6-7 モーニング珈琲と恋人の香り

   ***

 

 早朝、地平線がうっすらと明るくなり始めた頃にモーリスは重たい瞼を上げた。ぼんやりとしながら、少し視線を落とせば、毛布にくるまったサリーの寝顔がそこにある。

 顔半分のところまで引き上げている毛布を、そっとずらすと、身じろいだサリーは嫌そうに毛布を引き上げた。そんな小さな仕草まで愛らしく見え、今まで感じたことのない幸福感が全身を巡っていく。

 虚しさも、孤独もない朝はいつぶりだろうか。そんなことを思いながら、ふと置時計に目を向けた。

 まだ起きるには少し早そうだ。


 他愛もないことをちらり考えながら飽きもせずに愛しい寝顔を眺め、長いピンクブロンドの髪を撫でてみる。

 柔らかい髪が指に触れるのは心地よく、いくらでもそうして時間をつぶすことが出来そうだった。

 ふと、昨夜の会話を思い出したモーリスは、込み上げた気恥ずかしさに口元を緩めた。


『それじゃぁ、一緒に珈琲、飲むか?』

『こんな夜中に?』

『夜中が嫌なら、モーニング珈琲でも良いけど?』


 軽い誘い文句のつもりだったが、結果、モーニング珈琲を迎えることになるわけだ。


(こんな朝も、悪くないな)


 むしろ大歓迎で、なんなら毎朝サリーの為に珈琲を入れるくらいわけもないとさえ思える。大概、モーリスの脳内はサリー一色のようだが、それは今に始まったことではない。黒須やジンがこの様子を見たら「だからサリー一筋だってフラれんだろ?」と大口で笑われるだろう。

 そんなことは考えもついていないだろうモーリスは、しばらく、幸せそうにサリーの寝顔を堪能していた。

 

 ふと、暗いミニキッチンに視線を投げたモーリスは、いつもと違うだろう朝の一杯を想像した。

 毎日飲む一杯は、どこにでもあるインスタント珈琲だ。簡素なテーブルに置かれる一つのカップも、何一つ特別なものではない。だが、今日はそのカップも二つ並ぶのだ。

 それが特別なものに感じられ、ますますその頬は緩んでいった。

 口元を手で覆ったモーリスは、ともすれば声を出して笑い出してしまいそうな気分をぐっと堪えた。

 サリーを起こさないように、静かにベッドを抜ける。床に脱ぎ散らかした下着と服を身につけ、朝日が少し差し込み始めた部屋の中、音を立てないように進んだ。

 ミニキッチンの前に立ち、いつものように水を満たしたケトルを火にかけ、インスタント珈琲の瓶に手を伸ばした。だが、それは空っぽだった。


(あー、そういや切らしてたな)


 すっかり忘れていたことを思い出したモーリスは、ふと気付く。

 昨夜、ドリップ珈琲を飲むこともなく、あの魔樹ローパーの匂いを気にせず過ごしたことに。


 すんっと鼻を鳴らしても、その匂いは残っていない。残っているとすれば、サリーの髪から漂ってきた、自分のとは異なるシャンプーと甘い香油の香り。

 後ろを振り返ったモーリスは、部屋の隅にあるベッドで眠る後ろ姿に視線を投げた。


(俺も、単純だな)


 若干、単純すぎる自身に呆れるも、つい数時間前の情事を思い出すと幸せが込み上げてくる。

 今すぐベッドに戻ってサリーに口付けたい衝動が首をもたげた。

 それを胃の奥に押し込め、深く息を吐いたモーリスは、豆とドリッパー、そして二つのカップを用意しながら、自身にと何度も言い聞かせた。


 ややあって、部屋にこうばしく甘い珈琲の香りが漂うと、ベッドの上でサリーが寝返りを打った。

 小さな台に湯気をくゆらせるカップが二つ並んだ。

 ベッドの縁に腰を下ろしたモーリスは毛布に指をかけ、それをそっと下ろす。

 愛しい瞳がゆっくりと光を称えた。


「おはよう」


 慈しみを込めて囁けば、毛布の下にある白い肩が揺れた。出てくる気はなさそうだ。

 照れているのだろうかと思うと、愛しさがさらに募る。


「珈琲、飲むだろ。それとも、もう少し寝るか?」

「……おはよ。珈琲ちょうだい」


 毛布から顔を覗かせたサリーは、まだ少し眠そうな顔でちょっと考える素振りを見せたが、ゆっくりと上半身を起こした。

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