4-10 末端の軍人も国の行く末を憂いることがある

 ティールームでの染野慎士とレネ・リヴァースの距離感は、すぐにでも男女の仲になりそうなものだった。あれを商談とごり押しするなら、彼女は女の武器とやらもいとわず使い、のし上がってきたしたたかな人物なのだと想像がつく。


「二人の間に商談があったか……その裏は取れなかったわ」

「さすがに尻尾は出さないか。まぁ、掴んだとして、商談から引っ張れるとも思えないが」

「あたしも、そう思う」


 カップに珈琲を注ぎ入れたモーリスは部屋にある簡素なテーブルを指さす。

 長い話になるだろうから座って話そうと提案すれば、サリーも椅子に腰を下ろしてカップを受け取った。すぐさま口をつけ、甘く冷えた口腔を温めると、情報端末を取り出した。

 画面に映し出されたのは、男二人の身分証だ。


は、レネ・リヴァースのの身内としてシーバートからアサゴに入ってる。三年前にね」

「こいつらの関係は?」

「背の高い金髪が兄のチャドで、背の低い方が弟のケリー」

「兄弟? 似ても似つかないな……身分証は偽造か」

「別に驚きもしないわ。どこの国にも諜報部があるし、うちだってそうしてるわ」

「お互い様とは言え、気づかないうちの審査もザルだな」

「今は、そんなことどうでも良いわ」

「確かに。そっちは俺らの守備範囲外だしな」


 はんっと鼻で笑ったモーリスはカップを口元に近づけると、その香りを吸い込んだ。

 深い渋みと芳ばしいナッツのような香りが鼻腔を洗うようにして入り込み、肺に染み渡る。数分前まで染み付いていた泥臭い森の香りを消すように、じわりじわりと珈琲の芳香ほうこうが広がっていった。


「千年前は、国を失い命を繋ぐに必死だったってのは、神話か何かか?」

「何よ、急に」

「……聖痕を持つ獣サケル・ベスティアを討つことを視野に入れたら、他国と小競り合いなんてしてる余裕はない。なのに、ちょっと国が維持できてるからって小競り合いを始める奴らがいる。国が危機を迎えないかぎり、大人しくならんのかって話だ」


 彼の様子をじっと見たサリーは小さくため息をついた。


「ひと昔前の混乱が戻ればいいとでも言うの? 軍人失格」

「そうじゃねぇよ」

「国が大きくなれば、それだけお金も動くし、を知った人間は貪欲になるものよ。それをどうこうする力は、あたし達にはないわ」

所詮しょせん、俺達は足掻くしか能のない末端か」

「そう。あたし達軍人は、国の手足となり生きるしかないの。非戦闘員の安全のためにね」

「──分かってるって。結局、シーバートが何を画策しようが、止めりゃ良いだけってのもな」

「まぁ、あんたの言いたいことも分からない訳じゃないのよ。ただ、それは今、論じることでもないわ」


 論じたところで、他国の動きを一介の軍人が変えることなど不可能だ。結局、いかに早く侵入に気付き、侵攻なり工作を防ぐかなのだ。

 脅威となる魔獣に抵抗するため協力を謳った時代を懐かしんでうらやむ暇がないほど、腹の探り合いが繰り広げられている。規模の小さな国々ですら、築いている共闘体制は表向きの話だ。


「腹の探り合いは、いつまで続くんだか」

「少なくとも、あたし達はそうして生きていくのよ」

「そうなるな……人口の少ないシーバートとすれば、豊かなアサゴは狙い目なのかもな」

 

 珈琲を啜りながら、端末の画面を操作したモーリスは次に出てきたレネ・リヴァースの身分証をじっと見た。


「この二十年は、大人しかったのにね」

「──イサゴの悲劇か」


 視線を上げると、顔をしかめたサリーと目があった。

 二人の脳裏に浮かんだのは、幼い時に起きたシーバートの急襲だ。

 一晩にして港町イサゴは壊滅。一般人は地下の避難所に逃れたが、イサゴ基地所属の若い軍人から多数行方不明者が出た。シーバートにさらわれたのだとか、海から現れた水棲人マンフォークに海中へと引き込まれたのだとか、実しやかに噂されたが、それらを裏付ける証拠が出てくることはなかった。

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