4-12 思い出に浸っている暇はない
沈黙が、穏やかな空気に変わっていく。その中で黙々と手を動かしていたモーリスは、ふと手を止めた。
「お前の命を繋ぐため、
薄く笑みを浮かべ、低い声が告げる。
その言葉に少し目を丸めたサリーが微笑みを返し、懐かしいわねと呟く。それにモーリスも相槌を打った。
「あたし達の教官の残した言葉ね」
「ロマンチストだったよな、あの人」
「モーリス、最近のあんた……
「そうか? 俺は、魔物の腹の中で死ぬつもりはないけど」
「教官も
「──俺のこと、心配してくれてんの?」
不愉快だと言わんばかりに、サリーの綺麗な顔が冷ややかな表情を浮かべる。そんな冷めた対応にもすっかり慣れたもので、特に気にもせず、手を動かし続けた。
「死ぬならお前の膝の上って決めてるから、安心しろ」
「だから、何人の女をそうやって口説いてるのよ」
「大概、お前もしつこいな」
いつもと変わらないやり取りを笑い飛ばしたモーリスだったが、ふと今回の赤の森で起きた一件を脳裏によぎらせ、手を止めた。思い返せば、蒼の森での撤退騒動も違和感があった。
「いやな……囮と言えば、この前の青の森で
「赤の森も?」
「まぁ、体感でしかないんだが花付きの魔樹がやけに多かった。中央近くにまで入った班が遭遇している」
「ちょっと、魔樹の注意事項はちゃんと伝えたんでしょうね?」
「当然だろう。座学でもやってる。あいつらが意図して中央に向かったとは思えない。それに、進路記録を見て疑問にも思ってたんだが……」
煤で汚れた指先をぼろ布で拭ったモーリスは、自身の情報端末を引っ張り出すと、この五日間の演習記録のデータを開けた。
画面に映し出された地図と共に、候補生達が辿った経路と魔精石を回収した地点、さらにその回収量が表示された。
時間を追って変動する記録を眺めていたサリーが、一つ、気になる班を指さした。
「これ……魔樹を避けて進んでる?」
「俺も、最初はそう思ったんだ。だけど、ここ──」
言いながらモーリスが示したのは、他の回収量と比べても記録された量が極端に少ない記録だ。
一見、魔樹の生息域と推測される位置を経由していたその班は、その一点を境に進行方向を変えていた。
「年老いた
「そう思うだろ?」
教官クラスの軍人ともなれば、おおよその回収量から何を撃破したかの想定がつく。
体内に作られる魔精石は、魔物の体躯の大きさや蓄える魔精力などに比例した大きさをしている。小型に比べれば大型の方が大きいだけでなく、幼体に比べれば成体の方が大きい。だが、老いて生き長らえるために魔精力を消費するようになると極端に小さくなる傾向にある。
サリーも経験と照らし合わせながら他の回収量とを見比べていたが、問題の回収量は、どう考えても老衰した魔物にしか思えなかった。
形の良い唇が不満そうに少し突き出され、彼の綺麗な眉がきゅっと寄せられた。
「魔狗じゃなければ、なんなのよ?」
「この班の奴らに聞いたら、魔樹だって言うんだ」
「嘘でしょ。
「なら、どういうことだ? 魔樹が自ら溜めた魔精を使わない限り、ここまで小さくはならないだろう」
モーリスの問いに、サリーは言葉を詰まらせた。
「そうだけど……魔樹の魔精の捕食行為は生殖行為のようなものよ」
「あれを放出するのは、同胞を生み出す時だけだったな」
「そうよ。それに、自らの魔精石を削るほど、魔精を放出するなんて聞いたことないわ!」
視線を合わせた二人は、候補生時代に教わった定説を脳裏によぎらせた。
『
それが何百年と
千年前、発展したこの地上が、突如森に覆われたのは魔樹の力により樹木が活性化したからだとも言われる。そう言われても納得してしまうほど、魔精をため込むのだ。しかし、そのほとんどが結晶化されることはない。樹液としてその体内を流動しているからだ。
「いくら、年季が入った魔樹だって、死にぞこないの魔狗のような魔精石にはならないわ」
「これを回収した候補生たちも、その量の少なさに驚いてた。座学で聞いていたのと違うってな」
「……ねぇ、百歩譲って、魔樹が老衰間近だったとしてよ。候補生達はなんで奥に入ったの? 深追いは誉められないわよ」
進路を変えた班の進む道を指摘したサリーに対し、モーリスは別の記録を引っ張り出して示した。
「こいつが逃げるのを追ったらしい。これも、魔樹だ」
「なによこれ……こんなの、魔樹の魔精量じゃないわよ!」
それは候補生たちを飲み込んでいた花付きの魔樹から得た魔精石の記録だった。
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