三章:十、白荼赤火

 滅びが、大蛇の姿をとり朽ちた都に訪れた。



「何だあの姿は……」

 橙志とうしの副官・王禄おうろくが呆然と呟く。

 山間に人頭だけが浮かんでいた。体長千里に及ぶと語られた胴体は未だ見えない。僅かに光が揺らめくだけだ。


 闇をなぞる極光が炎に変わった。

 地を走る熱線すら見えない。ただ山が燃え、煙が濛々と上がった。

「弓兵、撃て!」

 白雄はくゆうの声に遅れて、弓が放たれる。幾百もの矢は虚しく宙を穿ち、山陰に散らばった。



 人面の唇が震えた。

 古城の篝火が揺れ、辺りの空気が冷える。炎熱に囲まれた陣に渡るはずのない、薄氷が割れる音がした。

「来ます!」

 道士の兄妹が叫んだ。


 皇子たちの視界が紅蓮に染まる。怒涛の炎が城壁の如くそそり立った。

 兵士らが硬直する中、羅七らしちだけが地に手を突き、敵を見据えている。彼の道術による防壁がなければ、古城は一瞬で焼き払われていただろう。



 潮が引くように炎が退がる。輪郭も溶け合い最早林の面影もない炭の群れが広がった。

「ひと吹きで……」

 辺りにはまだ熱の名残りと、本来あるはずのない霜の溶けた水が滞留していた。



 騒然とする兵士の上に凛とした声が降った。

「古書に燭陰しょくいんはこう記されていました……“目を開けば昼となり、目を閉じれば夜となる。吹けば冬となり、呼べば夏となる”、と」

 呟く白雄の額に汗はないが、それは胸高に帯を留め、発汗を無理に抑えているからに過ぎない。

 皇帝の衣を纏う彼は、焦りを気取られないよう瞑目した。


「周囲の熱を吸い取り、己が炎に変えているのですな」

 羅九らきゅうが言う。紅運こううんは目を見開いた。揺蕩う陽炎は見慣れた揺らぎを持っていた。

「そうか! 狻猊さんげいと同じ、陽炎を起こして姿を隠しているんだ。周囲の熱を奪えば……」

「だったら、僕の水が使えるはずだ」

 青燕せいえんが剣を抜き、紅運は首肯を返す。弟たちに橙志が歩み寄り、何かを耳打ちした。


「姿が見えなくては進路も想定できません。闇雲に水を使っても霧散させられるのみ。埒が開きません」

 王禄が焦れたように叫んだ。

「では、埒を開けましょう」

 羅九の言葉を、地鳴りが引き継いだ。



 雲を衝く巨人が地盤を揺るがせながら聳り立つ。

 どよめく兵士らを過たず避け、羅九の巨人は廃城の前に立ちはだかった。

 突如、進路を塞いだ障壁に燭陰の目が薄く開く。


 炎が再び空を染めた。

 迫り来る火炎の波を、巨人が蹴立てた泥の波が飲み込む。

 焼けた土の匂いが廃都に広がった。



 林を挟んで二対の巨塔が睨み合う。

 一瞬の膠着を道士の兄妹は見過ごさなかった。

羅花らか!」

「はい、北西に熱の流れがあります!」


 青燕が頷く。

蚣蝮はか!」

 堀を埋める水が白亜の壁の如く隆起した。奔流が林を駆け、不可視の蛇を襲う。


 蒸発した水が赤の極光を掻き消した。

 漠漠濛濛、白く烟る林に光沢を持った赤の胴体が横たわっていた。



「燭陰の胴体を確認!」

「この体長ならば半刻もなく到着します」

 羅虎らこが冷静に告げる。


「結構、後は我らが威厳にかけて龍久国りゅうくのくにの精鋭がお相手しましょう」

 白雄が蛇矛を構え直した。

「弓矢隊、弩を持て!」

 弓の三倍はある銅製連弩が即席の城壁に展開する。堀からひっ先だけを覗かせた弩から無数の矢が放たれた。


 烈気を裂いた全ての矢に白雄が大魔の権能を宿らせる。

 地盤を割って突き刺さった矢は鋼鉄の檻を凌ぐ硬度で、燭陰の胴体の側を縫い止めた。


 炎の大蛇は人面に僅かな苦渋を走らせ、巨人を見据えた。矢の檻を溶かすため退けば、巨人と弩の猛攻が待つ。

「攻城兵器とまでは行きませんが、敵地に自陣を敷く。これが我々の戦いです」

 燭陰は網に引かれる魚のように廃城へ進路を定めた。



 林が倒壊し、山道を泡立つ。

 巨人が塵のように消え、羅九が現れた。

「次の策はあるのでしょうな」

 老体には汗が滲み、疲労が見えた。

「勿論だ」

 紅運は橙志に視線をやった。


「道士、先程の障壁は作れるか」

 羅七が答える代わりに、透明な壁が湧き立つ土煙を屈折して映す。

「水に沈めておくのは不安があったが、紅運が来てその心配もなくなった」

 橙志が剣を虚空にかざす。

 紅運と青燕がその鋒を見据えた。


 壕の周りの空気が揺らぎ、鈍い輝きを放つ何かが露わとなる。

「あれは……?」

 白雄が訝しげに見た先には、車輪付きの巨大な鉄の筒が並んでいた。

「あれぞ攻城兵器です。運ばせて堀に忍ばせるつもりでしたが、紅運が来てからは楽に隠せました」


 紅運は小さく口角を上げた。陽炎で姿を隠すのは燭陰だけではない。寧ろ狻猊の本懐だ。蚣蝮の水と合わせた炎熱は蜃気楼を作り、この兵器を隠した。


「我が姉の夫、左将軍が異国から取り寄せた火砲です。名を“轟天雷ごうてんらい"。試作品ですが、火薬の比でない精度で炎と烈波を撃ち出せます」

「試作の段階で撃つとどうなります」

「俺が姉上にどやされます」

 白雄は苦笑した。

「並ならぬ覚悟での運用なのはわかりました」


 橙志が深く息を吸う。

「轟天雷、構え! 砲撃を開始せよ!」

 砲塔が旋回し、天雷に相応しい轟音が炸裂した。


 絶え間なく白煙と火炎が戦場を染め、大音響が響き渡る。燭陰の胴が爆ぜ、巨大な胴がのたうつ。

 砲音は橙志の大魔の権能で勢いを増し、皇子たちの鼓膜をも震撼させた。



 燭陰は矢の檻と砲撃に導かれ、朽ちた羅城の前に迫っていた。

 燭陰が手も足もない腹で立ち上がる。一条の赤光が天から降ろされたようだった。

 爆風と黒煙で霞む視界の中でも、それは見過ごしようもない。

 滅びの象徴は今、眼前にある。


「ここからですね」

 白雄は皇帝の衣を翻し、全ての兵の前に立った。

 人面が薄く目を閉じる。


 目を開けば昼となり、目を閉じれば夜となる。

 火砲の煙で夜空と境ない闇が占める戦場を、黒一色が塗り潰す。

 燭陰が目を開き、昼と見まごうばかりの鮮烈な光が古城を染めた。

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