シャングリラのペテン師

第19話 ヒーローとペテン師


「で、いつにしよっか!」

「は?とりあえず明日はパスな。だって日曜だし安息日だし」

「……なんの話??」

 ジルベールが頭にハテナを浮かべている。夜もすっかり更けたが、議題はエリック達との合同クエスト兼旅行の日程についてである。書類はとっくに書き終わったが、最後のシメだ。カウンターにもたれかかり、エリックと二人話し込む。

「えー、安息日とか守ってんの?サイモンさん、もしかしてゼウス教ガチ勢?」

「いや全然…エンジョイ勢だよ。週一で祈るくらいだし。でも安息日は絶対守る。休息あってこその労働。ああ、しゅの慈悲のなんと素晴らしいことか」

「いや、これから冒険者始めたらそんなこと言ってらんないぞ?ダンジョンの最奥で重傷者抱えて安息日とか言い出す気?」

「じゃあなおさら最後のマトモな安息日になるじゃん!明日は絶対休むー!!!」

 安息日。ゼウス教において一切の労働を禁ずる日。…と広義で定義されているが、近年は各国、各種族の経済活動活性化に伴いあまり守られなくなりつつある。特に冒険者ギルドは年がら年中、365日開いている機関の代名詞である。安息日の存在など、今や形骸化してるも同然と言えた。

 しかしサイモンにとっては、特に明日はどうしても安息日が必要だった。なぜなら…

「ここ5日間、毎日闘技場に通って勝つか死ぬかハラハラして、合間で準備して今日もマジで寿命縮んで、もういい加減休みたいよー!!」

「ぐ…それは………ご愁傷様だけど………」

 サイモンが必死な顔で年下相手に拝む真似をすると、エリックも唇をひん曲げる。正直、サイモンはここ数日まともな睡眠が取れていなかった。総時間はともかく、新しい同居人、新しい家、そして劇的な生活の変化。元来活動的ではない彼としては、そろそろ本気でのんびりしたかった。これから忙しくなるならなおさら、である。

「………わかったよ、じゃあ明後日」

「早いなー!まぁ仕方ないけど!!」

 ぶすくれた様子のエリックを見てサイモンが驚いた声を上げる。とはいえ、エリックは王都に仲間を残したままここに来てくれているのだ。これ以上引き伸ばすのも申し訳ない。…仕方ない、これで手を打とう。サイモンは遠くで蜂蜜水セルヴォワーズを啜っているビッグケット、ジルベール、ジュリアナに視線を向けた。

『「おーい、クエスト兼旅行。明後日出発にしないかっテ」』

『じゃあ明日は何するんだ?』

『ノンビリスル。オ前バアチャンノれしぴ本作ルンダロ?買ウノ忘レテタカラ』

『あ〜そういえば』

 本当だったら今日白紙の本を買おうと約束していた。ビッグケットはそれを思い出したようだ、大仰に頷いた。

「ジルベールとジュリアナも。クエスト兼旅行の日程、明後日でいい?」

「わかった、じゃあ明日は数日店を閉める準備をしておくよ」

「私は家に帰って研究の続きをします。基本自由業なので……明後日、かまいませんよ」

「ありがとう」

 サイモンが尋ねると、それぞれから快諾の返事が返ってきた。安堵のため息を吐く。その様子に面白くなさそうな顔をするのはエリックだ。

「ちぇーー、じゃあオレ明日何すりゃいいんだよ。流れの冒険者とはいえ、人間ノーマンがあまり歓迎されなさそうな場所で」

 すると、それを聞いていたジルベールが瞳を孤にした。

「じゃあ、マジックアイテム屋で術符でも見てきたら?ド素人のサイモン君でも使えそうな、使い方がわかりやすそうな術符構成デッキを考えてあげるとか。エリック君は術符に関して専門外だろうけど、魔法の属性や使い方なら詳しいでしょ?加護師バッファーの知識を活かして、二人に必要な物を選んであげなよ。もしサイモン君が将来本当に加護師バッファー回復師ヒーラーになるとしても、それまでの繋ぎと勉強に丁度いいだろうし」

「お、それ面白そうだな!ていうか、サイモンさんと猫ちゃんがこれからどういう冒険者になるかのシミュレーションだろ。わーー、これは最高の時間潰しになるな!!」

 ……何やらわかりあっている。エリックはなんだかんだ、好きで楽しく魔法使いをやっている。ジルベールの提案に一瞬でキラキラと目を輝かせた。

「うっし決まり!じゃあサイモンさん、今日のアイテム代含めて金貨何枚かちょーだい!オレが初心者用 術符構成デッキ考えて買ってやるから!」

「………わかった………よろしく…………」

「あと、魔法の実践本と符術師カードソーサラー入門書と……あっ、薬学の本とかもいる??回復は回復で必要だろ?」

「………任せる………」

「やったー!!!」

 エリックは酷く楽しそうだ。…さて、話もついたしそろそろお開きにするか。もう9時だ、家に帰って寝よう……。

「じゃ、話もついたしみんな解散………」

 欠伸をしつつサイモンが口を開くと。何やら熱視線もとい、こちらをじっと見ている気配がある。恐る恐るそちらに目を向ける。その発生源は、

「ちょっとエリックさん!なんですかその面白そうなの!!!私も連れてってくださいお願いします!ちょっと!!!」

 ジュリアナだった。去ろうとするエリックに走り寄り首根っこに飛びつき、派手に押し倒している。いかに少女程度の体格とはいえ、小型人類でなく人間ノーマンとエルフの子である。派手な音が響いてエリックはしこたま額を打ちつけた。けらけらとジルベールとビッグケットが笑っている。

「痛い!!!何すんだよ!!!!」

「すみません!でもそんな面白そうなこと聞いたらいても立っても居られず!!私も混ぜて下さいよおおお」

 床に倒れるエリックの上で正座したジュリアナがぴょんぴょん跳ねる。起き上がりかけたエリックの額がまた床とぶつかった。

「ちょ、おま、どっからこのジャンプ力出てんの!?どいて!連れてくから!!」

「やったー!!なんなら今から議論してもいいんですよ!?同じ符術師カードソーサラーの属性ミックスでも、回復ヒーラータイプにするか加護バッファータイプにするか、はたまた攻撃ガン積みにして前衛アタッカータイプにするか考えるの楽しいじゃないですか!」

「お、やるか!?じゃあギルドの三階が宿屋になってたはずだから、一晩語り明かそうぜ!」

「はいお供します!!!」

 そして二人はバッと立ち上がり、バタバタ上に駆けていってしまった。その場には唖然とするジルベールとビッグケット、そしてサイモンが残される。

「………元気かよ………」

『正直僕には真似出来ないね……若いっていいな……』

『イヤ、オレデモ無理………』

 正直サイモンは充分に若いが、こればっかりはジルベールと同意見だ。

『モウ、帰ル。疲レタ』

『よし、じゃーかいさーん。おつかれさまーー』

 男二人緩慢に頭を下げて。長い長い一日が終わりを告げた。そういやエルフの国に連絡とって作戦や魔法の大激論して、そして大観衆の前で演説して………これ全部今日の出来事だ。いやぁ疲れた。ふらふら出口に向かうサイモンの後ろを黒猫がついてくる。やっと、やっと今日が終わる。

 俺たちは無事生き残った。

 さあ、我が家に帰ろう。











 すっかり夜の更けたシャングリラ。東部の北エリアは風が木々を渡る音だけが響いている。品の良い店が多く並ぶここは、全ての建物が閉店時間。どこも既に錠をかり、全くと言っていいほど人の気配がない。街灯も遠い。サイモンは久しぶりのやや冷える夜に身震いした。こうなると腕も脚も出しっぱなしの隣のビッグケットが心配になるものの、本人は特に問題無いと言う。

『私は体温が高いからな。普段ちょっと暑いくらいだし、何ならこれくらいが丁度いい』

 そう言って肩で風を切って歩く。もう少しすれば等間隔に街灯が並ぶ、華やかなメインストリートに出るだろう。サイモンは先を行くビッグケットの、女性にしては長身だが細い背中を眺めた。

『……今日ハゴメンナ』

 ぽつりと漏らした言葉。黒猫が振り返る。

『なんで謝るんだ?ちゃんと生き残れたじゃないか。腕だって戻ってきたしさ』

『デモ、痛カッタロ』

『まぁ、痛かったけど。私が手足なら切り落としてもいいって先に言ってたんだ。想定の範囲内だ。ちゃんとお前の作戦で勝てた』

『「いや、あれは失敗ダ。本当なら負けてたシ、お前も死んでたんダ。あの魔導師が来なけれバ」』

 サイモンが立ち止まる。ビッグケットも少し先で歩みを止めた。

『「今回こそお前におんぶに抱っこじゃなくテ、力になるつもりだったのニ。あんな所で実況程度の女に迷ってしまっタ。今日出会った大して知らないアイツよリ、お前の方が何倍も何百倍も大切なのニ」』

『………』

『「俺が迷わなけれバ、お前は痛い思いをしなかったかもしれなイ。俺一人で勝ちきれたかもしれなイ。そう思ったら、悔やんでも悔やみきれなイ。

 …俺がもっと、冷徹になれてたラ」』

 普通人間、指先をちょんと刃物で切っただけでも痛いのに。深く腕を切られたらさぞや痛いだろうに。…ビッグケットの左腕を見る。今は綺麗にくっついてるし動いてる。けど、あれがまるごと落とされた、ましてや右腕も途中からなくなった、その痛みたるやどれほどのものか。今改めて思う。

 「生きてて良かった」という言葉の持つ意味。そのあまりの軽薄さを。

 俯き言葉に詰まるサイモンをビッグケットが見ている。ごう、と風が唸り闇夜に黒髪がひらめいて、…ビッグケットは。静かに笑った。

『お前はそのままでいいんだよ』

『ハッ?』

 黒猫が歩いてきた。一歩、一歩、そしてサイモンのすぐ目の前で止まる。

『馬鹿だなお前。優しい人間なんて掃いて捨てるほどいる。でもどうでもいい人間、ましてや敵にまで真剣に情けをかけられる人間はこの世でお前くらいだ』

『………』

『冷酷なんて、なろうと思えばすぐなれる。心を殺せばすぐだ。慣れてしまえばあっという間だ。でも、ずっと誰かに優しくし続けることは、夢や希望を持ち続けることはそう簡単に出来ることじゃない』

 目を丸くするサイモンの眼前で。まるでキスをするように黒猫が覗き込んでくる。丸い丸い金の目がサイモンの視界いっぱいに映っている。

『お前は誰より優しい。だから私はお前についていこうと決めたんだ。敵にまで真剣に悩めるお前だからこそ、腕や脚を落としてでもお前の理想を叶えたいと思ったんだ。もしお前がもっと冷酷で無慈悲だったら、私は命を賭けようなんて思わない』

 そこでふっと離れる。サイモンはやっと呼吸が出来た。すぅはぁと息をする。

『もっとも。ただの甘ちゃんで馬鹿で人を振り回すだけの奴だったらここまで信頼しない。お前はそういう心配をしてるんだろ。でも、私から見たお前はそういうのじゃない。んじゃなくてんだ。だから理想を追いかけながら冷静に目的も達成する、ギリギリ限界現実的な作戦を立てられてる。安心しろ。私はこれからもお前についていくぞ』

 呆然とするサイモンの視線の先で、ビッグケットがひらりと身を翻した。少し離れた場所に着地し、こちらを見ている。その表情はとても晴れやかだ。

『私はお前の夢を応援したい。だから手足くらいならくれてやる、そういう最低ラインを提示したんだ。迷うな。信じろ。私はお前を恨まない』

『…………………ビッグケット………………』

 黒猫は、多分、ずっと自分を褒めていた。恥ずかしくて途中から話が半分頭に入ってこなかったけど、多分そういうことだ。サイモンはここが真っ暗闇な外で良かったと思った。多分今、ものすごく顔が真っ赤だから。こんな恥ずかしいところしっかり見られなくて良かった。

『これで気は晴れたか?ほら、家に帰ろう。帰らないならなんか食べ物くれ。ちょっとお腹減ってきた…』

『アア、屋台デナンカ買ウカ?オレモチョット減ッテキタ』

『ウソ、ホント!?やったー食べる!!!』

 そして二人はまた歩き出した。遠くに見えていた灯りが大きくなり、行き交う人々のざわめきが耳に届く。温かい空気。サイモンはようやく心から安堵の息を吐いた。

 ……恨まない、ずっとついていく、か。俺の理想を馬鹿にせず肯定してもらったの、もしかして初めてかもしれない。嬉しいな。

 少し離れたところで黒猫が食べ物を見つけてはしゃいでいる。さて、これを買って帰って食べて…明日は休日。極力なんにもしないぞ。そう心に誓って。


 帰宅。腹を満たした後、家で初めての入浴。リビングでビッグケットと別れてベッドに潜り込む。久しぶりに安らいだ気持ちで瞼を閉じた。それもそうか。もう闘技場に行かなくていいんだからな。もうあんなたぐいの緊張は懲り懲りだ。

 …とはいえ、冒険者を始めてしまったらああいうのの連続なのか?いや、ビッグケットは強い。彼女を退屈させない程度のクエストを受ければいいだけだ。そうして人助けをして、誰かを困らせるモンスターを退治して、元気に外に出られる限り冒険者をやって…少しでも、人々の安寧に貢献する。そんで晩年はありあまる金でのんびり暮らすか。

 もちろん、あの時叫んだ「夢」の内容に嘘はない。けれど、たった一人の人間に出来ることなどたかが知れている。仮に今はビッグケットと二人だとしても、「これから生まれる大きな争いを未然に止める」なんて、ましてや「これだけいがみ合ってる各種族を一つにまとめあげる」ことなんて、出来ると思うか?そんなのあの貴族主催者の言葉を借りずとも無理に決まってる。

 だから俺は、出来ることを出来るだけやる方向でいこうと思ってる。この選択はきっと間違ってない。絶対、誰にも馬鹿になんかさせない。だって俺はつまんない平民の人間ノーマン。取り立てて特別な生まれでもなんでもないんだから。


 うつらうつら微睡みながら眠りについて。






 …夢を見た。






 これは…12歳くらい…勉強が楽しくて仕方なかった頃の俺だ。にこにこ笑顔で机に本を積み上げて、何か読んではノートに書き写し、それが終わっては本をめくる。あと数年で成人、独り立ちする。それに向けて、就職を意識して勉強している頃だ。

(将来は学者さんかしら、官僚かしら)

 そう言い出したのは誰だったか。俺はその言葉を疑わなかった。学者もいいけど…できれば官僚がいいな。だって叶えたい夢があったから。けど、夢に対する方向性を決めたのは確かにあの言葉たちだった。無意識に他人の願いを自分の願いと混同していた。




 映像が切り替わる。あれは…隣に住んでたおばさん。幼なじみの母親だ。庭で洗濯物を干している。…ああ、この日のことはよく覚えている。俺が10歳の頃。幼なじみの兄が戦争で死んだと知らされた日だ。同じ戦いに出た俺の父親はのうのうと帰ってきたのに、おばさんの家族は「また」減ってしまった。息子が死んだのは3回目だったか。元は7人も子供がいたのに、女の子とまだ小さかった幼なじみ、そのすぐ上の兄を残して全員死んでしまった。

 何か声をかけなければ、と思って隣の家に行った。けれど、洗濯物を干す後ろ姿。やがて前触れもなくうずくまってしまった姿を見て、何も言えなかった。大事に育てた息子が戦争に奪われる心痛はどれほどだっただろう。

 あの姿を見て、俺は思ったんだ。

 もし叶うなら、悲しむ人のいない世界を作りたいって。




 さらに映像が切り替わる。夢はどうも俺の記憶を遡っているようだ。あれは本当に小さい頃…4、5歳の頃だろうか。ほとんど幼児の俺がベッドに寝そべり、いろんな本を広げている。そうそう、今も家にあるモンスター図鑑。子供向けの英雄譚。童話。他国のお菓子を並べたレシピブック。…そういやエルフの国の歌なんかも平気で歌ってたな。あの頃は人間ノーマンとエルフがバリバリに戦争中で、完全に敵国だったのに…呑気なもんだ。

 そうだ、それでも行ってみたかったんだよな。まだ見ぬ隣国。世界樹の伝説や魔法の泉に関する本の記述を見て、美しいエルフの挿し絵を見て、それはどんな所だろうと何度も想像した。剣と鎧を身に着けドラゴンを倒した勇者の物語。聡明で慈悲深い、永く国を治めた魔法使いの物語。勇ましい戦士達の友情物語。心踊らせながら読みふけったたくさんの御伽話おとぎばなし

 そうか……俺が、幼かった俺が、本当になりたかった職業は………









(………ン、サイモン)

 誰だろう、誰かの呼ぶ声がする。

『サイモン、サイモンっ』

 ……ビッグケット…か……?なんで呼んでるんだ?俺は寝ていたはずなんだけど……

『サイモン!起きろ!!大変だ、リビングを見てくれ!!!』

 最後は怒鳴り声だった。慌てて飛び起きる。…傍らに寝間着のワンピースを着たビッグケットが座り込んでいる。ちょっと、男の部屋に勝手に入らないでくれよ。何か「見られたくない事」をしてたらどうすんだ。

『あ、あの…勝手に寝室に入ってごめん。でもあの、怖くて……』

『ハ?怖イ?』

『いいから、いいからリビングを見て』

『????』

 豪胆で怖いもの無しのビッグケットにしては珍しく、明らかに狼狽した表情。一体なんなんだ。時刻は恐らく朝。うつらうつら夢を見ながら朝まで寝ていたようだ。仕方ない、起こされたし呼ばれたし起きるか。緩慢な動作でベッドを降り、寝室の扉を開けると。



 くるーくるーくるーくるーくるーるーるるるーくるーくるーくるーーー



「なっ、なんだこりゃ!??」

 サイモンの視界に飛び込んできたのは、無数の鳩だった。この家のリビングを我が物顔で鳴きながら闊歩している。10は越えているだろうか。ぴょこぴょこ揺れる頭。不規則な動き。ばさばさばさ!そのうち一羽が飛び上がる。ビッグケットは実に珍しく、ヒャアアア!!と細い悲鳴を上げてサイモンの背中にすがりついた。

『鳩が!さっきから次々入ってくるんだ!いや、最初に窓を開けたのは私だけど!なんか窓をコンコンつつくから、何かなって思って開けたけど!こんなに、こんなに来るなんて!!怖い!!』

 さらに異様なのは、そのうち一羽の鳩である。くるーくるー、ぽっぽー!と鳴きわめきながら高速で歩き回っている。頭ががくがく揺れていて、この鬼気迫る様子は確かに怖い。…しかし冷静に鳩たちを観察すれば、彼?彼女?らの正体を理解するのは容易かった。

 サイモンは慌てず騒がず高速徘徊鳩を掴み上げる。鳩の身体には謎の装飾品。そして脚に小さく紙がくくりつけてあった。



〈至急鳩を返してください。

        ─冒険者ギルド─〉



 赤字ででかでかと書かれたメッセージ。こいつらは、冒険者ギルドから手紙を山程運んできた魔導鳩だ。







「もおおおおお、なんなんだよ!俺は安息日で休みだって言っただろ!!!!」

 慌てて整えた身支度。二人は急いで全ての鳩を捕まえ、手近な袋にぶち込み、魔法の絨毯に乗って冒険者ギルドまでやってきた。本当ならきちんと朝食をとってからにしたかったが、何せ鳩が煩い。どうせ手紙を運ぶだけのマジックアイテムなんだから、無駄に動いたり鳴いたりさせなくてもいいだろうに…!!

 バン!と扉を蹴破る。お行儀悪いが、両手どころか両腕に鳩を目一杯抱えているから仕方ない。すると、

「おっペテン師だ!」

「よう、シャングリラのペテン師。鮮烈デビューおめでとう!」

 中に居た見知らぬ冒険者たちが話しかけてきた。人間ノーマン、ドワーフ、ノーム、むきむきのオーク。様々な人種、様々な職業だろう冒険者たちが人だかりとなり、一斉にこちらを見てくる。見知った顔はない。なのに、なんだその呼び名は!?

「なんだよシャングリラのペテン師って!誰が呼び始めたんだ!?」

「え、知らないの?本人なのに??ほらこれ」

 すぐ側にいた小柄なピクシーの、恐らく魔法使いと思しき少女が壁を指差す。丁度冒険者たちの目の前の壁。そこには何かが貼られていた。…これは、紙…か…??慌てて周りに避けてもらい、ビッグケットと二人並んで「それ」を見る。おおー、闘技場殿堂入りチャンピオンだ!誰かが感嘆の声を上げるのを聞きながら。



「は?は??はぁ〜〜〜〜!!!???」



〈史上初!闇闘技場殿堂入り女性チャンピオン、堂々の冒険者デビュー!ケットシー混血/ビッグケット(15)!〉


〈八面六臂の大活躍!オーガ相手にアッパー勝利!!〉


〈相棒は大好きな登録者オーナーさん♥判定勝ちを狙って運営本部を奇襲、巧みな舌戦を仕掛けた人呼んで《シャングリラのペテン師》!!人間ノーマン/サイモン・オルコット(18)!〉


〈クエスト受注は本日日曜日より!ぜひぜひご用命ください!!〉



「待てーーー、俺は今日休みのつもりだったんだけどーーー!!??」



 つまるところ、冒険者ギルド内の広報に勝手に取り上げられていたのだ。でかでかと貼り出されているのは、まさに昨晩劇的な勝利を確信させたアッパーの瞬間。体格差をものともせずぶっ飛ばす、ビッグケットの豪快な姿が写真で伝えられている。写真ってめたくそ高価なマジックアイテムで出来てるはずでは?!いつどこでどうやってこれを作ったんだ!

 慌てて食い入るように中身を読めば、サイモン自身は1ミリも広報に載るなんて知らなかったのに、あれやこれや派手に二人の紹介が書かれている。


〈彗星のごとく現れた新参者ニューカマー!ビッグケットはケットシー混血ながら、そのへんの亜人獣人では太刀打ち出来ないほどの戦闘力!トロルすら一撃でほふる腕力脚力、まさに規格外!〉


〈一方サイモンは静かなる策士!女性獣人は弱い、その先入観を逆手に取って闘技場に参戦、結果6億超の掛け金荒稼ぎ!!決勝戦においてもその頭脳を遺憾なく発揮、運営の闇を暴いてオーガ相手に判定勝ちを狙う!〉


(…うわっ、ちょっと待て!俺が金持ってること勝手に書いてんじゃねーよ!!!)

 なんて軽薄で無責任な文章なんだろう。あちらの意図はバレバレだ。とかくサイモンとビッグケットの二人をわかりやすく有能と宣伝出来ればいいのだ。しかしそのために、ごく近しい知人(とグリルパルツァー亭の面々)にしか伝えてないはずのことが無断で。本人の許可なく。一方的につらつらと垂れ流されている。一体どこからこの情報が漏れたんだ?

 正直、金回りの情報を盛大に言いふらされるとめちゃくちゃ困る。いくらビッグケットという心強い護衛がいるとはいえ、今後は金欲しさに取り入ろうとする奴が必ず現れる。…困った、どうしよう。思わず壁に張り付いて記事を読んでいると、苦悶するサイモンの背後でコツリと靴音が響いた。

「どうですオルコットさん、私の巧みな文章!これであなた達も一躍売れっ子冒険者、私達も手数料マージンで大儲け!ウィンウィンで素晴らしい!」

 高らかに告げられる言葉。サイモンはこの声の持ち主を知らない…だが、こいつが何者であるかはすぐに理解できた。

「…んのッ……何勝手に言いふらしてんだよ!困るんだけど!?」

「まぁ〜〜なんて酷いことを。私は新米冒険者のお二人を応援したかっただけですのに!」

 振り向いた先に居たのは、慇懃無礼な態度とはやや不釣り合いに見える、とても地味な女性だった。濃茶の髪を真面目そうにおさげにまとめ、黒縁の眼鏡をかけて、ギルド職員の制服を着た人間ノーマン。彼女は端から見る分には善良そうな職員そのものだった。だが、言葉の端から滲み出る拝金主義の気配。サイモンから見た彼女は、自らの欲望のためなら他人の人生も踏み台にする、エゴ丸出しの薄気味悪い悪魔だった。

「…金の情報。一体どこから仕入れたんだ」

「あら、それはあなたのお友達から聞いたんですよ。オルコットさんはとてもお金を持ってるって」

「友達?誰だそれ?」

「昨日ここに居たじゃないですか。ギルドの宿屋を利用して下さった彼、そして彼女」

 ………エリックとジュリアナだ………。まぁ、二人はサイモンが金を持っていること自体は知っているが。

「じゃあ額は?…まさか、当てずっぽうだってのか」

「いいえ。そこは昨晩闘技場の方に五戦分のインタビューを敢行しました。最初のデビュー戦、ビッグケットさんにベットしたのはたった二人だったそうですね。オルコットさん、ビッグケットさんが強いの知ってたんでしょう?賭けないわけないですよね??」

「……………くそ、その通りだよ」

「そう!ですから『ああ、6億の持ち主の片方はきっとオルコットさんだ!』と思いまして!素晴らしい知略だと感動しましてそう書いたのです!」

 興奮した様子で両手を組む眼鏡職員の目に、曇りなど一切ない。…もしかして、こいつめちゃくちゃ単純でめちゃくちゃバカなのか?

「……うん、それで俺たちがどうなるか考えたか?」

「え?無名の新人冒険者から一躍スターダムへ!せこせこつまらないクエストで名前を覚えてもらうより早く、あなたたちの技量に合った難解なクエストが舞い込んできますよ!だって……」

 そこで職員は一旦言葉を切り、そしてにっっっこりと満面の笑みを浮かべた。

「オルコットさん、夢は『悲しむ人のいない世界を作ること』なんですもんね!お友達から聞きましたよ!素晴らしい目標です!!なのでシャングリラ冒険者ギルド職員一同、その夢をぜひ応援させていただきたい!そう思ってその広報を作ったのです!!」

 高らかに言い終わると、周りにいた冒険者たちから一斉に拍手が巻き起こった。注目されるのは苦手だ。サイモンが思わず赤面して視線を泳がせていると、そろそろ耐えかねたのだろう。ビッグケットが彼の袖を引いた。

『なぁ、みんなでなんの話してるんだ』

『「…そこの広報。俺たちのことがメチャクチャ派手に宣伝されてル。お前がオーガ相手にアッパーで勝ったこト、俺が客ごと騙して6億手に入れたこト」』

『で、この拍手は?』

『ココノ職員ガオレノ「夢」、頑張レッテ。ミンナモソウダッテ』

『ははぁなるほど』

 事の顛末を理解した黒猫がにやりと口角を上げる。くそ、これを職員に教えたのは絶対エリックだ。切羽詰まって仕方なくとはいえ、ビッグケットがピンチだったあの時…なんてことを言ってしまったんだ。これ、冒険者を続ける限り絶対一生言われるぞ。下手したらビッグケットの戦闘力に目をつけた政治的勢力からも声がかかる。俺は、俺は、そんなつもりでそう言ったわけじゃないんだ…!

 もっと気ままにのんびり、人助けがしたかっただけなのに!!

「オルコットさん、そちらのお話終わりました?」

 そこで職員が再び話しかけてくる。ずい、と両手を出してきた。

「そんなこんなで、早速クエストの依頼が山程来てますよね?あれでもいくつかの依頼を一羽の鳩にまとめて送ってるんですよ。なのに次から次へと指名が入るから、ギルドの鳩がすっからかんになってしまいました。早く中身を確認して返してくださいます?」

「ああ、わかった。今手紙を外すから待ってくれ」

 職員の言葉でやおら思い出す。そうだ、そもそもはここに鳩を返しに来たんだ。袋に詰め込んだ鳩は未だ元気に蠢いている。それをビッグケットと手分けして一つずつ取り出し、脚につけられた手紙を外していく。全部外したら、…全くいっそゲロを吐きそうだ。30件以上のクエスト依頼が昨日デビューしたての二人に舞い込んでいた。これを全部目通して出かけて解決する…忙しいなんてもんじゃないぞ。

『わぁ、すごいなぁ!これ全部私達への依頼だろ?やったなサイモン!』

『アア…ソウダナ…多分オ前ナラ楽々くりあ出来ル…ハズダケド………忙シイナ………』

『いいじゃないか、人助け出来るんだろ?やろう、二人で!目指せ争いのない世界!!』

『オ前マデソレヲ言ウナー!』

 ビッグケットは実にいい奴だが、その実サドっ気が強い。彼女が浮かべるのは一見明るい笑顔、だが、絶対からかう意図を含んでいる。サイモンが狼狽えるのが楽しくて仕方ないようだ。くそーー馬鹿にしやがって!!!

「あの、あんた話聞いたならエリックとジュリアナのこと知ってるんだよな。悪いけど二人がここを出る時、これ渡しといてくれ!頼んだ!俺はもう行く!!」

 無理。耐えられない。本当ならせっかくここに来たんだし、一言くらい挨拶がてら二人に会って金を渡すつもりだったが、もうここを出てしまおう。サイモンは眼鏡の職員に急いで金貨数枚を渡し、クエスト依頼の紙束と黒猫の腕を掴んで外に飛び出した。恥ずかしすぎる、もうここに居たくない!!

「頑張れよペテン師!」「俺たちの仕事なくさないでくれよなー!」

 そんな彼らに、他の冒険者たちの一斉に笑う声が飛んでくる。そして職員の声も。

「ちょっと待って下さい!また依頼増えてますよ!これも持っていって下さい!」

 するとサイモンの頭上に魔導鳩が舞い上がり、紙の束を降らせた。

 ばささ!

『きゃははは!雪みたいだ!』

 二人に舞い降る用紙はまるで大粒の雪の華。追加クエスト、およそ10件超を記した紙が風に乗って舞い飛んだ。

「ぐわーーっ待ってくれ!ビッグケット、全部集めろ!」

『なんだ、紙を集めるのか?任せろ!』

 サイモンがとっさに叫んだのは共通語だったが、そこはこれまで濃い数日を過ごした二人のこと。ビッグケットが俊敏に依頼書を集めまわり、やんやの歓声が起きる。冒険者ギルドの騒乱はまだしばらく続きそうだ。











『「ぐぅ………悪性トロル討伐、害獣駆除、放置ダンジョンの調査、盛り場のパトロールに悪戯ピクシーの捕獲………一個一個は小さいんだけド、こんだけわんさか来るとすごいナ」』

『…エリックとの合同クエスト、正直行ってる暇なくない?』

『ヤダァ、今日ハ休ムシエリックトノくえすとモ行ク!イツヤレッテ決マリハナイシ、ソモソモ受ケルカドウカ自体コッチノ自由ダ!』

『新人が偉そうに客を待たせていいのか?』

『………ソレヲ言ワレルト!辛イ!!!!』

 場所を移してシャングリラ東部、メインストリート沿いの出店街。二人はベンチに腰掛けて遅れた朝食を取っていたのだが、道行く亜人獣人のけっこうな人数が「お、闘技場チャンピオンだ」「シャングリラのペテン師だ」などと二人の噂話をしていた。こっちに聞こえてる!筒抜けだぞ!!

『イヤ、コウナッタラスグ終ワル軽イノカラ片付ケテ…イクツカヤッタラソノ日ハオシマイッテイウ定数制ニスルノハドウダロウ……』

『いいんじゃないか?これからずーっと冒険者だからな。働き詰めじゃ身体を壊す。大事なのはメリハリだ』

『クソ、仕方ナイ……ジャア今スグ出来ソウナノカラ何個カ片付ケルカ………』

 サイモンは冒険者こそ初挑戦だが、依頼を出す側なら何度かやったことがある。その知識によれば、確かクエストを受けるためにはギルドで受注処理をしなくてはならない。そして終わったら依頼者から確認の書類にサインをもらい、ギルドに提出。それを報酬の金銭と交換して任務完了となる。つまりこれからクエストを始めるなら、今ここでどれを受けるか考えて、その分の依頼書をギルドに提出しなければならない。

(はぁ……今日はちゃちゃっと終わるのにしよ……。ビッグケットを退屈させなくてさくっと終わるもの…トロル討伐とパトロールと害獣駆除辺りかな……)

 隣のビッグケットが嬉しそうにサンドイッチを頬張るのを後目に、サイモンは食事を取りつつ手早く書類に目を通していく。何度も行ったコボルトのサンドイッチスタンド。いつ食べてもここのサンドイッチは美味いが、こう気忙きぜわしいと味気なく感じてしまう。こうなれば午後こそのんびりしよう。早く終わらせなければ……。

 焦るあまり、無意識に書類以外の情報を遮断していたようだ。気がつくと目の前に誰か、しかも集団が立っていて、サイモンは慌てて視線を上げた。…全く知らない人間だ。若い男、そして後ろに3人の若い女性が立っている。男の頭にはきらりと光る装飾具。さらに長いマントを身に着けていて、これは恐らく冒険者だ。そういえば後ろの女性たちも一人は長剣を下げ、一人は宝石のついた杖を持っている。どうやら彼らは四人組のパーティーのようだ。

「なぁ、あんたサイモン・オルコットさん…だよな?ずっと探してたんだ」

「……そうだけど。俺に何か用か?」

 先頭に立つリーダーらしき男がこちらのフルネームと共に話しかけてきて、思わず身構えてしまう。見る限り冒険者としては身なりもしっかりしてるし、金銭を強奪しようとかそういうタイプには見えない。しかし絡まれる理由など……今朝見た広報くらいしか思い当たらない……一体なんだろう。

「ああ、そんなに怖い顔をしないでくれ。オレたちはあんたの依頼を受けた冒険者だよ。ほら、辞書を買ってほしいっていうクエスト」

「あっ!あれか!悪い、もしかして家にいないから探しに来てくれたのか!?」

 そうだ、そういえば。王都に行ってケットシー語から共通語を引ける辞書を買ってほしいって頼んでたんだ。彼らはそれをこなして、届けようとしたら家に居なかったからここまで来てくれたのか。慌てて頭を下げて手を出す。男は笑顔で荷物から本を一冊…言うまでもなく辞書を取り出した。正直こんな、分厚くて重い物を長々運ばせて悪かったな。しかしこのごちゃごちゃした街の中から人間一人、よく見つけられたもんだ。もしかして…

「アンタもギルドの広報を見たのか?よく俺を見つけられたな」

「ギルドの広報?いや知らないけど。オレたちは早馬で今朝ここに帰ってきたんだ」

「え、じゃあなんで俺をピンポイントで見つけられたんだ?名前はともかく、顔は知らなかっただろ」

「…いやそれが…それがあんたの言う『広報』の件なんだろうけど、依頼書に書かれてた家まで行ったら『あのサイモンに用があるのか』って知らない奴に話しかけられて。あんたなんか有名人なのか?」

 ………………家、バレてるんだ……………。まぁ、色々な情報が噛み合えばそこまでバレるんだろうな………。おお怖い。

「で、『そうだその人に会いたいんだ』って言ったら、魔法の絨毯で東部に向かったよって言われて。魔法の絨毯の情報を追いかけてたらここに着いたってわけだ」

 そう言って男がサイモンの傍らの絨毯を指差す。そう、ギルドから飛び出す時もちゃんと持ってきた。今後はこれもお宝だし、その辺にぼんと置くのはやめようと思っていたところだけど…今日はたまたま良い目印になったようだ。そこでリーダーらしき男は、興味深げにしげしげとサイモンを見た。

中央セントラル北部に住んでて魔法の絨毯を持ってるなんて、相当金持ちなんだと思ったらフツーの若い男で驚いたってのはあるけどな。…いや、服も上等だな?普段何やってるんだ?」

「いや……………もしこれからギルドに報告に帰るなら、そこでわかるんじゃないかな…」

「例の『ギルドの広報』か?…ん?あんたギルドの広報に載るような人なのか?……この身なりで、冒険者だって?」

「まぁ、昨日始めたばかりなんだ。だからよろしく先輩」

「は!!?中央セントラル北部に家持ってて冒険者!?正気か!?」

「え……ああ…………ごめん…………」

「もったいない…」「もったいない………」

 彼、そして彼女たちにとってそれはよほど衝撃的だったようだ。それまでぴしりと無言を貫いていた後ろの女性たちがついに口を開いた。

「貴族かと思ったら違うのか。なーんだ。ま、普通の貴族はこんなとこ住んでないけどね!!」

 胸元の開いた膝丈ワンピースに長いマント。ツバの大きな帽子を被った彼女は魔法使いだろうか。きらきら輝く宝石のついた杖が「強くて本物のプロ」であることを窺わせる。

「き、きっと憧れでそういう格好をしてるんじゃないかな…!私ももっと強い聖職者クレリックになれますようにって願掛けで帽子被ってるし!」

 こちらの女性は気持ち少女めいた雰囲気だ。武器は何も持ってない。その代わりやや大きい筒型の帽子を被り、ぴっちり足首まで覆うワンピース、そして首から十字架。本人の言葉通り聖職者クレリックなんだろう。

「イヴ、前から言おうと思ってたけど……その帽子、ホントは偉い人が被るミトラっていうものなんだよ。地方のこういうとこはいいけど、王都に出る時は脱ぎなよ」

 最後にやや大人びた低い声。女性3人の中では飛び抜けて背が高く、全身鎧を着込んで勇ましい雰囲気。腰から長い剣を下げている。この人は恐らく戦士ウォーリアーか何かだろう。

 そして、リーダーらしき眼の前の男も戦士ウォーリアー。上半身と腰回りまでを覆う簡易な鎧を身に着け剣を下げている。しっかし各々なかなかの綺麗どころだ。正直人のことは言えないけれど、一体どういう経緯で男一人女三人なんてパーティー組むことになったんだ…?羨ましい。

「いや、あの、別に貴族に憧れてこの格好なんじゃないけど……まぁ、色々あって。今日は朝からずっとそれ関連で街中まちじゅうの人から噂されてるんだ。恥ずかしいったらないよ」

 とにかく、話題はサイモンの服装についてである。少なくとも彼は貴族に憧れているわけじゃないし、ましてや貴族のコスプレをしたいわけでもない。早く誤解を解かねば…。慌てて手を振ると、戦士?の男が面白そうに目をみはる。

「へぇ、そいつは面白いな。新人ルーキーなのに街中まちじゅうの注目の的だって?帰ったら広報読も」 

「てか、冒険者ってことはバトルする担当がいるよね。お兄さんは違うんでしょ?こんなに細っこいし、さしずめダンアタ志望ってとこかな」

 横から口を挟んでくるのは魔法使いの女性だ。ダンアタ………あっ、迷宮踏破者ダンジョンアタッカーって奴か。やっぱそういう風に見えるんだな。

「バトル担当はこちらのお嬢さんかな?獣人だしスピードアタッカーならいけるでしょ。でもまぁ………そんなに話題になるようには見えないけどね………」

 最後に騎士めいた女性がコメントをくれる。ちらりと彼女が視線を送る先には、退屈そうに飲み物を飲むビッグケット。やっぱりそう見えるよな。細い男と獣人の女。いかに獣人の体捌きが俊敏だとしても、二人きりで仕事をするなんて心もとない。…だが、彼らがギルドに戻ったらびっくりするに違いない。現にほら。サイモンは山程の依頼書を抱えているのだから。

「いやぁ………まぁ、詳しくは広報を読んでくれ。俺たちはこれから仕事に行かなきゃいけないから、ごめんな」

「え、ルーキーのくせにもう仕事?ナマイキ!あたしたちがデビューしたての頃は、仕事もらうの超大変だったのに!」

「まーまーチェル。こんだけ自信満々に有名人だって豪語するんだ。もしかしたらどっかからふらっと現れた王族の隠し子とかかもしんないぞ?すごい魔法の使い手かもよ?」

 それはない。男と魔法使いの女が話すのに内心ツッコミを入れたが。チェルと呼ばれた魔法使いはキリリとした顔立ちながら、案外単純な奴なのかもしれない。ハッ…!と顔を強張らせ、さも重大なことかのように呟いてみせた。

「…そうかもしれない…!!だって民間出身の魔法使いって大概“都落ち貴族”の子孫とか王族の外遊びで出来た子供だもんね!実は…やんごとなき身分の方……!!」

「ねぇわ。俺普通に王都近くで生まれたヒラ兵士の息子だわ」

「「えっ、違うの!?」」

 喜劇コントかよ。二人は息ぴったりに驚愕の声を上げ、目を丸くしている。まったく付き合いきれない。そろそろ本当に行こう。

「悪いけど、俺は魔法とか一切使えない凡人だ。その代わり、一応 符術師カードソーサラーを目指してる。んでこっちのこいつは資格こそないけど、見た目からじゃ想像つかないくらい馬鹿強い格闘家ファイター。戦力が心配なら、普通に敵なしだから安心してくれ。…じゃ、そろそろ行くからまた。いつかどこかで会ったらよろしくな」

 サンドイッチも食べたし仕事の目星もつけた。そろそろクエストを受注してこよう。立ち上がりちらりとビッグケットを見れば、やれやれやっとか…という表情である。まぁあとで全部教えてやろう。散々見くびられたんだ、これからこいつらが驚く顔を想像する楽しみをこいつにも分けてやらなきゃな。

 すると男はしばしサイモンを眺め、やがてにこりと微笑んだ。

「じゃあ、これからオレたちはライバルだな。オレはアラン。魔法使いソーサラーがチェルシー。聖職者クレリックがイヴァンジェリン。そんで騎士ナイトがユリア。今度会う時は敵じゃないといいな」

「…敵?」

「何かの抗争で助っ人に冒険者を雇うってパターンはザラだから。そういう時、敵味方に分かれないといいな」

「うわエグ………」

 なるほどそういう仕事もあるのか。正直対人…一般人相手は嫌だな…。ったられたと禍根が残りそうだ。つらつら考えていると、男もといアランが報告書をぴらりと出してくる。

「じゃあサイン。これによろしく」

「ああわかった」

 そこで続けて出された魔導マギカペン…恐らくこれが民間に最も普及しているマジックアイテムだ…を受け取り、ベンチで名前を書き込む。って…

「そういやお前ら、これが終わったらギルドに行くのか?俺らもクエスト受注するし、一緒に行く?」

「おー、いいな。道すがらあんたらの噂の元とやらを教えてくれよ」

「ああそれは…」

 内緒だよ、面白そうだから。報告書を渡しながらそう言おうとして、はたとビッグケットの不自然な様子に気づく。不機嫌そうにキョロキョロしているのはどうしてだろう?話に入れなくて退屈だ、というのとは少し違うようだ。

『……サイモン、誰かがずっとこっち見てる。気持ち悪いから見つけて殴っていいか?』

『相変ワラズ雑ダナ。駄目ダッテバソウイウノハ』

『だって…ずっとだぞ、ずっと。しかも敵意に似た空気。私あんまり気持ち悪いから、さっきから立ち上がりたいんだ』

『……ソンナニ?』

 …敵意を持ってこちらを見ている何者か。なんだろう、さすがにそれは不穏としか言えない。仕方ない、アランたちとは一旦ここで別れるか。

「悪い、予定が変わった。なんか相棒が気になることがあるって。それを片付けてから行くから、お前らは先に行って広報でも読んでてくれ」

「ふぅん?まぁいいや、オレらの用は報告だけだし。またどっかで会ったらよろしくな」

「ああ」

 そこでようやく解散となった。アラン他女性陣がぞろぞろとギルドの方に歩いていく。それを見送り、改めてビッグケットに向き直る。黒猫はもはや闘気を隠そうともしていない。眉間にしわを寄せ、険しい顔で一点を睨んでいる。

『……出てこいよ、そこに居るんだろ』

「そこに誰か居るのか?って、路地の隙間かよ」

 数多の亜人獣人が行き交うメインストリート。それを突っ切った奥、ひっそりと闇が横たわる建物の隙間。マトモな人間が入れる隙間だとは思えないが、ビッグケットは確かにそこを睨んでいる。そして果たして。

「…お姉さん、元気そうだね。良かった良かった」

「……あの時のガキ!!」

 隙間からするりと現れたのは、いつかの闘技場で…そう、サイクロプス戦のあと現れた謎の子供だった。ぽこんとしたキャスケット帽、同じく丸いシルエットのハーフパンツ。膝小僧が眩しい人間ノーマンの子供。あの時はそう思ったのだが。

『コイツ、さいくろぷす戦デ怪我シタオ前ヲ助ケヨウトジイチャン紹介シテクレタ奴ダゾ。コイツカラ敵意ナンテ……ナイダロ』

『いや、確かにさっきは出てた。でも今はない。隠してる。こいつなんか怪しいぞ』

『……馬鹿ナ、タダノ人間ノーマンノ子供ダロウニ』

 そこまで言って自分で気づく。ここはどこだ?人間ノーマン。つまり…

「ガキ、じゃなくて。オイラにはジャックっていうかっこいい名前があるんだ。せっかくだからそっちで呼んでくれると嬉しいな」

「へぇ。『人間ノーマン風の名前がついてる』んだな、お前。それとも偽名か?」

人間ノーマン風?偽名??なんのことだろ、もしかして…人間ノーマンの子供がこんなとこいるの珍しい?大丈夫、オイラ昔父ちゃんと冒険者やってたから。亜人も獣人も怖くないよ」

「へぇ、元冒険者ねぇ。てことはドニじいさんはその時の仲間かな」

「そうそう。じいちゃん変な奴だったろ!腕は確かなんだけどさぁ、回復するたびくんくんしてくるから大変だったよ!」

 あはは、と快活に笑う子供。明るい空色の瞳がきらきらと光を跳ね返し、ジャックの印象をなお幼く感じさせる。短く刈られ、帽子の端から少しだけ覗く髪はブロンズ。黄味を帯びた明るめの茶色ってとこか。これだけ見るなら、本当に一般的な人間ノーマン庶民の色合いなのだが。

 ビッグケットに言われた「敵意」で気づいた。こいつの耳には、それなりの遠目でもわかるくらいの「穴」が開いている。以前会った時は暗がりだったし、帽子の印象が強くて耳なんて気にも止めなかった。けれど今ならハッキリ言える。

 こいつは人間ノーマンの子供のふりをしたハーフリングの大人だ…!

 このしたたかさを見るに、成人したての14歳とかではないだろう。恐らくサイモンたちより年上。下手したらハーフリングの中年かもしれない。そうなると25以上…なんなら30歳だ。そんな奴が何の用だ?…金目当てに決まっている!

「なぁ、その耳。穴開いてるけどどうした?本当ならつけるべき物があるんじゃねーの?あれって自分で取れる物なんだな、知らなかったよ」

「あーこの穴?ピアスつけてみたくて。かっこいーだろ」

「普通ピアスったら耳たぶにつけるもんだろ。なんでわざわざ上の方に開けたんだ」

「別に意味なんてないよ。ここに魔法のピアスとかがキラキラしてたらかっこいいなって思って」

「じゃあその肝心のピアスはどうした?」

「父ちゃんが子供にそんな高価なもんやるかって。ちぇー、欲しかったのになぁ」

 極力考える暇を与えないよう、矢継ぎ早に質問をぶつける。しかしジャックは淀みなくすらすらと返答してきた。この辺のシナリオは考えてきたってことか。なら…

「今日はその父ちゃんはどうした?仕事か?」

「うん、父ちゃん国軍兵士だから!つまんないからオイラいつもノーマンエリアから出て、この辺でぷらぷらしてるんだぁ」

「……言ったな。お前、ノーマンエリアに住んでる兵士の息子なんだな」

「ああそうだよ。だって人間ノーマンはみんなあそこに住んでるだろ。はぐれ者の負け犬ならともかく」

 くすり。ジャックが小さく笑った気がした。…こいつ、俺のことを馬鹿にしてやがるな。兵士じゃないのにこの街にいるこの俺のことを。

「…悪いけど、俺本物の人間ノーマンだから、外門の衛兵とも仲いいんだ。聞いてみちゃおっかなぁ〜〜、あの中にジャックなんて子供が住んでるかどうか」

「は?聞いてもいいけど普通覚えてなくない?あそこに何人 人間ノーマンが住んでると思ってんの」

「バァーカ、外門の衛兵なめんなよ。あいつの頭には4桁を超える人間ノーマンの情報が入ってる。聞けばすぐにわかるっての」

「…!!」

 嘘でも誇張でもない。散々世話になった衛兵のリンダ。彼女は体格や腕っぷしのみであそこにいるわけではない。その頭には実に数千人を越える人間ノーマンの顔と名前の情報データが叩き込まれている。よって、それ以外の人間が通るとすぐ感知されるってわけ。そんな情報、一度もあそこを通ったことないこいつは知りもしないだろう。

「えー、でもオイラたち最近移り住んだばっかだから。覚えてくれてるかなぁ」

「お前さっき『いつもこの辺で遊んでる』って言ってたろ。しらばっくれてんじゃねーぞ」

「え、言ってないよ?まぁまぁここに来るとは言ったけど、いつもなんて。お兄さん、若いのに記憶違いじゃないの?」

(こいつ…!!)

 くりくりと山なりの目を瞬かせ、人懐っこく笑みを浮かべるジャック。それはあまりに大胆で、まるで息をするように、信じられない大嘘をついてくる。この場にはこいつの言葉を正確に記録する媒体などない。それを逆手に取って、都合の悪いことは全部そちらの記憶違い。でゴリ押しする気だ。

 なんて無邪気な笑みなんだろう。こいつの貼り付けたように完璧な表情を見ていると、怖気おぞけがしてくる。何がシャングリラのペテン師だ…その称号、そっくりこいつにくれてやる!

『ビッグケット、ゴメン遅クナッタ。コイツ多分はーふりんぐノ大人ダ。多分アノ時モウ俺タチガ金持ッテルコト知ッテタンダ』

 拉致があかないので、一旦ビッグケットに中間報告をする。黒猫は耳を震わせた。

『…金目的ってこと?じゃあ、なんで私を助けたんだ?金が目的なら、私は死んでた方が都合よくないか?』

『デンドウイリスルノヲ待ッテ、全額奪ウ気ダッタトカ』

『随分リスキーだな。いくら子供のふりしたって、そう上手く行くもんか』

『……ソウダナ……』

 それはその通り。今のところこれといった動機が…金絡み。ということ以外わからない。こいつの目的はなんだ?

「…なぁジャック、この際お前が誰で何かなんてどうでもいいや。ぶっちゃけ、なんでビッグケットを助けたんだ?俺たちをつけ回して何がしたいんだ?」

「ええ〜〜、それ聞いちゃう???えー、恥ずかしいなぁーーー」

「うっせ、気色悪いからくねくねすんな」

 これが仮に本当に人間ノーマンの子供だとしてもむかつく動きだ。ジャックは唇を尖らせ、組んだ両手を波のように揺らした。やがてぴたりと止まり、サイモンに向き直る。その目はイタズラっ子のようにキラキラしている。

「オイラ、この街を出たいんだ!父ちゃんに付き合うのもこんなつまんない街で暮らすのももう飽き飽きだから!聞いたよサイモンさん、アンタ冒険者になったんだろ」

「………本当に色んなとこに情報が行ってるんだな………」

「ああ、6億抱えてわざわざ冒険者に転職する、キチガイクソ野郎ってみんなで噂してるよ!」

「………おい、その『みんな』って誰だ?ビッグケットにボコってもらおうかな??」

 思わず青筋を立てながら笑ってしまったが。ジャックは全く怯まない。サイモンとビッグケット、二人を見据えて得意げに指を指してくる。

「なぁ、オイラを3人目の仲間にしないか?冒険者になって、遠くない未来ここから出るって聞いたぞ。だからここを出る時でいい、その旅に連れてってくれ」

「はぁ!!??」

「さっき言った通りオイラは元冒険者だ。子供だからってなめんなよ、薬草や森の危険生物、野宿の知識もあるし、ヤブのガイドよりずっと正確に他の街まで案内出来る。そう、何故ならオイラは迷宮踏破者ダンジョンアタッカーC級だから!絶対役に立ってみせる!!」

「な、な、な……!!!何言ってんだお前!!!」

 とんでもない!こっちの財産を狙ってるかもしんない奴を懐に入れられるわけがないだろ!!!

『ビッグケット?コイツ俺タチガ旅ニ出ル時一緒ニツイテイキタイ、仲間ニシテクレッテ言ッテルゾ』

『あぁ!?すごい度胸だな!人間ノーマンの子供ってずっと言い張ってんのか?』

『アア。デモ元冒険者ダ、迷宮踏破者ダンジョンアタッカーノ資格持ッテルカラ絶対役ニ立ツッテ』

 そこまで言うと、ビッグケットは金の瞳をぱちぱちと瞬かせた。とてもとても無邪気な顔をしている。

『……それはいいな?わざわざ雇わなくても勝手に着いてきてくれるんだろ?』

『ハ!?ソンナ馬鹿ナ………アッ?』

 まさかだけど、そんなんありだろうか。だとしたら。

「……一応聞くけど、その場合の給料ってどうなるんだ?パーティーメンバーを雇うのって一々金がかかるんだろ。もしそれが無料タダなら……考えないでもないなぁ???」

 どうせあっちは金欲しさで言ってるんだ。諦めてもタダで了承してもどっちも美味しい。するとどうだろう。ジャックはしばし真顔で思案した後、またしてもにっこり笑った。

「んーじゃあ、生活費と消費アイテム代のみ別個払い、その他はお小遣いくらいでいいよ。それくらいなら無料タダじゃなくてもかなりそっちが美味しいんじゃなぁい?」

「…というと?」

「宿代服代、消費アイテムエトセトラの必要経費は最低限そっちが払ってほしい。あとはひと月銅貨5枚。こんなんでどぉ?」

「…………最低限プラス銅貨5枚………??」

「そ!どうせ一緒に行動するならその分お金がいるし、アイテム代だって一緒。冒険するなら絶対必要だよ。だからそれはオイラがいるいないにそこまで関わらない」

「なるほど」

「で、あと月に銅貨5枚。こんだけでいいんだよ。なんならオイラたちが昔使ってた馬車と馬車馬つけるよ?父ちゃん、ここに来る時それに乗ってきたんだ。まだまだ元気いっぱいで修羅場慣れもしてるから、いざって時勇敢に走ってくれる。いい奴らだよ」

「マジか。やばいなそれ」

 途端に、微笑むジャックの背後に清らかな後光が差して見えた。いっそ金目的でもなんでもいい、使えるものはなんでも使いたい。そんな気分だ。

『…ビッグケット、コイツ馬車ト馬モアルカラ使エッテ言ッテル……ナンカ条件良スギテ怖イゾ??ドウスル???』

『ふーーん、いいんじゃないか。どのみち私が本気出しゃこんなチビ秒で殺せる。もしこいつがハーフリングで私のことを知ってたなら、おいそれと手出してこないだろ。そんで普通に人間ノーマンならこき使ってやろう』

『………ソレハヤメテヤレ………』

 なんか物騒な事言ってる猫がいますけど。よし、決めた。またしても素っ頓狂な成り行きだけど、こいつと組んでやろうじゃないか。とりあえずはまだ旅に出ない。その時が来たら声をかけろってさっき言ってたな。

「なぁ。じゃあいいぞ、機が熟したから一緒に行こう。ってなったらどこに連絡入れればいいんだ」

「お、その気になった?やったあ!じゃあその時が来たら、冒険者ギルドから鳩を飛ばしてよ。オイラの籍、今でも有効だと思うから」

「え、冒険者登録?よそでしたのがここでも有効なのか?」

「ああそうだよ。正確には街を移動したらその都度拠点になる場所を申請するんだ。そしたらそこに鳩が届くんだ〜。しょっちゅう移動する冒険者だからな、そっちのが効率的だろ」

「確かに……」

 そこまで話すと、ジャックはぴょこんと身体の向きを変えた。用は済んだということだろうか。

「ありがと、サイモンさんにお姉さん…ビッグケットさん。これでよーやっと糞親父と離れられるよ」

「あっ!?そういや父親っ……いや、俺は架空の存在だと思ってるけど……どうすんだよ!?つーか母親はいない設定かよ、いや……万が一の確率だけど、俺誘拐犯になりたくないぞ!?」

「だいじょーぶだいじょーぶ。賭場に子どもを連れ回すようなクソ野郎だ。母ちゃんもとっくに愛想尽かして逃げ出した。だからオイラも……あいつを捨てるんだ。誰にも怒られやしないよ」

「それ、は………」

 なぜだろう、ジャックのその表情かおは一瞬だが演技に見えなかった。やや俯き、寂しそうに無理やり口元だけ笑もうとする姿。あるいはそれは…なんらかの真実なんだろうか。サイモンには解りかねたが。

「じゃ、また今度な!絶対だよ、絶対連れてってくれよ!二頭立て馬車と馬2頭、引退してなんぼも経ってない迷宮踏破者ダンジョンアタッカーがつくんだからな、忘れるなよ!!」

「はいはい…じゃあそん時にな」

 ジャックはサイモンの返答を聞くと満面の笑みでぶんぶんと手を振り、そして路地の隙間に消えた。あっ、と言う間もない。慌てて路地を覗き込んだが、まるであいつの存在が風か何かだったかのように本当に「消えて」しまった。遅れてビッグケットも裏路地の暗がりを覗き込む。

『なんだ、あいつ消えたぞ。ピクシーに化かされたか??』

『イヤ…モシあいつガはーふりんぐナラ。ナンナラ元 盗賊シーフナンダロウ。弱イはーふりんぐハ支援職二回リガチッテ聞イタコトアル』

『…エリックとジュリアナならあいつのこと知ってるかな?』

『サァナ。活動地域モ職業モ違ッタラワカラナイカモ』

『…まいっか。いざとなったら殺そう』

『イヤダカラ。モウチョット優シクシテ』

 そこまで話すと、ビッグケットは怪しいハーフリング(仮定)のことなどどうでも良くなったようだ。尻尾の先を小刻みに揺らしている。

『じゃ、このあとは初仕事に行くんだろ?何をするんだ??』

『ア、アア……ジャアとろる退治ト見回リト畑ヲ荒ラス動物ヲ殺スノカナ……』

『いよーっし、働くぞ〜!!』

『!ソウダナ、初仕事ダ!行コウ!』

 そして結局、サイモンの頭からも謎の少年(に見える人物)のことは消えてしまった。そう、まだしばらく二人の暮らしが続く。その間だけは。

 ビッグケットが軽やかに走り出すので、サイモンは慌てて地面に魔法の絨毯を広げた。通行人が面白そうな顔で見てくるが、そろそろこれにも慣れてきた。そもそも魔法の絨毯は目立つからな。急いで座り、数言指示を出してビッグケットを追いかける。珍しいことだが、片やメインストリートをビュンビュン走り、片や通行人の頭上という形でほぼ並走している。ふと疑問が浮かんだので口に出してみた。

『…コレ、オ前ト競争シタラドッチガ速イノカナ』

『よーし勝負だ!』

『ワ、チョ!?待テッビッグケット…!!』

 言うや否や、黒猫は加速して人混みに消えてしまった。くそ、早くせねば!サイモンも慌てて速度を上げた。やがて2人の姿は完全に見えなくなる。「わぁ、今のが『サイモンと猫』か!」という誰かのつぶやきを残して。





 なお…………

 ビッグケットが最初に感じた「敵意」。そして「引退して間もない冒険者」という言葉の真相を知るのは、まだしばらく先の出来事である。





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負け犬REVOLUTION 葦空 翼 @isora1021

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