賭けなければ始龍は討てない。俺が討ち損なえば、兄弟は皆悲惨な末路を辿るだろう。それを見たくなかった」
紅運は答えに窮し、路地裏の隅の闇を見つめた。
「だが、始龍は倒され、兄弟は殆ど生き残った。それを見たら、急に生きたくなったのだ。ひとを呪い殺す呪術師が身勝手な話だがな」
「……好きなだけ生きればいいだろ」
紅運は餅を千切って口に放り込んだ。
「地獄があるなら生前のツケはそこで払えばいい。生きてる間は楽しめばいいじゃないか」
「見ない間に大きくなったな、紅運」
黄禁は目を丸くし、息を漏らして笑った。
「ひとを殺そうが、ひと死にを泣こうが腹は減る。浅ましいが、それがひとだ。だから、生きている間はせいぜいたらふく食え。母上が言っていた。断食を終えて、ちょうど今日のような祭りで、俺に食い物を沢山買ってきてくれたときだ」
黄禁の虚な目に反射する燈籠の明かりに、紅運は苦笑した。
「なら、黄禁も食べなきゃ駄目だろ」
紅運は長唐辛子の汁で味付けした真っ赤な長寿麺を押し出した。
「そうだな、長く生きてみるか」
黄禁は器から揚げた麺を取り、ふたつに折って、片方を紅運に差し出した。
紅運は受け取ってからしばし沈黙した。
「それ、折っていいのか。長いから長寿なんだろう」
黄禁はまた目を丸め、曖昧に微笑んだ。
「こういうのはな、思い込みが大事だ」
紅運は呆れながら麺の汁を啜る。辛さが痛みに変わって鼻腔を刺し、目の奥から微かな涙が染みた。
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