3-12. 恋愛感情が絡まると上手くいかないのが世の常だ

「冷静に考えてみろ。今まで調べ上げた浮気相手は、軍の関係者ばかりだ」

「でも、清良ちゃんは違うわ!」

「織戸屋が軍に出入りしている」

「それは……」

「ヤツが軍の情報を、そうと知られないように少しずつ探っていたとしたら、どうする?」


 モーリスを真っすぐ見たサリーだったが、彼の厳しい眼差しに言葉を失った。開き替えていた唇が噛みしめられる。

 彼の言わんとしていることも分かっているのだ。最悪、染野慎士は軍の機密を持ち出そうと画策していた可能性もあると。だが、それを受け止めきれず、サリーは俯いてかぶりを振った。

 沈黙が二人の間で淀んだ空気となった。

 これではらちが明かないが明かない。そう思ったモーリスは静かに息を吐くと、サリーの肩を掴む指先に力を込めた。

 

「なぁ……まだあの男が好きなのか?」


 突然の問いに、サリーは弾かれるように顔を上げた。揺れる双眸そうぼうは、質問の意味が分からないと言いたげだ。

 関係ないじゃない。そう言い返そうと思ったのだろうか。赤い唇が僅かに開いた。しかし、その声が発せられることはなく、唇は震えただけで視線も背けられた。

 サリーの態度を許さないとばかりに、モーリスは彼の頬に触れ、自身の方を再び向かせる。

 見開かれた鳶色の瞳に浮かぶ感情は、驚きと困惑だろうか。そして悲しみに怒りと──。

 

 どのくらい見つめ合っていたか。それはほんの数秒だったのかもしれない。

 不意に、モーリスの武骨な指が柔らかな耳たぶに触れた。さわさわと撫でさすり揉みしだく。その触り方はまるで壊れ物を扱うようで優しく、まるで恋人にキスを求めるような仕草だ。

 目の前の白い頬が赤くなり、モーリスはわずかな苛立ちをにじませて目を細めた。


「今、誰のことを考えた?」

「さっきから何を言って──っ!?」


 言意味が分からないと、サリーは問い返そうとした瞬間、言葉を失った。

 唇に温かなものが触れる。

 苦い珈琲の香りに混ざり、嗅ぎなれない香水の僅かな芳香ほうこうが鼻に触れ、サリーは口付けられていると気づいた。

 咄嗟とっさに手が突き出して逃れようとしたが、モーリスは微動だにしない。


「ちょっ、なにを──」


 一瞬だけ離れた唇が不満を訴えた。しかし、そのささやかな抵抗さえ許さないとばかりに、サリーの両手首はしっかりと捕らえられる。それでもあらがうと、引かれた肘がテーブルに当たって音を立てた。

 カップが傾いで倒れ、僅かに残っていた珈琲がこぼれ落ちた。

 小さなリップ音を立て、濡れた唇が離れる。

 テーブルの端から、ぽたりぽたりと黒い雫が滴っていた。

 ヘイゼルが何事かと抗議の鳴き声を上げると、モーリスは不愉快そうな顔でサリーの手を離した。その直後、パシッと小気味の良い音を立てて彼の頬に平手が打ち付けられた。


「なんなのよ!」

「──むかつくんだよ」

「はぁ!?」

「お前、染野慎士の行動を擁護ようごしすぎだろう」

「擁護なんてしてないわよ!」

「いい加減、お前も利用されたのを自覚しろ! 何が火遊びだ。いい様に使われただけ──」


 モーリスが苛立ちに任せて言葉を捲し立てると、サリーは椅子を鳴らして立ち上がった。

 そのただならぬ気配に、一瞬、彼の手が飛んでくるかと身構えたモーリスだったが、サリーは静かに横を通りすぎていった。慌てて、その後ろ姿を振り返る。


「おい、愛翔!」


 部屋を出て行こうとするサリーの手首を掴み、引き留めようとしたが、その手はあっさりと弾かれた。


「分かってるわよ。それでも……」


 ドアノブに手をかけたサリーは立ち止まり、震えた声で何かを呟いた。

 信じたい。好きなの。そう言ったのかもしれない。だが、その聞き逃した何かを聞き返すことが出来ず、モーリスは開きかけた唇を引き結んだ。


「……あんた、明後日から赤の森に行くんでしょ? 男達の素性探りはこっちでやっとくから、映像データ、送っておいて」


 感情を押し殺して声がそう告げ、モーリスが引き留める間もなくサリーは部屋を出ていった。

 扉の閉ざされる音が、無情にも響いた。

 残されたモーリスが舌打ちをすると、ヘイゼルは呆れたように鳴き声を上げた。

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