5-4 民間人の避難誘導、及び市街地訓練を定刻通りに開始する

 比企は深く息を吸うと、内ポケットの中からピルケースを取り出した。蓋を開け、音を鳴らして手に落としたのはカラフルなラムネ菓子だ。それをぼりぼり食べると、資料に目を通して唖然する面々を眺めていた。


 顔を青ざめさせる者、ため息をこぼす者と反応は様々だったが、そのほとんどが緊張をあらわにしていた。

 その中、窓辺で端末を確認していたモーリスは、肘でサリーの腕を小突いた。


「同時期にこれだけ発生するってのは聞いたことないな。しばらく、アサゴは手薄になるぞ」


 声をひそめたモーリスにサリーも頷く。その直後、比企が再び口を開いた。


「現在、アサゴ周辺だけでなく遠方でも異変の報告が多発している。東部、北部からの要請も重なった。各地に精鋭を派遣し、対処することになる」


 教官室が一瞬ざわめくが、比企がピルケースを振ると、しんと静まり返った。


「対象に赤の森も含まれるため、当面の実地訓練は中止となる。その代わり、アサゴ市街地、及び近郊の警邏実地訓練を前倒しする」


 比企の説明を聞きながら、モーリスはアサゴ内に残る軍人の数をざっと計算して息を飲んだ。

 人数だけを考えれば旅団程度の数にはなるが、前線から離れて日が長い者もいれば、魔装の扱えない一介の軍人も多い。


 後詰めになる隊のリストを見て背中に冷たいものを感じたのは、サリーも同じなのだろう。彼も紅い唇をきつく結んで比企に視線を送っていた。戦いになるのか、敵は何なのか、と。

 教官の一人が、挙手をして疑問を投げ掛けた。


「比企中佐、これは市街戦を想定しての配置ですか?」

「当然、考慮されている」


 その回答に、再び小さなざわめきが上がった。


「俺も二十年以上軍人やってるが、こんなことは初めてだ。魔精強化壁パリエースの発動許可も下りている。が来たら、遠慮せず戦ってくれ。まず、民間人の避難に当たる隊編成は──」


 比企の説明が続く中、モーリスは口元を指でさすりながら考えを巡らせていた。

 魔精強化壁パリエースはアサゴを囲む壁だけでなく、市街地の建物全てに発動が可能だ。それを使えば被害は最小限に抑えられるだろう。しかし、その発動にはいくつか不安要素がある。


 まず多くの魔精石を使うことだ。基地に保管されているものには、当然だが限りがある。その消耗は民間で使われる照明や機器を動かす比ではない。備蓄状況によっては、アサゴの街中に使われるエネルギーを全て魔精強化壁パリエースに回さなければ足らなくなるだろう。

 さらに、発動すると多くの魔装使いが装置にかかりきりとなることが、容易に想像できた。


(出来れば使いたくない手のはず……それに、基地の人員、ギリギリじゃないか?)


 事前に民間人を避難させるのに、一介の兵卒、それを援護するのに候補生を使うことになるだろう。とは言え、使用許可が下りる魔装は訓練用のものだ。


 実際、襲撃が起きればどの程度通用するか。近郊の農村はどうなっているのか。考え出せば不安要素が次々に首をもたげた。

 モーリスが低く唸ると、サリーは彼の脇腹を小突いた。


「シーバートが意図的に基地の人員を減らしている可能性は?」

「──ありうるな。狙いは何だと思う?」

「さぁ……手っ取り早く、慎士を摑まえて吐かせた方が良さそうね」

「魔物は来ると思うか?」

「来たとしても、魔精強化壁パリエースが使えるなら、多少手荒くいけるわ」


 声を潜めて話していた二人は、そろってため息をつく。

 比企の説明が一通り済むと、教官室のざわめきが大きくなった。

 どうやら担当する候補生にだいぶが見られることで、いくらかの不満が出ているようだ。

 モーリスとサリーはお互いの担当を見て顔をしかめた。それを見て、ジンが声をかけてきた。


「なぁ、お前らもだろ?」

「──ジンもか」

「どういう事かしら。少将ちゃんもよ」


 そう小声で話していると、痛いほどの視線が三人に向けられた。しかし、その視線は比企のよく通る声で、彼に再び戻されることとなった。


「モーリス、サリー、それとジン! お前たちには、翁川中尉と共に大型装甲獣アルマ・ビーストで出てもらう。魔物の確認が取れ次第、各個撃破に向かってほしい」


 突然の指令に、一瞬言葉を詰まらせた三人だったが、綾乃が「よろしくお願いします」と静かに告げると、声を揃えて了解の意思を告げた。


「次に、印のついている六分隊。お前達にはリストにある候補生にバディを組ませ、狙撃地点で待機を命じる。まだ不慣れな候補生たちの地上戦はなるべく避けるように。魔物の侵入を確認した際は、その進行の阻害に尽力せよ」


 作戦の詳細を始めた比企は、それから淡々と話を進めた。

 しばらく静まりかえった教官室に、心地よいバリトンボイスが響いた。

 あらかた説明が終わると、教官達がざわめき出した。

 お互いの任務の確認をする者や、不安を口にする者もいた。前線を離れて久しい者も少なくない。それを考えると、彼らの反応は致し方ないのかもしれない。


 カシャカシャと音を立てたピルケースから、色とりどりのラムネが転げ落ち、比企の口へと放り込まれる。ボリボリと音を響かせながらそれを噛み砕き、比企は教官達が再び静まるのを待った。


「繰り返すが、市街戦を想定している。候補生たちには訓練だと伝える。しかし、それは建前だ。お前たちは、実戦に突入することを念頭に置いて、行動するように」


 しんと静まる中、比企は静かに告げた。


「民間人の避難誘導、及び市街地訓練を定刻通りに開始する」

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