婚約成立

 深く息を吐いて気を取り直し、ありがとうとお礼を言えば、頭を撫でてくれていたティナの手が離れていく。それを少し寂しく感じたけれど、逆にスノウが俺から離れる気配は全くない。

 俺の凹みっぷりがよほど面白かったのか、ティナが俺に同情した気持ちに引きずられているのか……取り敢えずこのままでは話が進められないので、ひょいと抱き上げて膝の上に。


「キュ!」


 心得た、とでも言うように短く鳴いて、スノウはそのまま俺の膝の上で丸くなった。うーん、猫みたいだ。可愛い。


「やだ、スノウったら…ごめんなさい、大丈夫?」


 自分の所へ戻ってくると思っていたスノウが、俺の膝ですっかり落ち着いてしまったので、ティナが申し訳なさそうに顔を覗き込んでくるが、勿論こんなのどうって事はない。


「平気よー。ずっと抱っこしてるとティナも疲れるでしょ?どんなに小さくても意外と重いしね、竜って。」

「そうね…実はちょっと足が痺れてるわ。」

「はは、やっぱり?それなら、スノウも俺で良いみたいだし、代わるよ。」

「お願いするわ、ありがとう。」


 ふわりと笑って、ティナの手がスノウの頭を一撫で。その光景に、ラーフィネットさんがくすくすと上品な笑いを零したので不思議に思っていると。


「何だか孫が生まれたような感覚になるわねぇ。ラヴレンチさんはとっても素敵な『お父さん』になりそうだわ。」


 ままま、孫!?お父さん!?ラーフィネットさん、それはちょっと話が飛びすぎでは!?

 あ、でも兄貴にも似たような事を言われた気がするわね…!?俺は自然に接しているだけなのに何故…!


「えええ、えっとぉ、大変光栄なんですけども…!その、そういうのはまだ、ちょっと早いかなぁ、なんて……」

「そ、そうよお母様!大体、ラヴレンチ様はスノウの事を含めて私との婚約を考えてくれたんだし…!」


 俺以上に顔を真っ赤にしたティナが援護をしてくれるが……おや?


「ティナ、様付けはやめてってば。」

「う…ごめんなさい…ラ、ラヴ、レンチ……まだ、て、照れ臭くて……!」


 うーん、様付けはなくなったけど、愛称じゃなくて呼び捨てかぁ。少し物足りないが、脇にあったクッションを抱き寄せて顔を埋めながら言われる「照れ臭い」の説得力も半端ではない。徐々に慣れていってもらおう。


 とまぁ、俺よりテンパっているティナを見たのと、別の事を考えたおかげで少し冷静になれた気がする。


 膝の上のスノウは状況を飲み込めていないのもあるだろうけど、落ち着いた表情で俺を見上げているし、手のひらから感じ取れる彼のマナもいっそ場違いな程に穏やかだ。

 マナを交わしていないので、彼の考えまでは分からない。それでも、その瞳の奥には確固たる意志が感じられる。だから…──うん。やはり、ゼレノイ家に生まれた者として、その意志を無視する事は絶対にあってはならない。


「……スノウがティナの元に現れた事については、ゼレノイ家でも理由が分からないそうだが…ラヴレンチ君の考えを聞かせてもらっても良いかな?」


 俺がスノウを見て考え込んだのを、話を戻す機会だと捉えてアクセルさんが切り出した。兄貴の事で話を逸らしてしまったのは俺だけど、自分では修正不可能な状態に陥っていたので、とても助かります。


 俺個人の意見を求めて来たと言うことは、恐らく親父からの手紙には親父なりの考えが記されているのだろう。

 あの時は軽い冗談のように流してはいたが、ここ数年で烈しさを増している世界の瘴気と、見計らったかのようなタイミングで特異な顕現を果たした、浄化の力を持つと思われる、混じり気のない白竜。無関係だと思えと言う方が無理がある。

 きっとその辺りは外さずに書いただろうし、俺も異論はない。


「……ゼレノイの血と言うのは、良くも悪くも、ただ竜の為だけにある・・・・・・・・・・んですよね。例え王命であっても、そこに竜の意志がなければ従う義理はないとすら考えていて…勿論、俺も例外じゃない。何に於いても『竜の意志』が絶対で、それを裏切る事だけはどうしても出来ません。」


 ゼレノイ家を預かる形となる王族には代々、『常に逆賊と紙一重の一族である事を忘れるな』と伝えられているらしいが…その伝え方もどうなのかしらねぇ。俺達からすれば、竜の力を正しく使ってくれてさえいれば文句はない訳だし。どう考えても、ゼレノイ家を逆賊にさせるような失態をさらす方が悪いでしょ。

 こちらを落とすような言い草に思うところはあるけれど、単純に『竜の力は正しく使いましょう』とだけ言って軽く思われてしまうのも考え物だからなぁ。これに関しては目を瞑るしかないのか。……って、また思考がズレてしまった。いけないいけない。


「ゼレノイ家の人間なら皆、そうなんだろうけど…竜に関わる全ての事象には必ず意味と、意志があると思ってます。当然、スノウが持つ力と、抱いている使命感にも。だから俺には、ゼレノイ家の人間として、この子の意志を貫かせる義務があるし…義務なんか関係なく力になりたいとも思う。俺と出逢った・・・・ティナをパートナーに選んだのは、そういう事なんじゃないかなって今は思っちゃうくらいだし…──ううん、違うか。きっとスノウが、俺達を出逢わせたのね。」


 ティナが、純粋にスノウの力になりたいと思ってくれるような人じゃなかったら、きっと俺達は出逢わなかった。


「……スノウはきっと、俺達人間には到底想像出来ないような宿命を抱えて生まれたんだと思います。それが果たされた先に何があるのかなんて、全然分からないけれど……待ち続ける事しか許されないより、一緒に歩む事を許してもらえた事を俺は誇りに思いたいし、誰にも譲りたくない。そしてそれは、」


 一度言葉を区切って、隣に居るティナの手を取る。ぱちりと一度だけ瞬いて、そのまま自然と俺の手を握り返してくれたティナに勇気付けられて、再度口を開く。


「…ティナの隣に立つ事も、俺にとっては同じ事です。ゼレノイ家の人間である事で、竜が全てだと思われるのは承知の上で、事実であるのを否定はしません。ティナにはもう伝えましたけど、実際、スノウの事を差し置いて婚約の事を考えるのは俺には無理です。手段・・として使う事を、否定もしてあげられない。ただ、ティナと一緒じゃなきゃと思える理由は手段それだけじゃない事を信じてほしいし、知っておいてほしいんです。そしてその上で、ティナとの婚約を認めてもらいたい…です。」


 お願いします、と頭を下げれば、ティナが俺の手を更にギュッと力強く握ってくれた。ティナは俺の気持ちを受け入れてくれたんだろうと安堵はするが、頭を上げる事はまだ出来ない。

 数分とも数十分とも感じられるような沈黙。実際は数拍の事だったろうが、俺にはやたら長く感じられたその後。


「頭を上げてくれないかい、ラヴレンチ君?」


 とても穏やかで優しいアクセルさんの呼び掛けに、恐る恐る従うと、声音の通りの表情を湛えた夫妻が俺を見つめていて、少々面食らってしまった。


 第一王子からの婚約を破棄されたばかりで、ただでさえ敏感になってしまうだろう婚約話を、「ちゃんと向き合えない」という但し書きでされた反応とは思えない。

 そもそも、異例で現れた『竜の祝福』への対応を求めただけだったのに、いきなり娘の婚約話にまで話が飛んだようなものじゃない?親父が口添えしているにしても、もう少し困惑した空気を出されるものだと思っていたのだけれど。


「はは、君は本当に誠実な人なんだねぇ。」


 上級貴族には向かなそうだ、とアクセルさんは笑う。うん、これどういう状況?


「ティナは、今後爵位がどうなるかは関係なしに、スノウの力になってあげると決めたんだね?」

「ええ。この子が『そうしたい』という意志が、驚くほどすんなり私の中に入ってきたから…私も、『そうしたい』。」

「それじゃあ、ラヴレンチ君との婚約は、ティナにとってはただの手段になる?」

「手段がきっかけ・・・・だっただけよ。身分に付きまとう政略結婚より、よっぽど建設的だわ。」

「うーん、それを言われると父さんも立つ瀬がないなぁ…──という訳で、ラヴレンチ君。」

「はいっ!?」


 小気味良いとさえ思えるテンポで進んでいく父娘の会話に、口を挟む事も出来ずにおろおろしていたら、急に会話のボールが戻ってきたので、返事が裏返った。恥ずかしい。


「古来、竜の意志は世界の理に通ずると聞く。己の未来を知っていたティナの元にスノウが現れたのも、ただの偶然ではないのだろうと、私も感じているところでね。君のような真面目で優しい子が、困難に立ち向かわなければならないティナの隣に居てくれるなら、これほど嬉しい事はないよ。」


 目を細めて、本当に嬉しそうに言ってくれるアクセルさんと、同調するように頷くラーフィネットさん。これはその、つまり……?


「ゼレノイ家からの婚約の申し出、慶んでお受け致しましょう。」

「娘をお願いしますね、ラヴレンチさん。」

「…っはい、ありがとうございます!」


 最初の、且つ最大の難関を突破!ってところね。まずは一安心と息を吐いた俺に、スノウが嬉しそうに「ピィ!」と鳴いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

優しい竜の育て方 @ryu10879i

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ